見出し画像

それでもあなたは「食べるの大好き」と言う?

人はそもそも食べるのが好き

美味しいものを食べると、脳の下垂体から幸福感をもたらし痛みを
やわらげるB-エンドルフィン(脳内モルヒネ)というホルモンが分泌される
から、人は美味しいものに快感を覚える。さらにB-エンドルフィンは、
ドーパミンというモチベーションを高めるホルモンを誘導するので、
食欲が継続して引き起こされる。
つまり、人はそもそも「食べるの大好き」になるようにつくられた
動物なのだ
が、それでもあえて「食べるのが大好き」と言う人物に、
私は何となく違和感を抱く。
そんなことを考えていたら、少なくとも私は他人より食べることに
執着しない人間だと気づいた。

大盛や食べ放題に魅力がない私

例えば私は「男だけどカフェが好き」でふれたように、「大盛り」や「食べ放題」に魅力を感じない。一度、満腹になると、美味しそうな好物を出されても食べない。また、見知らぬ土地を訪れても、「有名な料理や名産を食べる」という気持ちにならない。
もちろんB-エンドルフィンは十分に感じるから、食べることは楽しいし、それに酒がプラスされれば食べ過ぎることだってある。しかし、満腹感は好きではないのだ。
したがって、いずれにしても、こと「食べる」という行為において、私より
「好き」と言える人は多いかもしれないが、それでも私とて食べるのは決して「嫌い」ではないのである。

食べるの大好きだから

「食べるの大好き」と言う人は、基本的に誰でも好きな「食べる」という行為を、あえて「大好き」と差別化するのだから、人よりも、その質の高みを
目指す性格なのだろうか
。確かに「美食家」と称される人物は、おしなべて成功者でもあるが、これはむしろ先に成功という成果があって、その富を「食べる」行為に注いでいると解釈する方が自然だ。

一方、名産品を味わい、さまざまな店舗を食べ歩く行為は、好奇心の高さを表わしていることは確かだ

日本語には「食い意地が張る」という言葉もある。
「食い意地」とは
「どうしても食べたい」という気持ちで、それが他人より高い傾向を
「食い意地が張る」と言う。例えば会食の場でシチュエーションを選ばず「食べる」ことを優先し、同席者に配慮しない傾向がある。
「元をとる」という気持ちが強いため、より大量に、よりボリュームある
食事への欲求が強く、実際に食べる。「食べるの大好き」を認識している
人は、結果的にこの「食い意地が張る」状況に陥る可能性が高い。
それとも「大食い」を自認し、その理由としてこの言葉を使う心理も否定できない。

語彙の枯渇化でしかない

「食べるの大好き」と言う人は、前述のどのタイプか、あるいはどの傾向を伝えたいのかが分からないまま、人間なら当然のことをあえて言う愚を
犯している。

私がこの言葉に違和感を抱くのは、そうした表現力の稚拙さにある。

こと文法的な見地から言えばこの言葉は、人は多かれ少なかれ例外なく
食べるのが好きであることを忘れている
としか思えない。
ただ私のような人間と比べて「食べる」量や種類、味覚により執着があると言いたいなら、このような誤解される表現は使わないことだし、
真意が全く伝わらない。

つまり「食べるの大好き」は、いま日本人の大半が「形式、様式、スタイル、方法、製法、作法、手法、やり方、生き方、内容、機能、特色、在り様、システム、ルール、タイプ、型、形あるもの、思い、哲学、現実」などを言う場合に、全て「カタチ」を使ってしまう語彙の枯渇化と同じ稚拙さを表わすのだ。

「食べるの大好き」という言葉は、その意味でとても空虚に聞こえる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?