_北海道神社

神社は、お願いをする場所ではない。

恵まれていることに感謝

私は週の初めの朝と、新たな仕事をいただいた日の翌朝、
氏神さまに手を合わせる。

神社は、何かを願ったり頼んだりする場所ではなく、
感謝する場所と知ってから、手を合わせて目をとじ、
「ありがとうございます」と言って感謝を伝え、
より一層の精進を神前に誓う。

“神頼み”パワースポット案内人(この肩書と逆の情報発信を彼女は
しているのだが)の下川友子さんによれば、

神社は、ないものを探す場ではなく、与えられているもの、
恵まれているものを思い出して感じる時間。ありがとうを言う場所

なのだとか。

「与えられているもの、恵まれているものを思い出す」ことは、
“幸せを数えれば幸せになれる”という、幸せの名言にも通じる、
とてもよい幸せの感じ方だと思う。

目標の実現を誓う

願い、頼むだけでその後で何もしない方は少なく、多くの方は
願い事に向かって少なからず努力をしているはずで、
それが健全な人間の姿だと思うが、それをさらに的確に表現したのが、

神社は自らの目標成就に向けた努力を誓う場所である

という説だ。
前述の通り、私もそのようにしているが、これは口に出した言葉が
現実になる「言霊」の威力にも通じる行為でもあり、完成した姿を
浮かべるという意味では、アスリートのイメージトレーニングの
発想にも近い。

手を合わせて目をとじ、今日もこうして生きられていることに感謝し、
そして何がしかの誓いを立てた後の清々しさは格別だ。
境内の森で呼吸すれば、心が洗われる気がして、神社の存在は尊い。

私は一切の宗教を信じないし、神道を信じているという自覚もないが、
こうして書いてみると、「信心深い」と言われても、これは仕方ない。

でも、そんなことより何より、皆さんも
神社を初詣や祝い事、試験の前に行く場所などと考えず、気軽にどうぞ。




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