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【園館訪問ルポ】「人間のオリ」を再考する──台北市立動物園 「阿美的家」

動物園を訪れると、「ヒトの檻」と称される展示場が設けられていることがあります。年齢も性別もさまざまな人たちが金網に囲まれた空のスペースに入り、思い思いのポーズを取って記念写真を撮影する様子は、お馴染みの光景として定着していると言えるでしょう。

多くの「ヒトの檻」には、動物園の他の放飼場を真似て「人間とはどのような生きものか?」という説明が掲げられています。中には鋭い皮肉が効いていて、はっとさせられるような説明文も。
動物たちを「まなざす」ことに意識が向けられがちな動物園という場において、観客たち自身もまた「まなざされている」ことを意識出来る、インタラクティブな仕掛けと位置付けることが出来るでしょう。

一方で、しばしば「ヒトの檻」が採用している「」というモチーフの含意については、これまであまり言及されることはなかったかも知れません。

台北市郊外、木柵に位置するアジア屈指の巨大動物園、台北市立動物園。この広い園の中で、私は日本の動物園で見られる「ヒトの檻」とは一味違った批評性のある「檻」の展示群に出会いました。

青々と茂る植栽と櫓が印象的なチンパンジー舎。このチンパンジー舎に併設する形で、「阿美的家──回憶圓山」と名付けられた「檻」がありました。


「阿美」は現在この園で暮らす最高齢のチンパンジー。台北市の中心部に近い圓山から、郊外の木柵に園が移転した時代を知る生き証人です。 この「檻」の中には、観覧客から投げられたものなのか、バナナを握りしめる「阿美」のレプリカ像が設置されていました。

「現在の『阿美』は小さなケージの代わりに自然の住居を再現した空間を与えられました。目の前の風景と比べてみましょう。彼女は様々な構築物に登るのを楽しんでいるように見えませんか?」
解説パネルは、「檻」を過去のものとして突き放し、広くなった現在の放飼場を讃えるメッセージを発信していました。


そういえば、チンパンジー舎を訪ねる前に立ち寄った「教育センター」でも、圓山時代の動物園の様子は「檻」のモチーフとともに表象されていました。日本統治下時代の様子は「サーカス≒見世物」、戦後の圓山時代の様子は「金網」、そして現在の木柵移転後の様子は「自然」を背景に展示されています。3期のゾーニングは、それぞれの時代を生きた人々の「動物園」という場に対するイメージを反映しているように感ぜられました。


さらに、「子ども動物園」でも、「狭い檻に入れられたチンパンジー」をモチーフにした遊具と出会いました。

「近年、動物たちの福祉の向上のために、こんな狭い檻は動物園内では見られなくなりました。檻の中がどんな感じかって?ようこそいらっしゃい、気をつけて。」

ここでも、「狭い檻」への強い忌避感が、解説文から伝わってきました。

近年の動物園・水族館等施設では、写真撮影を楽しむ人が増える中で、放飼場の「仕切り」を金網からアクリルに変更したり(アクリル加工の技術革新も大きな要因でしょう)、無柵式の展示を試みる施設も登場しています。
とは言え、柵によって仕切られた展示も、広さが十分であれば、外気を取り入れやすい、前足の発達した動物は金網に捕まり移動することができるといった特色があり、短所しかない訳ではありません。
しかし、それでもなお金網で囲まれたタイプの放飼場が刷新されつつあるのは、「檻」が象徴する世界像に対し、私たちヒトが抱くイメージも大きく作用しているのではないかと感じます。


社会学の祖のひとりであるマックス・ウェーバーは、近代社会に作用する諸力を指して「鉄の檻」という比喩を用いています。官僚制、禁欲的資本主義、合理性支配、管理統制。


社会の在り方がどんどん変化していって、人間社会の産物である動物園の姿も変容していく中、その一角で、「ヒトの檻」はこれから何を映していくのでしょうか。

「過去」を強く印象づける「阿美的家」の中で、私はそんなことを思っていました。

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