おさな子の純粋な涙をマーケティングにしてはいけない件。
この記事を読んで、あなたが得られるかも知れない利益:今日、ある親子の出来事を目撃して、胸が潰れた件。それをマーケティングのヒントにしようとするアコギな自分を反省するとともに、「ムーのチカラ」を感じた不思議。トップ画はhttps://qr1.jp/9CZ3OD
ワンワードの威力
今日、幼子が親にすねて泣いているのを見たんです。
それも二回も。
僕は、その子達が本当に可愛そうだな、と思いつつも、感動もしたんです。
皆様となんとなく、共有したいと思って・・。
こんなこと書くブログじゃないんですが・・
前回、ムーの話をしたので、なにかスピリチュアルに入っちゃってるのかなあ。
一つは、ある道端で会った、5,6歳の女の子とお母さんの出来事です。
女の子が急に、つないだお母さんの手を離し、駄々をこね始め「お腹すいたァー」って泣くんです。
お母さんは何も言わずに、女の子を見ています。
女の子は転げ回って、でも「お腹すいたァー」は止まりません。
「お腹すいたァー」、女の子のこの叫びを、僕は一生忘れることはないでしょう。
なぜならば、本当にお腹が空いていることが、痛いほど伝わってきたからです。
でも、その願望が叶えられないという現実。
「可哀想に」、という反応が僕の中でにわかに起こったのです。
親は見ているだけでしたが、「コンビニでおにぎりでも買ってあげればいいのに」などと、僕は親に対し理不尽な気持ちも禁じえませんでした。
親としては、さまざまな文脈があったので、冷たく見えた行動をとっただけなのでしょうが、そんなことは考えず、感情的になる浅はかな僕がいたわけです。
そもそも結婚もしたことがなく、子供も持ったことのない僕には、親の気持ちなど、推し量ることなんかできないのに。
おんぶ
帰りの電車に乗り、最寄り駅の改札口のところで、また違う親子の出来事を目撃したんです。
さっきの「お腹すいたァー」よりも、さらに切ない思いをしたのです。
お父さんとお母さん、そして、4歳か5歳位の女のです。
おかあさんの手をつないで歩いていた女の子が、突然「おんぶぅ!」と言って、座り込んだのです。
お母さんはおんぶを拒否、お父さんはガン無視で、女の子は今度は、泣きながら「おんぶぅ!」ともっと激しく泣き叫びます。
「おんぶぅ!」
こころの叫びに聞こえました。
女の子と泣き声と「おんぶぅ!」は、ますます激しくなるばかり。
この子のお父さんとお母さんは鬼なのか、ついさっきの「お腹すいたァー」の女の子の両親に対する憎しみと同じ気持ちが湧いてきました。
いたたまれなくなって、僕は親子から離れました。
でも、何らかの事情があって、ご両親はおんぶを拒否したのかも、です。
でもあんなそっけない態度を、幼子にとれるものでしょうか。
耳にこびりついて離れない言葉
「お腹すいたァー」
「おんぶぅ!」
この言葉が耳から離れません。
おさなごのたましいのさけび、だからです。
いじらしい、ちっちゃい女の子のおねだりだからです。
でも、おとながすげなくして、かわいそうで、胸が引き裂かれたからです。
それが僕のこころを打ったのです。
さて、可哀想な幼子の純粋な魂に乗じて、下世話なことで申し訳ありません。
僕は、この2つの叫びから、マーケティングとは何かの教訓をもらった気がしたのです。
それは、「魂に響くワンワードこそ、ひとの胸を打つ」ということです。
「おなかすいたー」、「おんぶ」。
実に単純な言葉で、子供が言うからこそ、切実さと重さがあります。
AIより生の感情
言葉が軽くなってきているのではないでしょうか。
AIがそれを助長している気がします。
統計で人を動かすワードを探すのがAIだからです。
今日見た、僕のこころを震わせた光景は、合理的科学的な所産ではないのです。
一言で言えば、人間らしさ、といえるでしょう。
ちいさな女の子の純粋なおねだりの、かわいさ、いじらしさ。
そして、それがむげにされたときの、可哀想さ、同情、親に対しての理不尽さが一層その子に対しての可哀想な気持ちを増幅して、一層その子が愛おしくなる気持ち。
表現しにくいのですが、こういう感情を抱いた時、人はなにかの購買行動をするのではないでしょうか。
経営学者は資本主義の走狗なのか
いや、ダメだ、ダメ。
こうしてすぐに、なんでもかんでもカネにしようとするさもしい根性が、ダメなのです。
マーケティングなんざ、結局どこまで言っても資本主義的なマインドセットに毒された、いやしい方法論なのです。
純粋な魂に心を動かされたまではいいけれど、その後がお粗末でしたね。
あれ、やだ、考えてみれば、経営学だか、マーケティングだかをやってるオレって偽善者だったのかな?
純粋な魂に、ついに正体をあぶりだされちゃったかな。
昨日、読者の皆様にムーの話をしたからかなあ。
ムーを語っていると、語るに落ちるのかも。
恐るべし、ムーのちから。
野呂 一郎
清和大学教授
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