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みんな肥料になった


父が過労で倒れたのは小5のときだった。

覚えているのは、ずっと寝ている姿

ある日突然スイッチが切り替わり

暴れる…
(心の病気でした)

暴れ始めると手がつけられない。

年の離れた兄がいると少しおとなしいが
時に大喧嘩が始まる。
とても大きな声で。
(そりゃ、そうか 笑)

母は必死に止め、
私はその横で泣くことしかできなかった。

父が恐ろしく
思春期は感情を押し殺して過ごしていた。
(これが良くなかった…)

社会人になり終電間近のホームで
サラリーマンらしき人たちの喧嘩が聞こえてくると
動悸がした。

怖くて足がすくむ。

無関係なのに、

怖くてたまらなかった。

大きな音が苦手なのも、

父が暴れたときに割れる食器の音が耳に残っていて

きっと

「トラウマ」

なんだと思っていた。

すべて父のせいだと思っていた。

それが3年前
HSP気質なのかも?
と、気が付いたとき

この生きづらさは家庭環境に
よるものだけではない気がした。

少しだけ父への黒い気持ちが薄まった気がした。

けど…

気が付いたとき、
父は既に他界していた。

こんな家に生まれたからだ。
って、どこか恨み節なところがあった。
父だって、
好きで病気になった訳じゃないのにね。

結婚してからは実家に寄り付くことも少なく、
ほとんど会話することもなくお別れになってしまった。

「ありがとう」



「ごめんね」

も言えないまま。

だから毎日、手を合わせる。

父に祈りを捧げる。

そして私は、生きていく。


相田みつをさんの大好きな言葉

「あの時のあの苦しみも
 あの時のあの悲しみも
 みんな肥料になったんだなぁ」


色んなことがあったけれど、

私は今、とっても幸せな毎日を過ごしている。

それは

あの苦しみも悲しみも
みんな肥料になったんだ!!

と、強く思う。

これからも色んなことがあると思うけど、

みんな肥料にしていこう。


※暗く重たい内容で、乱文にも関わらず、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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