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タイトル説明 何故「座標軸」というタイトルをつけたか。(6)フランス革命は振り子を揺らした

 

 応用編に入る前に今までの説明を図で振り返ってみたい。汚い図で申し訳ないが、ざっとこんな感じになる。
 全体のイメージは円筒形。大事なのは、A、O、B、ABの位置。これを変えてはいけない。この横の並びに対して縦方向の線を社会軸として、その細かい区分として個人~世界がある。さらには自然、インターネットという概念も含めていい。真ん中の合法線を境界として、この縦軸を下にひっくり返したのが、裏軸で、非合法の闇社会となる。
 これはあくまで入れ物である。ツールである。ひとつの思考法である。中身は、使う人の好きなようにカスタマイズしてもらって構わないが、入れ物自体は変えないことを望む。
 前回ではまず自分自身をおいて、それからは適当に配置して、と言ったが、それだけだと、「で?」ってことになってしまうと思うので、歴史から例をとり、その「で?」にお答えしようと思う。
 例は大きくフランス革命。フランス革命の後のフランスの政体の目まぐるしい変遷をこの座標を使うとどうなるかを説明したい。
 スタートはブルボン王朝。一番右の一番上だ。普通、市民革命が起きると政体は、ひとつ右のゾーン、自由主義のゾーンに移動する。がしかし、フランス革命では、さらに左の社会主義のゾーンまで行ってしまった。ジャコバンの恐怖政治(第一共和制)である。さすがにこれは過激すぎた。少し右に戻った。総裁政府、統領政府である。そこからナポレオンが出て来た。権力を握ると人はどうしても保守的になる。ナポレオンの第一帝政が始まった。一番右のゾーンに戻ってしまった。ブルボン王政ほどではないにしても、皇帝による一極独裁政治となった。ナポレオンが失脚すると、ヨーロッパ全体が保守化し、ブルボン王政が復活する。さらに右に振れた。7月革命が起きて左に小さく振れたのが、中途半端なルイ・フィリップの7月王政。2月革命が起こってさらに左へ振れる。ルイ・ナポレオンが大統領になった第二共和制。またしても保守化して右へ振れ、ナポレオン3世になる。(第二帝政)普仏戦争で敗れてルイ・ナポレオンが失脚して第三共和制となる。
 大雑把に言うとこんな感じである。今の動きを座標面上で見ると、どうなるか。ものの見事に右から左へ行ったり来たり、まさに振り子のように揺れて、最終的に真ん中の自由主義のゾーンに落ち着くのである。複雑なように見えて実はシンプルだということが一目瞭然でわかる。最初の振れ幅が大きかった分、揺り戻しも大きかったということになろう。
 これからなにが読み取れるか。政治というものは右と左の間を揺れ動くものだということ。二大政党制のゆえんである。観点を変えると、最終的に第三共和制に落ち着いたが、取り残された右翼、左翼の人たちはどうなったのだろうという疑問がわく。また、これだけ振れ幅が大きいと言うことは、またいつか、右へ左へ大きく振れる可能性があるのではないかという、未来の予測もできる。
 次回は日本の戦前の政治をあてはめてみたい。


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