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映画「プロメア」で人生とかを動かされてしまった話

自分のことじゃないはずなのに、自分のことのように感じてしまって、哀しくて悲しくて涙が止まらない。

今日の私はとても不安定だ、やらなきゃいけない事も、やるべき事もあるのに、今はただこの自分の見つけた気持ちに理由や意味をつけたくて、ただ間違ってなかった事を証明したくて、こうして言葉を書いている。

さっきツイキャスのラジオ配信で教えてもらったけど、どうやら元ネタはニーチェの言葉だった
「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ」
(私はナウシカの漫画版に出てた言葉だったと記憶していた、)
と言う言葉が今日の私にはぴったりだった、
自分の中の闇と対峙している時、闇もまたそこから自分を見ている、
私の創作活動なんて、その闇の中に潜って、いかにそれを綺麗なものとして取り出せるのかだ、ぐちゃぐちゃに闇に飲まれて、自我を闇にぐちゃぐちゃにされて、
そこから身を削って作品を作り出す、その作品に意味が無いなんて、誰にもレッテルを貼られたくない。
全ての物事や起こっている事が全部そこに通じているとしたら?
起こるべき事も、出会うべき人も、何もかもが私が音楽をいかに作り出せるか、全う出来るのかに繋がっているとしたら、

余りにも滑稽だ、
私は嗤う、笑いたくなる。

どんなに身を削って切り刻んで手に入れたものだって、結局神様の起こすレシピには叶わない。

ほらこんな事を書くから、“シンガーソングライター界の太宰治”だと言われるんだろうけど(最高の誉め言葉だ)、

何かと言うと、私は少し前に高校時代の友達に誘われて映画を見に行ったのです、
今公開しているアニメーション映画、「プロメア」と言う作品なのだけど。

これです。


これがまた、すごく物凄く良い作品なのです、何もかも素晴らしい、
それで元は客入りがあんまりだったのに口コミで物凄く広まって、今興行収入が70億円?までいって、私のその紹介してくれた友達や色んな人がリピーターとして何回も何回も見に行ってると言うアニメ映画なのですが、
私も勿論作品として大好きだしその中のキャラクターの一人がどストライクでハマっていたのだけども、
何かそれにも理由があったって、気付いてしまったのです。

私がハマったのはとにかくまあ、作品の中で“マッドバーニッシュ”と呼ばれるリオ・フォーティア君と言うキャラだったのですが、
私この手のキャラに弱いんですよ…あの、線が細くて美少年(美人)、さらにおかっぱ(ボブ)そして金髪…。。(あぁ…。)

私は中学生で人生で一番コミケに行っていた位元がオタク気質だったのですが、
歴代ハマったキャラクターが女子は金髪で真面目で優しくて美人と言う傾向、
男子は千と千尋の神隠しのハク様(皆様ご存知の)、そしてヒカルの碁の塔矢アキラくん、ここ二人は見事に黒髪おかっぱで激情型で美少年…と言う傾向、
この二つの傾向を見事に足して2で割った(!)と言うドンピシャなキャラクター、
それがリオくんだった訳です…。
(つうか逆にそんな奇跡的な天文学的な計算が成り立つキャラが居るのがすごいな…私にとってのどストライクな)

で、一回目観たのが6月の27日だったかな?
観た時は全然期待してなくて、て言うか私人生基本的に生きるのが苦痛なタイプの人間(生きることが辛くて苦しいことの繰り返しだと思っているタイプ、たまに高揚する)なので、あんまりにも薦められるからまあ見るかって感じだったのに、
まあ見たら目がパチクリしましたね、びっくりして、そしてこの自らがオタク気質だとカミングアウトするような(まあもうバレてるよね…ゲーム聖剣伝説3とかCCさくら展とかでさ…)ブログを言葉にして書くに至った訳ですが、
今の日本はすごい、オタクに優しい。
だってちょっと検索すればTwitterとかpixivとかあるし、ガンガン二次創作(同人系)探せますからね、
私の昔のコミケ通ってた中学生時代なんてそれが無かったから、好きなジャンルの好みの絵柄をひたすら買って、良い作家さんに巡りあって…の繰り返しだったよ…!!!!(力説して言いたい)
それが今はネットだけで親指だけで出来るんだもんね、作る側が作品も発表しやすいし、見たい側も気軽に見つけやすい時代、良い時代だ。。

ふにゃふにゃ語ってますが、私が何が言いたいのかと言うと、ドストライクな好みなキャラクターで尚且つハマってしまったのには、
彼のバックグラウンド設定が自身と共感してしまって思考が抜け出せなくなってしまった、と言う所にあります。

詳しくは映画を見ていただけたらと思うのですが、私がハマったキャラクターは普通の人間とは違う能力を望まずとも持ってしまったため
“バーニッシュ”と呼ばれている、炎を操れる人類なのですが、それが正に現代社会のマイノリティそのものである、ともコメントされており、
とにかく私は、恐らく自分の気持ちと重なる部分に共感し過ぎて感情移入してしまい、気持ちが解りすぎてそのキャラクターに入れ込んでしまったと言う事だと思うんです。(あと単純に天文学的な奇跡的な計算が成り立つ好みのタイプだったってのもある)

結局私達は皆、自分以外の他者を求めて存在している、
自分以外の他者に自分を理解してもらいたい、受け容れて欲しいと言う願望を持ってそれを潰す事なく生きているけれども、
自分以外の他人にはそれが認められる事は中々無いし、ましては100%に近い形で受け容れてもらえるなんて奇跡に等しい、けれど望んでいる、
それは本能のようなもので、人間が生きていく上での希望の光のようなもの、
でもそれが灯る事は難しく、時にはその光は握り潰されてしまったりする。

私は、少し前、音楽活動初期の二十代前半くらいの頃、それこそ人に対して、他者に失望していたので、もう誰も信じたくなかったし、信じられなかった。
だから物語の中の、小説の登場人物だったり、漫画やゲームの中のキャラクターだったり、実際には存在しない偶像である筈の創作物の中の人間の方が、自分に近いとずっと感じていた。

だって物語の中のキャラクターは、裏切らないのだ。

好きになるキャラクターや登場人物は、
みんな優しくて裏表があったりしない、嘘を言わないし、自分の中の芯の部分をきちんと持っていて、胸には譲れない誇りだってある。
だから安心して好きでいられるし、失望しなくて済む。

何故かってそれが備わっていなければ、物語のキャラクターとして魅力的な人物ではないからだ。
受け取り手に好きになってもらえなければ商品として売れないから、と言うごく当たり前の理由なのだけれど、そこがすごく重要だったりする。

だって人間は急に彼氏が出来たら影響を受けて性格が変わったりを平気で出来たり(本人に自覚はなくとも)、実は裏で嘘を言っていたり、口裏を合わせたりごまをすったり目的のために媚びたり、折り合いを付けたり、しなければならないからだ。
でもそのお陰で私はボロボロになっていた、人なんて他者なんて他人なんて信じられなかった、もう傷付きたくないから信じたくなんてなかった。

小学生の時は人よりピアノが弾けて目立つからと言う理由もあって急に仲間外れにされたり、中学生の時は女子のグループの中で何かがあったりしたし、高校の時は家族が不安定で大変だったし、高校卒業して働き出してからも仕事が出来ないと新人いびりのような事があったり、音楽活動を初めて初期の頃は、前にブログでも書いたけど、お客さんでも頭を勝手に撫でてくる人や、お客さん上がりのイベンターと言われる人に体を触られたりすることもあった。

私にとって二次元だったりこの現実では存在しない世界で確かに生きている人たちは、そんな姑息なことしない、何より信じられる人たちだったのだ。

みんな優しくて、何かを守るために一生懸命だった、時には自分が傷付きながらも、守りたいものを守るために戦って、自らの力を、誇りを貫き通して生きていた。

私はそんな世界の人たちが居たから、どんなに現実世界が辛くても、苦しくても、逃げないで死なないで頑張って生きていたいと思ったのだ。
その始まりは、多分小学三、四年生の頃にハマったゲーム、「聖剣伝説3」だったと思う。
どんなに仲間外れにされても、いじめと言われるような仕打ちをされても、一日だって学校を休まなかった。
私はその時の音楽の先生よりもピアノが弾けたから重宝されていて(指揮専攻の先生だった)、ピアノが他に弾ける人が居なかったから、毎日休み時間でも音楽室でピアノを弾いていた。

ピアノは私の武器だった、ピアノを弾いている時は、私は誰にも疎外されなくて良かった。
自分の居場所を、その時から、自分の奏でる音楽で、作り上げていたのかもしれない。

私には音楽活動の相棒とも呼べる、この人が居なければ活動が出来ない、デザインやイラストやアーティスト写真を担当してくれている出会ってから20年以上の、幼馴染みの女の子と一緒に作品を作り続けている。

彼女は、小学生で一緒にゲームをやったりしていたのが、作り手のクリエーター側に本当に回って、今ゲーム会社で働いてゲームを作っている。

前に一緒にごはんを食べた時に彼女が、
「私みたいにゲームや自分を作り上げてくれた大切な創作物の世界が本当に存在すると心で信じきっている人間からすると、作り手側に回って、実際にどうやって作られていたかなんかを知ってしまうと、それは勿論光栄ですごく良いことなんだけれども、自分の中の心の中の世界に存在しているきらきら光る大切なものが、作り物だったと知る度に、言い方が悪いけど、少しずつ汚れていってしまう」
と言っていたけれど、その時はどう言う意味なのか本当には解らなかった。

今、すごくその言葉が身に染みて解る。

私は恐らく二十代を越えて“大人”になるにつれて、そう言ったゲームや漫画や小説や映画から距離を置くようになっていった。
だって“大人”だからだ。
大人になってまでそんな“ハマって”いる状態でいるのが恥ずかしい気がしたし、そう言うことはいけないことなのだと思い込もうとした。

それが今の自分を作っている大切な大切な要素なのに、今の自分はそう言ったものから作り上げてもらったのに。
私は、今までそれを忘れていたし、気づかない振りをしていた。何て事なんだろう。
恩返し所かないがしろにするなんて。勿体無い。
だって、しょうがなかったのだ、生きていくだけで、生き抜いていくだけで、毎日必死だった。
頑張らなくては、疲れては駄目だと思っていたし、無理はして当たり前だった。
その結果で子宮筋腫が見つかったり、耳菅狭窄で耳がボコボコ言うようになったり、右手のひらの手荒れがずっと治らなかったりするのだけれど。

何か、早い話が“中二病”と言われるのが恥ずかしかったんだよなぁ、と思う。

でも改めて世の中を見てみると、色々分かってきて、
偉い作家だって、凄い画家だって、素晴らしい漫画家だって、売れてるミュージシャンだって、天才科学者だって、宮廷音楽家だって、爆発の芸術者だって、評価されている女優俳優さんだって、
みんな“中二病”だったのだ。
どれだけ“馬鹿になれるか”が大事なんだって、事にやっと気付けた。

心の中のひやっとするもの、うわっと思うような感覚、とにかくやばいもの、そう言うものを膨らませて膨らませて、きらきらする爆発みたいな物に仕上げていく、
だからこの感覚、『うわ、どうしよう、好きかもしれない、好き!!』って言うものは絶対無くしちゃいけないんだって、分かった。

だから昨日(日付的にはもう一昨日)に、7月いっぱいまでチャレンジしている野坂ひかり初のクラウドファンディングのキャンペーンの会社、ミュエボさんの担当者の方との打ち合わせが終わって、
ちょうど渋谷に居たから、二回目の「プロメア」を映画館に観に行ったのだ。

そしたら、映画を観る前は物凄く気分が高揚していたのに、見終わったらしゅーんとなってしまって、
それは何故だろうと分からなかったのだけれど、それを一日経ってやっと言葉に出来るようになった。

一つは、一回目鑑賞のエンドロールで、
知人のアーティスト、会って名刺を渡したことのあるプロデューサーさんの名前を見つけたことだった。

私はやっぱり12年活動している中で、ライブで共演したアーティストがちゃんと売れて武道館に立ったり、紅白に出演したりしている事がたまにあって、そう言うのが無ければ良いのだ。
インディーズで今この活動している世界の中で満足してぬるま湯でも安心安全に浸れていたら良いのだけれど、
嫌が応にもそうしたら、インディーズの今いる場所からでも、そう言う拓けた広い場所に、ヒカルの碁で言う所の『遥かなる高み』にも、道は続いていると言うことを目の当たりにしてしまう。
そうすると、もうぬるま湯に浸っているなんて気持ちじゃなくなる。
今回だってそうだった、私は、自分の存在が物凄く恥ずかしくなったのだ。

エンドロールで頑張っている知人の女の子の名前を見かけてから、どの曲を歌っているのだろうか気になって仕方がなくなって、
しかもその曲が、私が劇中歌で一番惹かれていた楽曲だった、もう運命は侮れない。
めちゃくちゃ良い場面で流れて、その曲の流れるシーンでは泣きたくなる程だ。
しかも私の大好きなキャラクターとシンクロしてるんですよね、、、運命…。

もう避けては通れないじゃないですか、しかも私はその女の子が、どれだけ努力家で行動して来て頑張ってきたのかを知っている。
楽屋で一緒に対バンした時に話した時から、その人柄に純粋なひたむきさに感銘を受けていたから、彼女のワンマンライブもどうしても見たくて足を運んだ。

二回目のプロメアを鑑賞している時、私はとても自分が恥ずかしかった、私も作り手になりたくて、作り手側に回りたくて音楽を作っているはずなのに、そこに届いてない自分が、届くための努力を怠っているのが浮き彫りになって、本当に恥じた。
嫉妬等ではない、妬く所か、足りてない自分に悔しくて悔しくて仕方がなかった。
こんな素晴らしい作品を見たら、見せ付けられたら、私が何かを作らなくても、私なんかが何かを作った所で何の役にも立たない、必要ないんじゃないかと感じて、本当に死にたくなる。
何度も何度もその繰り返し。
何て無力なんだろうと思う、その度に、自分の不甲斐なさや遣る瀬なさを知って、また立ち上がる、一から歩き出す。

今の自分には何が出来るのか、何の努力が足りないのか、もっとどうやったら頑張れたのか、全部全部悔しい中で、やっと解る。
悔しくなくなったら、終わりだと思う。
泣きたくなる。

そして、私は一回目鑑賞の時点でもう物凄くハマってしまったキャラクターを本気で好きになってしまっていたので、彼が辛い仕打ちを受ける作品が、本当に哀しくて仕方なかった。
見ていたくなくて、もう見ていられなかった。

ヤバい方のオタクでヤバい人間だと自覚しているけれど、本当に好きになってしまったら、その人を幸せにしたくなるのだ。
例え現実世界に存在しなくても、二次元だろうと、その世界でその人に幸せになってもらいたくて、何でもやってあげたくなる。
自分がその人と結ばれたりして幸せになりたいんじゃない、その世界でそのキャラに幸せになって欲しい、よく分からないだろうけど、無茶苦茶な純粋さでその人を好きになってしまう。

だから、私は歯痒かったのだ、私が一番こんなにきっと誰よりも今この人の事を大切に想っているのに、何でこの人のために歌うことが出来なかったんだろうって(時系列的にどうしても無理だろうけど…)本気で悔しくて、実力も経験も運も足りてない自分が情けなかった。

私は好きになったら、一度大切に想ってしまったら、物凄い一直線に、とてつもない熱量でそれにそれだけに向かってしまう、それに粘着質だ、中々諦めない。(厄介)

あー怖い。これ改めて書くと超怖い。でも面白いし今しか書けないからいっか。

だから曲を書くんですけどね、その人のために自分にしか歌えない、書けない曲を、私がその人を一番好きだって証明するために、何よりも自分が納得するために、自分が自信持って胸張れるようになるために、曲を書いて誰よりも、その感情が伝わる演奏をする、その曲に込める、その人への想いを。

私は音楽しか出来ないから、私に出来る最大の最高の愛し方は、曲を書いて、自分が演奏するしかない、
それをプロメアに連れて行ってくれた友達に言ったら、
「絵を描けるオタクは絵を描き、小説を書けるオタクは小説を書き、曲を作れるオタクは曲を書くんだな」と言われた、うーん良い得て妙。

私も願わくば絵を描けたら漫画やイラストを描きたかったよ、、、。

でもその人が持ってる美しさや尊さを、私は自分の感性で絶対に曲にしてやる、そしてとても素晴らしい音楽をカバーもして、演奏してこの映画から貰ったものがどんなに素晴らしいのか、伝えて(布教して)いく。


耳コピでピアノカバーアレンジして弾いてみました▼


どんなに辛くて悲しくて、苦しかったか私は知ってる、
望まなくとも受信するように得てしまった共鳴を、自分の意思で制御出来なくて喚くように当たり散らしてしまった感情を、それをしなければ生きていけなくて、どうにかバランスを取って生きてきたことを、やっとの事で作り上げて来た自分の居場所を、守っても守っても零れて壊されていってしまう、どうしようもなくて泣くしか出来なかったこと、取り戻そうと懸命に闘ったこと、戦っても傷付いて利用されてそれでも信じたくなったこと、
信じたくて信じたくて、でも信じられなくて、自分の醜さや汚さや犯してきた罪や過ちに溺れて息も出来なくなるような夜のこと、
痛む体や心を引きずってやっと歩き出す一歩、
何があっても追ってくる闇から逃れるために、追い詰められて追い詰められて、それでも走り続けなければならないこと、
誰に何を言っても解ってもらえなくて嘘だと嘲笑されること、
確かにそこに在るものに、存在しているものなのに無かったことに平気でされること、
私も支配されているようなものだ、
忘れたくても忘れられない、命を救ってくれたような光の灯火に、救われ続け、壊され続けている、今も、今でも。

それでも、生きていかなければならない、
僅かな光とか、希望とか、灯火とかを胸に、闇の中をさ迷って、時には深淵と見つめあって、己を、自己を、他者を、映る水鏡に探す。
手を伸ばしても届かない、すぐに消えてしまう、でもそこには、確かに世界が在る、その水鏡に映っているものを私は知っている、私はちゃんと見て来た、例え触れられなかったとしても。

私はどうしても、一人のひとを思い出してしまう、消えられたら楽なのに、どうしても消せない、消えてくれない、消したくないであろうそれを、信じられない、けど信じたい、実は信じてしまっている。

無理に消せない、その灯火を、私も信じて生きていても良いと、言ってもらえた気がしたからだ。

出会いたかった何かに誰かに出逢えた時、欲しかった物をもらえたように、人は自分を肯定してもらえた気持ちになる。

自分と同じような想いで生きる別世界のキャラクターが居ると知って、猛烈に共感し、その登場人物を理解して、そのキャラクターを信じたり応援したり幸せを願ったりすることで、実際はそのキャラクターを通しての自己までも肯定出来るようになるのかもしれない。
それは作り物かもしれないけれど、ただの張りぼての作り物の世界だけではなくて、魂がこもっている、魂を込めたものは動き出す、そして別の平行世界から、その願いや想いは届き現実世界へ影響して、実際の現実をも動かしていく。

何かを、誰かを、熱量を持ってその世界を作り出せることは、何て素晴らしいものなんだろう、と思う。

そう言う気持ちを、忘れていたものを思い出させてくれる映画だったし、一連の体験だった。

このブログは音楽を担当された澤野弘之さんのプロメアのサントラからGemie(R!N)ちゃん(一度対バンさせてもらった、またご一緒したい、、、)の歌っている「ΛSHES~RETURNS~」と言う曲をひたすらリピートして書いたので、もし興味があって映画を観に行った方は、ぜひサントラも聞いて頂きたいですね。。

歌上手くなるために、本当に努力して練習しようと思いました。
それくらい本当に素敵な音楽で歌声。。

映画で音楽とのコラボレーションの親密さにめちゃくちゃぞくぞくします。

と言う訳で体の中に押さえきれなくて頭がパンクしそうにわやくちゃになっていた言葉を全部形に出来てやっと落ち着いた、、、

以上、オタク気質による映画「プロメア」で人生とかを動かされてしまった話でした。

あんまり連続で見に行くと感動出来なくなっちゃうタイプなので、少し間を開けてまた三回目映画鑑賞したいと思います。

それではおやすみなさい、
長々と最後まで読んでくださってお疲れさまでした。


2019/07/07  野坂ひかり

【野坂ひかりアメブロより再掲載】

このnoteからのサポートは、全て音楽活動に役立てるために使わせて頂きます。 文章が良いと思って下さったら、ぜひお気持ちでサポートして頂けるとこれからも生きていけます。 読んで下さり本当にありがとうございます。