ハーバードのケース「楽天の英語公用語化」から日本企業のグローバル経営を考える

「決算が読めるようになるnote」「ファイナンス思考」など財務やファイナンスの観点から経営や事業を捉える良質な情報が最近増えています。ファイナンスの視点を持つことは、専門家だけでなく実務は担う事業責任者にとってきわめて重要で、それを学ぶ手段が増えてきていることは素晴らしいです。

一方で、経営にとって同じくらいか、それ以上に重要になるのは「意思決定」です。例えば、いくらファイナンス面の分析から「正しい」と思う洞察が出てきても、その最終的な成否は、意思決定者がなにを「決めるか」にかかってきます。

そこで、このマガジンでは、意思決定を鍛えるには最良の教材であるハーバードビジネススクールのケースなどを参照しつつ

状況→課題→アクション→結果

のサイクルから意思決定を捉え、その持つ意味を考察し、日々の実務に活かしてもらえるようになることを目指します。

現在から過去の意思決定を「断罪」するのでなく、ある状況に置かれた意思決定者が、未来が不確定な状況で、何を考えどういった意思決定をしたのか、そこから我々は何を学べるのか、というところに焦点を当てます。

第一回のこの記事では「楽天の英語公用語化」("Englishnization" at Rakuten)を見ていきます。社会的にも大きく話題になったこの施策が、どんな問題意識から生まれ、何を目指したのか、を考えることで、日本企業のグローバル化について検討していきます。

どんな状況だったのか?

2010年当時の楽天は、日本国内においてインターネットの幅広い領域で事業を成長させ「コングロマリット」としての地歩を築いていました。

(Neeley, 2011, p12)

そして、国内で固めた事業基盤をもとに、グローバル展開を推し進めることがさらなる成長には不可欠であると三木谷氏は考えます。

2010年に中国の百度と提携。さらにフランスのeコマース企業PriceMinister.comを224億円、アメリカのECサイト企業Buy.comを約230億円で買収するなど、アジア、欧州、北米とグローバル規模での事業拡大に動きはじめました。

その頃の彼らの動きはこの記事にも分かりやすくまとめられています。

三木谷氏は「世界27カ国で事業を展開し、流通総額20兆円、総取扱高の海外比率を70%」と野心的な目標を公言していました。

この頃の日本のインターネット業界を振り返ってみると、「モバゲー」のヒットで事業を大きく拡大させたDeNAは2010年にアメリカのngmoco, Inc.を買収して海外展開に挑戦しはじめます。

おなじソーシャルゲームの雄であるGREEも「GREE Platform」を2010年に発表し、11年以降の海外市場でのプラットフォーム展開に挑戦していきます。

国内のインターネット市場がECからゲームまで大きく拡大したこの状況で、各社が次の成長の「エンジン」を海外に求めていった時期と言えるでしょう。

こうした状況を踏まえて、三木谷氏はどんな問題意識を持っていたでしょうか。次にそれを見ていきます。

何が課題だったのか?

三木谷氏の父親である三木谷良一氏は著名な経済学者であり、三木谷氏は幼少時にアメリカで暮らすなどアメリカ文化や英語に親しんでいました。

こうしたバックグラウンドを踏まえて、彼の意識は単に「楽天」をグローバル化する、というものを越えて「日本をどうにかしたい」という強い思いに繋がります。彼は以下のように述べています。

私が日本で嫌なことは、『島国根性』と言われるメンタリティーです。情報は保護され、メディア が全てをコントロールしようとします。全ての日本人が、日本の国外で何が起きているのかを理解できるようにする必要があります。もちろんビジネスは大変重要ですが、私はお金のために会社を経営しているのではありません。私は日本を、社会を変えたいのです。これは私の責務だと感じています。私には世界への渇望がとても強くあります。保守的な習慣や日本のシステムを見ていると本当に不愉快になります。だからこそ、それを変えたいのです。私はビジネスマンです。だからビジネスを通じてのみ、これを変えることができるのです。 英語化は必要不可欠です――重要なのではなく、必要不可欠なのです。日本のグローバル企業は、トヨタやパナソニック、ソニーのように全て製品主導型です。しかし、産業は変化し続けて います。ただハードウェアを輸出していては、お金を稼ぐことはできません。グローバルな組織を 作り上げなければ、その会社は 10年後にはなくなってしまうでしょう。
(Neeley, 2011, p4)

ここには「楽天」という一企業を越えて、グローバル化しきれていない日本に対する苛立ちと課題認識が強く表れています。

そして、この認識をもとに、彼は楽天のグローバル化を妨げているのは、東京の本社と海外の子会社との「言葉の壁」だと考えます。両者間のコミュニケーションに問題があるがゆえに、グローバル化が進まないのだと。

この点に関連して、英語公用語化のプログラムをリードしたカイル・イー氏が指摘している点は興味深いです。

彼は日本語の会話においては、年齢、学歴、地位などが常に意識されており、そこには「力関係が存在している」と指摘します。ビジネスにおいてもこうした「階層構造」は強く見られ、フラットな文化を背景にした英語が主に使われるグローバルなビジネス環境では足かせになる、と。

こういった日本の特性も踏まえて、グローバル化を進めるにあたっての阻害要因を三木谷氏は「コミュニケーション」に求めたわけです。もっと言えば、日本人が英語を使いこなせないことが本質的な課題であると考えた。

問題を単純化しすぎでは、と思う人もいるかもしれませんが、アメリカのグローバル企業で経営を見てきた私の経験からすると、言語というのは想像以上に大きな要素です。

特に日本語が「階層構造」を背負っている、というのは重要な指摘で、外資系の日本法人で仮に英語を少し話せる人でも、米本社や他の外国拠点とのやり取りで問題になるのはここです。

つまり、英語を使っていたとしても、話す内容は日本的な「謙遜」や「遠慮」、そして「曖昧さ」を伴ってしまうことが多いです。これが外国人にとっては違和感を感じる要因となり、コミュニケーションがうまく進まない事例をたくさん見てきました。

なので、グローバル企業を目指す上で、こうした組織文化やコミュニケーションの側面に焦点を当て、それを「英語公用語化」で実現する、というのは課題認識としては間違ってはいなかったと思います。

三木谷氏は自分の強い思いをこう述べています。

楽天のミッションは新しい日本のロールモデルになることです。英語化はこれを成し遂げるための方法です。なぜなら日本語は、日本国外から入ってくる情報や、世界をより客観的に見ることの障壁になるからです。楽天で使われる言語を日本語から英語に変えることが、日本にいながらにして、従業員たちに英語に触れさせる唯一の方法です。私がどうかしているのかもしれませんが、私は本当にこれを信じています。
(Neeley, 2011, p5)

次に具体的に施策として何をやったのか、を見ていきましょう。

なにをやったのか?

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