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月末もしくはなにかの末をかんじる夜の夢

 Apple Watchつけて初めての夜。
 いつものように本を開いたらあっさり寝落ちてからの1時間後、夜中、夜中2、未明、と4回くらい起きる。認識されなかったらなんかくやしいので無駄に手首をぶんぶん振って覚醒アピールする。そのせいか浅い夢をたくさんみる。新幹線に乗っていると窓から、緑の肌が削られて茶色と灰色の層ばかりとなった、あとひと口くらいなのに奇跡的に立っているケーキ然としたはかなげな風体の禿げ山が見え、そのてっぺんにはなんとか残ってる木々の集まりに竜巻かドリルが通り過ぎたみたいに周囲の枝をよじらせて一箇所だけぽっかり真っ黒い穴が空いていた。そこに目が吸われたので写真に撮ろうとするもスマホのカメラがうまく立ち上がらず逃してしまう。そこを離れて遠目になるとさらにその上に木々の塊が見え、もっと大きな穴が、そこを屋上とした増築を繰り返したちぐはぐな旅館が現れ、と風景の拡張と展開が続き、周りにはもう何もない荒地なのにかつての観光名所のランドマークのように寂しく屹立している建物の遠景、で視界への侵略がようやく収まった。建物には新幹線からでも見えるようにかデカデカとした看板がついており、旅館名は「うしとら」だった。それはなんだかおもしろくないなと思った。
 その村は川流れが生活と物流と工場のラインを兼ねていて見学がてら会館から指定された通路の各窓を覗くと廃車となった日本の新幹線の千切れた車両部分を使って人々が作業場や船にして、いろんな人、物、生活、生産の工程を流しているのが見えた。半分に割れた何かの殻の中身のようにそれぞれを上から覗き眺める。
 実家にいると母が、一度だけ、一度だけだけどお父さんみたのよ、と言い始める。怖くてやめてほしいと思うも母は言い募る。その日に会ったことを身振り手振りで方角や部屋の箇所を指し示しながら、そこで、お父さんが、こんなの、1回きりだったのよ、でも、と吐き出す、そんな話聞いて、この部屋で今、どうしたらいいかわからなくなる。この部屋、それはこの部屋だ。
 疲れてきたしいろんなところに行ったりと思いがけず外に滞在してしまった気がする。気がすると同時に今、横たわっているベッドは実家の自分の部屋だけど、本当は、今はもう無いこともうっすら気づきはじめる。更に飼ってる犬と猫を部屋に置いてきてしまったことにも気づいてしまう。どうしよう?どのくらい空けただろうか?2日?3日?犬と猫は健康と生存を保っているだろうか?最後の給餌を思い出してシミュレーションしようとした途端のおそろしい想像に全身を罪悪感に震わせ焦げるほど焦り出す。

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