見出し画像

あえて言うなら【平成最後に伝えたいこと】

こんばんは。書くンジャーズ木曜担当 のせ(@nose1119)です!

今週のテーマは【平成最後に伝えたいこと】。ちまたでは平成が終わるということで、「平成プレイバック」的なことが行われていますが、個人的には「平成がなんぼのじゃい!」という感じなので特に感傷に浸ることもなく…なので平成最後だから伝えたいということはないのですが、最近思っていることを2つ書こうと思います。

"ボランティア"って言うのやめてもらっていいですか?

私は数年前から視覚障害者の伴走をしています。

昨年と今年は地元の鹿児島マラソンも伴走者として出走しているのですが、大会前には決まってこういうやりとりがなされます。

相手「今年の鹿児島マラソン出るの?」

私「はい、伴走で出ますよ~。目の見えない方の」

相手「あ、そうなんだ。ボランティア?すごいね」

そう言われて毎回モヤモヤしてしまいます。

Wikipediaによるとボランティアとは「日本において、ボランティアとは一般的に、自発的に他人・社会に奉仕する人または活動を指す。」とされているので、はたから見るとボランティアなのかもしれません。

しかし、どうしてもモヤモヤとしてしまいます。私はパートナーに奉仕しているわけではありませんし、すごいことをしているわけではありません。

一人で走っているだけでは味わえない走る楽しさを教えてもらっています。

パートナーとして、自分だけでは見られない夢を見させてもらっています。

むしろ、こちらが感謝する側です。

なのでお願いですから"ボランティア"って言うのやめてもらっていいですか?


自分である必要はないからこそ一緒にいる意味がある

「おっさんが突然どうした?」と思われるであろう発言をこれからします。

少し前にゼクシィのこちらのキャッチコピーが話題になっていました。

結婚しなくても幸せになれるこの時代に私は、あなたと結婚したいのです。

私もこれ大好きです。大好きなんですが、これとはちょっと違う話をします。

恋愛話において「私である必要性が分からなくなっちゃった」という言葉をよく耳にします。つい先日も同級生の友人が同じような話をしていました。

私は声を大にして言いたい。

「恋愛において、結婚において、自分である必要性なんて元々1ミリも、いや1ミクロンもないんだよ。運命だとか必要性だとか、そんなものないからこそ一緒にいる意味があるんだよ。一緒にいること自体に意味があるんだよ。」

すみません。取り乱しました。

以上です。



サポートいただきましたお金は、サブ3の達成や伴走活動、マラソン・トレイル大会遠征費用等に使わせていただきます!