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プロレス&マーケティング第56戦 アントニオ猪木にスマホは似合わない。

この記事を読んであなたが得られるかも知れない利益:カッコつけるとはどういうことなのか、アントニオ猪木に学ぶ。アメリカンフットボールとプロレスの共通点。セルフプロデュースを真剣に考えているあなたに贈る、スマホとの付き合い方。

プロレスとアメフトは似ている

両者ともマッチョなスポーツの代表であり、身体のデカさ、スピード、パワーで勝負すること、そしてショーマンシップが求められるところが、です。

アメリカでは、アメフトからプロレスに転向したレスラーはテリー・ファンク、スタン・ハンセン、レオ・ノメリーニ、ダスティ・ローデスなど枚挙にいとまがありません。

さて、今日はそのアメフトのお話です。

ちょっとコレは古い記事で恐縮なんですが、今でも生きている情報なので、あえて使います。The Wall Street Journal2019年11月29日号Jim Harbaugh finally tackles text messaging(ジム・ハーボーがついにテキスト・メッセージにタックルを)

ジム・ハーボー https://nfljapan.com/headlines/96380

この記事のタイトルにある、テキスト・メッセージっていうのは、言ってみればラインっていうことですよね。

記事の内容は、”ライン中毒”のジム・ハーボーが周囲の非難にやっと、書き込みをやめる時がきた、というものです。

ハーボーさんは、1987年から2001年までNFLでクォーターバックとしてプレーした後、カレッジやNFLでヘッドコーチとして活躍し、今はミシガン大学ウルヴァリンズのHC(ヘッドコーチ)です。

スマホが今の時代手放せないのは、現実です。

でも、ハーボーさんの場合はちょっと度が過ぎているです。

文字通り、四六時中画面に向かってテキストメッセージの書き込みをやめないんです。

今どきの大学運動部のHCは、スカウトにマスコミ対応、ファンドレイジング(fundraising 資金集め)というアメリカならではの義務もあり、相当忙しく、スマホが手放せないのも無理はありません。

ましてやハーボーさんは、アメフト界の名物男ですから、彼のもとでプレー希望の高校生からのDMもひきもきらず、それにいちいち丁寧に対応することも、彼のスマホ中毒に拍車をかけています。

しかし、こんな記事が出るのは、彼の性癖(proclivities)とも揶揄される、”書き込みマニア”ぶりにあるのです。

試合が終われば、選手全員に今日のゲームの総括や感想を送ります。

それも、スマホの画面をいくら繰っても終わらないほどのロングバージョンです。

高校生の問い合わせにも、「問い合わせありがとう」だけで終わらず、感謝のメッセージがいくら画面をスクロールしても終わらない、というのです。

意見でも求められようものならば、返事はポエムやエッセイで返してきたりもするのです。

つい最近は、選手たちに”Ode to Football(フットボールへの叙事詩)”と題した大作(笑)を送り付けて話題になりました。

スマホはかっこいいか

さて、ここからプロレスにつながります。

彼が四六時中スマホ中毒で、大きな指でアルファベットのキーを押しているのは、時代といえばそれまでですし、仕事=スマホなんだから当然といえば当然です。

でも一部でこんな声が上がっているのです。

特に彼を慕う高校生やその父兄から、です。

「テクノロジー(スマホ)のせいで、彼のカリスマ性はダメになったTechnology tones down Harbaugh's charisma」

前掲The Wall Street Journal

僕は常々、プロレスラーがスマホに夢中になっている絵は、カッコよくないと思っているんですよ。

でも、このスマホが生きることとイコールになっている時代に、そんなことを言うと、若いプロレスファンから「老害だ」などと言われるに決まっているから、黙っていたのです。(笑)

しかし、この記事をみると、「えっ、若いアメリカ人でさえ、フットボール選手がスマホに夢中になっている姿に萎えるのか!」と、ちょっと自分の感覚があながち間違えでないような気がしてきたんです。

もっと言うと、正直、レスラーがSNSをバンバンやっている姿も、どうなのかな、と。

スマホをいじっている姿と同じくらい、プロレスラーらしくないんじゃないか、そう思うんです。

「ひどい時代遅れめ!」と罵られるでしょうね(苦笑)

天山にムーンサルトプレスは似合わない

僕はプロレスラーだけではなく、自身のイメージ戦略、セルフプロデュース戦略を真剣に考えるものは、リング(仕事)外でどういう振る舞いをしたら、自分のカリスマ性が損なわれず、アップできるかを常に考えるべきだと思うんですよ。

週刊ファイトの名物編集長として知られた、I編集長こと井上義啓さんが、その昔こんなことを言っていました。

「天山にはムーンサルトプレスは似合わない」。

40年くらい昔の週刊ファイトより

僕はこの言葉に膝を打ったんです。

https://qr1.jp/U5f3G4

井上さんは、「特に理由はない」と言っていましたが、それは「プロレスラーたるもの、ファンや関係者がそれをどう感じるかのアンテナを磨け」と言っているように感じました。

猪木にスマホは似合わない

猪木のスマホ姿って見たことないですね。

晩年はスマホ全盛時代に入っていて、SNSだって流行っていた。

写真の一葉くらいあったっていいはずだが、ない。

猪木自身も、いくつかのサイトを立ち上げていました。

しかし、「コレって絶対猪木が書き込んだんじゃねえな」という
やる気のない、どうでもいい書き込みのオンパレードです。

猪木ファンは「やっぱ本人は興味がないんだろうな、でも一応世間のオンラインの風潮に合わせてるんだな」そうさとったはずです。

考えてみてくださいよ、猪木がしょっちゅうスマホを覗き込んで、フォロワー数などに一喜一憂している姿を。

幻滅ですよね。

まさにそれは、アメフトファンがジム・ハーボーがスマホに狂っている姿に失望したのと、同じ違和感、だと思うんです。

猪木は、ハーボーと違って、そこはしっかり心得ていたんです。

真のスターとしての勘、でね。

僕は何もプロレスラーにSNSをやるな、と言っているんじゃないんです。

何十万のフォロワーとコミュニケーションを深め、それが自分の存在価値とファンのエンゲージメント(選手に対しての推しの物量)を増やし、それが経済的な価値も産んでいるかもしれません。

しかし、プロレスラーの魅力の原点っていうのは、「人間離れしている、超規格外の存在」ということは忘れてはならない、そう思うのです。

もしそうなら、スマホ姿はどうファンに映るのか、ということです。

スマホだけではありません、どんな服装をして、表情をして街を歩くのか。

ファンと接した時に、どんな振る舞いをするのか。

その意味で「アントニオ猪木の偉大さは、24時間アントニオ猪木でいたことだ」という格言は重いのです。

野呂 一郎
清和大学教授


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