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世界で一番安全な場所を作る

ちょっとしたことが積み重なった結果パニックを起こし、その勢いのまま友人宅に逃げ込んだのが11月中旬、30歳になる1週間前ぐらいの頃だった。そこから3ヶ月ぐらい友人宅にお世話になって、ようやくそこを離れても安全な場所が確保できる状態になった。

2022年はとにかく母親との関係について考えることが多かった。何故コミュニケーションが上手くいかないのか分からなくて、それがどんどんひどくなっていった結果、私は母親が階段を上がってくる足音が聞こえると緊張し、ギリギリの頃はオンラインのカウンセリングを声を潜めて行っていた。もしも扉の向こうで母が聞いていたら、と思うと、もう自室は安全な場所ではなくなっていた。そんな事実はないのかもしれないけど。

友人宅に3ヶ月も居候をさせてもらって、その間に別の友人の力を借りて、物件を探して、一人暮らしをする部屋を決めた。緊急連絡先は身内にしか頼めず、仕方なく母親に交渉したら渋られた。(渋っていた内容は飛躍が多いので割愛する)。その時、私の身の安全よりも、この実家を守ることのほうが母親にとって大切なことなのだと分かって、ある意味何かが吹っ切れた。

そうこうしているうちに、気が付いたら30歳になっていた。30歳になってしまう、とか悩む間もなくなってしまった。友達がお祝いしてくれて、よく聞きにいっている配信者さんとそこのリスナーの人たちもおめでとうと言ってくれた。
家を飛び出る前、母が誕生日のことを気にかけてくれていたので、一瞬実家に顔を出すことも考えたけど、「何か食べるなら自分で頼んで自分で払って」と言われたので、あ、そんな感じか、と思って戻らなかった。別に祝う気はなかったのか、とそこでも吹っ切れた。

12月頃に荷物を取りに一度実家に戻ったら、自室はもう自室ではなくなっていた。ベッドの上の積ん読は全部消えて、分からない基準で収納袋に入っていた。クローゼットの中は「整理整頓」されていて、枕元には雑に置いてきたキーホルダーのぬいぐるみが飾られていた。これが、母がこうあってほしい私の部屋なのかなと思った。怖くなって荷物をまとめて、ろくに母親と会話もせずに、また友人宅に逃げ帰った。

友人宅でご飯を一緒に食べたときに、ご飯を美味しいと思った。食事が楽しかった。
実家にいるときに食事が楽しいと思ったことは、数回しかないと思う。父が生きていた頃は別のコミュニケーションの難しさが発生していたので、とにかく早くご飯を食べて自室に逃げ込んでいたから。

母を置いて実家を出るということに、今でも罪悪感はたまに生まれてくる。母の話を誰が聞いてくれるんだろうと思う。でも私はその役割をずっとやり続けた結果、簡単に言うととても疲れてしまった。

明日で実家を完全に出て、一人暮らしを始める。何年か前に30歳までに一人暮らしをすると言っていたけど、たまたまそれが叶った。というかそうするしか、私と母は良い関係を築けないということがすごく分かった。母がどう思ってるかは分からない。

母は過干渉なところがあるので、一人暮らしのことについて色々と質問してくるのだけど、「大丈夫です」でかわしている。難しいんだ、一人暮らしする理由が、母と一緒にいるのがしんどいからだとも伝えられないし。

新居は不便な部分も多いけど、明かりがよく入るところが気に入っている。そして、少しだけ実家がある場所と街の雰囲気が似ている。環境の変化が大嫌いな私にとって、街の雰囲気が似ているだけでも安心する。

仕事をしながら部屋を整えるのは本当に大変でてんてこ舞いなのだけど、これまた別の友人がくれた「最高のシェルターにしましょう!」という言葉がすごく嬉しかったので、それを握りしめながら、私が私のために私を守る場所を作っていきたいと思う。

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