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「鬼」についての講義。

「オニ」の起源

「オニ」と聞くと多くの方は、角を2本生やし虎の皮のパンツをはいた
姿を思い浮かべることでしょう。
しかし、そんな「オニ」の文化が初めから日本にあった訳ではありません。
「オニ」の語源は、平安時代中期の辞書
「倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)」で紹介されている
「隠(おぬ)が訛ったもの」という説が一般的です。
この辞書では「物に隠れて姿を顕したくない」と「オニ」そのものを
説明しています。つまり、この時点で「オニ」は“目に見えないもの”
とされていたようです。

一方、「鬼」という漢字は、中国で「キ」と読まれ「魂が体を離れて
さ迷う姿」「死者の亡霊」の意味で使われていました。
日本における漢字「鬼」は、奈良時代の「日本書紀」に
「鬼魅」「魅鬼」として登場
しますが、中国の意味に倣って
魔物や怨霊を指していました。
この「日本書記」の「鬼」を、「オニ」と読む学説もあります。

平安時代になると、「鬼」に関する記述がかなり増えてきます。
「伊勢物語」では、愛する女性が「鬼」に食べられる話、
「今昔物語集」では、切った「鬼」の手が実は老いた
母の手だったという話、
あの「枕草子」にも「名おそろしきもの」として
「牛鬼」が挙げられています。
これら平安時代の「鬼」がどう読まれていたか、
詳しい研究はないのですが、どうやらこの辺りで
「オニ」と呼ばれ始めたようです。

鎌倉時代の「宇治拾遺物語」には、鬼や妖怪などが夜中に群れ歩く
「百鬼夜行」という言葉が見られますが、
同じ時代の「平家物語」では「鬼女」と称して女性の姿で描かれています。

現代の「鬼」の原型

室町時代に入ると、私たちが思い浮かべる
2本角の「鬼」の姿の原形が「百鬼夜行絵巻」に見られるようになります。
同じ時代の「不動利益縁起」や「泣不動縁起」に出てくる
式神(陰陽師が使う鬼神)などにも同じように、
私たちのイメージに近い「鬼」の様子が描かれます。

鬼ヶ島を目指す“桃太郎伝説”の原型ができたのも室町時代と考えられます
ので、現代の「鬼」のルーツは室町時代にあると言えそうです。
人を食べる「大江山の鬼退治」が収録される「御伽草子」も
室町時代の作で、いまでは昔話の一つとして、
挿絵に角を2本生やし金棒を持った鬼の姿が描かれています。

しかし、日本における「鬼」の役割は、悪役ばかりではありません。
日本家屋の屋根の棟にある瓦を「鬼瓦」と呼びますが、
これには、厄除け・魔除けの役割があります。
「その怖ろしい形相で災難を振り払ってほしい」という願いが
込められているようですが、「鬼神」「鬼将軍」などという言葉にも、
人知を超えた強大な力を敬う意識が見られます。
これには「姿を見せない」という「オニ」の原初の意味が
影響しているのかもしれません。

また、人間の恨みや憎悪などがつのって鬼に変化したとする説もあります。般若の面がその典型で、女性の嫉妬心が「鬼」に変化したものと
言われています。
般若の面は観阿弥・世阿弥が生みだした
能に登場しますが、この能が生まれたのも、
現代に似た「鬼」のイメージが出来上がった室町時代です。

虎のパンツの正体

前述のように、現代の「鬼」は角を2本生やし虎の皮のパンツをはいて
登場することが多いですが、
これは鬼門のある東北の方位が十二支でいうと、
丑の方位と寅の方位の中間にあたるためである、というのが通説です。
つまり「丑寅」の方角が鬼門なので、
鬼は牛(角)と虎(パンツ)の要素をもっているというわけです。

また「鬼」は、ときに地獄の閻魔大王の手下としても登場しますが、
これは仏教の陰陽思想や浄土思想が交じり合って生まれたキャラクターで、ここまで来るとさすがに背景はよく分かりません。

さらに「鬼」は、郷土芸能などでは親しみさえもって表現され、
神に近い存在として演じられる場合もあります。
こうした豊穣な“鬼の文化”は、地元文化や仏教思想、
「オニ」の存在が伝わって以降の歴史的背景とも関わり、
自由な広がりを見せています。
そもそも姿のない異界の存在に起源があったからこそ、
日本人の想像力が自由に発揮されたのではないか、と想像します。


※以前、ある講義のために、インターネットのみで調べられる
   情報の事例として実験的に書いた文章を、改めて見直して
   アップしました。

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