Netflixドラマ「グリム」を観て、文学賞を狙うための視点を諦めた話。

 完全に執筆中の故障した人格が書いております🙇‍♀️ 嘔吐しそうな文章に耐えられず修正してしまいました。あえて剥製にしてでも残しておくべきでした。私の中になかなか見られない愚者がおりました。

いつからだろう。呼吸をするように話していた言葉が人と違ってきたのは。学生だったころ、私は確かに“普通”の言葉を話していた。

 小説の添削講座を受けて改めて気付かせていただいた。これは本当に貴重な経験で私にとっては一生忘れられない出逢いとなった。

 美しい文章を書くということは、私にとって永遠の憧れである。だが正しいことを学べば学ぶ程、私は自分の文章のねじれを直せないことに直面する。
直そうとすれば、一人称の「目」に変わっていく。破綻していく。三人称には戻れなくなってしまう。

 そして、行き着いた。
 これまで見えていた世界が見えなくなってしまうことの方に戸惑いを感じているのだ。

 Netflixで「グリム」というドラマをご存じだろうか。
 主人公のニックは人には見えないものが見える。それにより警官として事件を解決へと導く。だが一度、ニックはグリムの能力を失う。それにより彼は愛する人との平穏な生活や、昇進を約束された。だが結局、その幸福なストーリーを捨ててまで「グリム」に戻ることを決意する。これまで見えていたものが見えなくなるということはその能力を失いたくないというエゴなのだろうか。少し違う。
 

 人は生きていれば、誰もが数々の窮地に立たされてきた末に、みな何かしらの「目」を編み出したはずである。それが個性的な技法だと考えている。
 
 その各々の技法を「グリムの目」であると仮定するならば、その技法を失うということは、これまで培ってきた能力を失うということだ。そして、私もニックと同様に正しい文法を取り戻すことよりも、人に理解されるということよりも、この能力を選びたいと今、願っている。

 家族や友人は私に成功して欲しいと願っている。期待には応えたい。すぐそばにいる誰かのチカラになれることが一番成功体験を得やすい。だから、この生き方を変えて、文章も変えるということが出来なかった。

 これが、このひと月、悩みに悩んで出した結論だ。
 この結論が出せたということは、これまでのわだかまりから解放されたということだと感じている。人はひとりでは生きられない。それは誰かと共に生きていくということではなくて、私の場合、誰かのためでなければ自己の能力を最大限に発揮出来ない。つまり添削講座を受けたことにより、自分にとって「らしい」かということを十分に考える機会を戴いたのだ。これは人生を左右する貴重な機会だった。

 だが、夏目漱石が「わたし」というものを突き詰めたように、私も自分だけの言葉を見つけてみたい。プロにはなれない。でも、自分の言葉探しはずっとやっていたい。

プロの作家になるということは、並大抵の精神力では為し得ない上、持続し続けなくてはならない。それをやってのけている全ての作家の皆様を心から尊敬いたします。完敗。


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noripeko

出来るだけ課金して読ませていただくことをモットーにいたします。お小遣い次第ですが(*^-^*)ビジネス系、自己啓発関係はあまり読みません。
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