「沈まぬ太陽」沈むニッポン。
この記事を読んで、あなたが得られるかも知れない利益:きのう、BS東テレの深夜番組で、山崎豊子作の「沈まぬ太陽」の映画版を見ていだいた違和感。あれは某航空会社の失態を描いているんじゃなくて、日本企業の、いや日本全体の欠陥を暴き出してるんじゃないか、という推察。
差別丸出しだった作品
「沈まぬ太陽」という小説は、実話を小説にする第一人者、山崎豊子の作品で、本人は公式には認めていませんが、日本航空の例の墜落事故を題材にし、企業の腐敗と戦うサラリーマンの生き方を描いた作品です。
これを映画化したのが、きのうのテレビ放送された映画で、この上映に関しては日本航空が激怒し、配給会社に抗議したと伝えられています。
それはそうでしょう、映画の本編はほとんど、この悲惨な事故への会社の対応と犠牲者の怨嗟の叫びで埋め尽くされているからです。
つきあいで僕はこの映画を見たのですけれど、途中で嫌になったのは、あまりに悲劇の描写に偏りすぎていることと、差別が丸出しだったことです。
物語の焦点は、会社の改革を目指し立ち上がった主人公の、渡辺謙演じる、恩地(おんち)が、労組の委員長で会社と戦い、一度は勝利したものの、その後嫌がらせにあい、懲罰人事でパキスタン、イラン、ケニアといった国々に「飛ばされる」というくだりです。
この作品では、明らかにパキスタン、イラン、ケニアを発展途上国で、日本や欧米諸国に比べて生活の質が劣り、ビジネスも一段と低い優先順位しか与えられてないという暗黙の前提があります。
この作品は昭和40年代の日本ですから、このような差別は当たり前だったのかもしれません。
でも、この映画が封切られたのは2009年ですから、そう遠い昔ではありません。
当時「これって差別じゃね?」という声が上がらなかったのは、大いに違和感を感じますね。
でも、きのうの作品をご覧になった皆様は、違和感をお感じになったのではないでしょうか。
サラリーマンはなぜこうも本社志向なのか
僕が、この作品に感じたのは、某航空会社の内紛などではありません。
以下の4点です。
共産党への差別感
映画では「赤」って言葉が何度か出てくるんですよ
「あいつは赤だから」とか「あの家の娘の父親は赤だ、そんな家に息子をやれない」などです。
法的なところまではわかりませんが、今の感覚では「アカ」は時代錯誤の差別用語ではないでしょうか。
主人公の恩地は、会社では、反体制の組合運動でリーダーシップをとっていました。
まだまだ日本には労組=共産党=アカ、っていう抜き差し難い差別感があるのだなあ、と思い知らされました。
日本のローテーション人事の功罪
ローテーション、配置転換ともいいますが、これは日本の企業の人事の根幹なんです。
日本の企業はいわゆる今はやりのジョブ型ではなくて、専門性をもとに仕事を固定しないんです。
理科系エンジニアは別ですが、大学では専門性を身に着けられないこともあって、企業は学部や専門性を無視して採用し、3年~5年ごとに配置転換をします。
だから僕はよく学生に言うんですよ、面接では「営業やりたいって言え」、って。
営業はみんな嫌いだから、入りやすいよ、という理屈です。
「でも大丈夫、一生営業やらされるわけじゃないから、配置転換で3年たったら、お前のやりたいIT部門に配属されるから大丈夫」と、教えてあげるのです。
映画の主人公・恩地はそれを知っていて「パキスタンのカラチですか。なあに、2年もすれば戻ってこれるからどうってことないですよ」等と周囲に話します。
重要なポイントは、なぜ、恩地はこの人事を受け入れるのか、という点です。
ここが、僕に言わせるとこの作品の最大の急所なんです。
なぜかというと、カラチに行こうが、カナダに行こうが、給料は変わらないからです。
N航空くらいの大企業だと、30歳で1000万くらいもらっているでしょう。
家族3人を養うには十分であり、転職をしないのも給料が下がらないという保証があるからなのです。
ローテーションは海外のジョブ式人事から見ると異常なのですが、「仕事が変わっても給料は変わらない」からこそ、従業員の定着率がいいのです。
日本人サラリーマンの本社志向
主人公恩地は、カラチに行っても、テヘランに、ケニヤに飛ばされても、いつも頭の中は「日本に帰りたい、本社に返り咲きたい」です。
ここに、日本人サラリーマンの変わらざる価値観があります。
海外赴任は、恩地のような懲罰人事でなくても、「出世コースから外れる」という意識なのです。
普通の日本人サラリーマンはこう考えるのです。
映画でも、この辺のことはしっかりおさえられていて、父親の海外勤務が長くなるにつれ、家庭崩壊がひどくなる様が描かれています。
日本人サラリーマンの柔軟性と多様性のなさ
主人公の恩地は、いつも海外赴任先で苦悩し、常に不満を抱いています。
現地の日本人仲間も、自分たちは左遷組とあきらめ、やる気がありません。
でも、この記事を読んでいるグローバルなあなただったら、ここぞとばかり、積極的に動くでしょう。
現地のスタッフを手なづけ、国の上層部と仲良くなり仕事で信頼を得て、政府のアドバイザーになりその国の経済まで動かすようになる・・あなたがいっぱしのビジネスマンならば、そうなるはずです。
災い転じて福とする、そうするに決まってます。
でも、恩地は現地でそのような積極的な行動に出ることはありませんでした。
深読みすれば、日本人は自分でも気づかない差別感を持っているが故に、世界が広がらないのです。
企業も、です。
アジア、アフリカ=発展途上、とるにたりないビジネスパートナーという、隠れた意識が、この映画にはもろに描かれているのです。
この点は重要で、日本って外交でも小国は相手にしないでしょう。
そして、世界平和っていう意識も希薄なのは、結局、恩地の隠された意識がそうだったように、小さなものを差別するという意識があるからなんですよ。
そして、貧しいもの、弱いものに手を差し伸べるっていう意識が希薄なんです。
これを「キリスト教的利他心がない」と指摘する識者もいます。
さて皆様、勝手な論を述べました。
500余人が一瞬でなくなったあの飛行機事故を題材に取った、企業の腐敗を描いたはずの「沈まぬ太陽」。
しかし、それと全く関係ないメッセージを受け取ってしまった、今年もあいかわらずの筆者でありました。
途上国だ小国だ、って言ってますが、今や日本がそうなるのも、時間の問題では・・
野呂 一郎
清和大学教授
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