【写真展〜チビまさやん東京へ行く〜まで後16日】


今回の写真展の企画・監修として、美術家である、永本冬森さんをお迎えしています。冬森さんは、2015年の山崎まさよし20周年記念「音のない山崎まさよし」展を手がけられた方。昨年ご縁をいただき、今回お願いするに至りました。山崎さんが、昨年の倉敷の写真展会場に来て頂いた翌日のエピソードなど、泣けるコメントを頂いています。ぜひ、ご覧ください。
【総監修・プロデューサーよりコメント】
永本冬森(美術家)
はじめて松本紀子さんの存在を知ったのは、山崎まさよしさんと鳥取でランチに行ったときだった。嬉しそうにスマホを取り出し見せてくれたのは、小さな男の子がまさよしさんのCDジャケットそっくりそのままポーズをきめた画像だった。
わたしが「息子さんですか?」と一応ボケると、
まさよしさんは「息子じゃないけど“チビまさやん”やねん」と答えた覚えがある。
それが写真家・松本紀子さんの作品で、チビまさやんが息子さんだと知るきっかけとなった出来事だ。
山崎まさよしさんとは、2015年に『音のない山崎まさよし』展をコラボレートさせていただき、関東と関西を巡回する展覧会を開催させてもらった。それが縁で、わたしの第三の故郷である鳥取・倉吉市ではじめてコンサートが開かれるときに、再び声をかけていただいたのだ。翌年、松本紀子さんご本人とお会いしたときに、この時のエピソードを伝えると、目に泪をうかべて喜んでいたのが印象的だった。
そもそも何故、息子さんをモデルにコピーをはじめたのかは聞いていないが、ミュージシャンへの溢れる愛が根底にあることは想像できる。ビートルズに、エルヴィスに、ヤザワに心酔した者が髪型も服装もコピーしていくように、たまたま松本さんが女性であったがために、息子さんを仮想山崎まさよし化させてしまったんではないだろうか。そして、たまたま松本さんが写真家であったことで、作品として残すという行為に昇華することができたのではないか。
そう考えると、今回の企画が生まれた背景がとてもシンプルなものにみえてくる。全国の山崎まさよしファンの、とくに女性ファンに共感してもらえている理由もそこにあるような気がする。溢れる愛を、こんな形で表現してくれてありがとう、と。
残る懸念は、果たしてチビまさやん本人がどう感じているか、だ。嫌々やってる?親のおもちゃ?いいえ、全然そんなことない。わたしは見た、撮影現場でチビまさやんが『空へ(ドラえもん主題歌・山崎まさよし作)』を熱唱しているのを!山崎まさよしになり切っている姿を!だからその辺はご心配なく。
チビまさやん東京へ行く、応援よろしくお願いします。
永本冬森



写真歌詞集の出版準備資金にさせていただきます。