グローバル企業のマネージャーは「経営陣」である

僕が前職の米グローバル企業ではじめて管理職になった時に感じたのは、会社から期待されるステージが一つ上がったなということだった。もっと言うと、マネージャーになるということは経営陣の一人になる、ということだと感じた。

これには「外資系」にいる人からも反論があるだろう。マネージャーが経営陣?たかがマネージャーでしょ、外資系のトップダウンの仕組み知ってるの?と。

そういった側面はある。しかし、経営の仕組みという観点から考えれば、マネージャーへの期待値は間違いなく「経営陣」としてである。

グローバル企業でマネージャーに求められるのは、「限られたリソース(ヒト、モノ、カネ)を適切な意思決定をもとに、いかに有効活用して成果を出すか」という点につきる。マネージャーは、この一連の行為の「責任者」であり、「具体的な成果」を出すことが強く求められる。

チームの規模や責任の重さにもちろん違いはあるけれど、これは本質的には「経営者」と同じ責任を担っていると言える。経営者も限られた資本をもとに、開発、生産、販売、アフターサービス、などバリューチェーンのどこに投資するかを考え配分を決断する。人を雇用し、動機づけ、育てる。組織を設計し生産性が最大化するよう工夫し続ける。そして、経営の成果は株主をはじめとした外部のステークホルダーに評価される。

マネージャーがすべきことも同じだ。チームのミッションを定め、そこから導かれるアクションや役割を定義する。それをもとにチームメンバーをはじめとした手持ちのリソース(ヒト、モノ、カネ)をどこに配分すればチームの成果が最大化するか考えて決断する。メンバーに寄り添って、彼等に適切な目標を与え、課題があればその解決をサポートし、成果をきちんと計測・フィードバックする。そして、チームとしての成果は事業部長をはじめとしたステークホルダーに評価される。

グローバル企業では数多くの社内「レビュー」がある。営業だけでなくマーケティング、ファイナンスなどそれぞれの経営機能について、成果は定められたターゲットに達しているか、合意されたアクションの進捗はどうか、今後の方向性は正しく検討・定義されているか、などについて上級管理職が厳しく評価する。

マネージャーになれば、こうしたレビューに責任者として参加しなければならない。自分のチームが求められている成果を出しているか、向かっている方向は正しいか、などを厳しく追求される。

これはまさに企業の経営者が株主から求められることと同じだ。グローバル企業はこのことをよく理解しており、マネージャーに対しても同じレベルでのガバナンスやアカウンタビリティを求める形で経営モデルを設計している。

これが冒頭の「マネージャーは経営陣の一人」という僕の感慨に繋がる。この設計がグローバル企業の経営力を支えており、それは多様な論点を含むので、今後も触れていきたいと思う。

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