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エッセイ 「子犬 あげます」

 私は大学を中退した後、父親の自営業を7年間も手伝っていた。主に工業用のゴム製品をつくる仕事である。それを母、祖母も含めた家族労働で営んでいた。仕事場はトタン張りの掘っ建て小屋である。
 その間、一匹の犬を飼っていた。名を「メリー」といった。雑種のメスである。子犬の頃、捨てられて近所をうろついていたところを、近くの人が拾って、うちに持ってきたのであった。以前我が家で飼っていた犬に似ているから飼わないかというのである。前の犬が病気で死んで数年経っていた。私はその死がとても悲しくて、もう2度と犬は飼いたくないと思っていたのだが、母親が私に相談なしにもらってしまった。
 弱い犬ほどよく吠えるという言葉通りに、臆病でよく吠えた。予防接種のために車に乗せても、怖がってじっとしていなかった。朝、新聞配達と牛乳配達が来ると必ず吠えた。
 メスなので、妊娠させないように細心の注意をしていた。生理の時は、夜、仕事場の中に入れ、鍵をかけた。しかし入れるのが遅すぎたのか、出すのが早すぎたのか、妊娠してしまった。ある朝まだ暗いうちに、散歩に連れて行こうとすると、珍しくぐずった。股の間に黒い物体が見えた。腸が露出したのかと思った。困ったなあと思い散歩に行くのはやめた。しばらくして様子を見に行くと、なんと子犬が産まれているではないか。それも3匹も。びっくりするやら、うれしいやら、困るやら複雑な思いであった。
我が家で育てることはできない。誰か、もらってくれる人を探さねばならない。あては全然なかった。両親は保健所に持っていくしかないと言った。私はそれだけは避けたかった。お金と手間をかけずに、もらってくれる人を見つけなければ、保健所行きになってしまう。
 私はひとつの方法を思いついた。家の前の道に看板を出そうと考えた。車から目立つ場所に出せば、きっと犬の欲しい人が見つかると思った。ベニヤ板の裏表に白い紙を貼ってそこにマジックでこう書いた。「子犬あげます」と。「子犬」と大きく横書きして、その下に小さく「あげます」と書いた。ビニールを貼って雨対策も施した。家の前の道はあまり人通りも車の通りも多い道ではなかった。しかし、近くの会社の駐車場もあちこちにあったので、通勤の車に期待をかけた。果たしてどれだけの効果があるか、自信はなかった。しかもお世辞にも可愛い子犬とは思えなかった。見ただけで、敬遠されるかもしれないという不安もあった。
 看板を出して数時間後、臆病な母犬がけたたましく吠えた。何事かと思って、道路の方を見ると、見知らぬ人影があった。若い女性であった。「表の看板見たんですけど・・・」「ハイ、あ、どうぞご覧ください。」「わあ、可愛い。本当にいただいていいんですか。」「どうぞ、もらってください。どれがいいですか」「うーん、じゃあ、この子を。」「でもまだ生まれたばっかりなんで、1か月ぐらいは母親の母乳で育てたほうがいいですよ。1か月後にまた来ていただくということでもいいですけど。」「そうですか・・・。でもいいです。すぐいただきたいです。」「そうですか、それならいいですよ。どうか可愛がってやってください。」
 そんな調子で3匹の子犬のもらい主はその日のうちに決まった。素直に嬉しかった。自分で考えた方法で、自分で対応し、話を決めた。自分で3匹の子犬たちの将来を切り開いたことに満足感を感じた。
 もう30年以上も前の話である。母犬はもちろん、子どもたちも死んでしまったことだろう。幸せな一生を送れただろうか。それ以来、犬は飼っていない。

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