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『Good Old Days』

 この話は2020年6月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第152作目です。

 今回も2019年5月に再訪した香港の話の続きを。一年前のこととはいえ、ここ何ヶ月かは毎回おとぎ話を書いているのではないかと思うことがある。世界は一年でこんなに変わってしまうものなのか。緊張や警戒を強いられる日々がまだ続いている。

 前夜の海鮮料理の夕食が豪勢でたっぷりだったので、毎朝目覚めて感じる空腹をほとんど感じなかった。ギックリ腰以外体調は悪くなかったが朝食はパスした。

 朝食を受け付けなかったことに年齢と代謝の悪さを感じてショックを受けた。これまでの香港の旅で食事を抜くということはなかったからだ。

 香港での楽しみを食事が占める部分はかなり大きい。毎回旅の前に現地での食事の回数を把握して、大まかではあるがどこで何を食べるといった計画を立てたものだった。それほど遠い昔ではないのに懐かしく思えて寂しかった。

 早めの昼食は香港らしい場所を再訪してとることにした。その店はここ何回か滞在中一度は立ち寄るようになったところだ。

 尖沙咀からMTRに乗って二駅先の油麻地で降りた。目指す店は廟街といわれるエリアにある。訪れたことはないが店の近くには天后廟という有名な廟(祖先の霊を祭る建物)があるとのことだ。

 初めてその店に行く途中で少々道に迷ってしまい、棺を並べている店がいくつか現れてびっくりしたことがあった。廟街とはそういうことだったのだ。

 今回も油麻地の駅を出てから少々迷った。時間を無駄にしたくなかったので何かの店の前に椅子を出して座っていた地元のおじさんに店のショプカードを無言で見せた。おじさんが指差した先を見ると目指す店はそこにあった。

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おじさんに見せたショップカード。前回再訪時に入手したものを日本から持参しました。おじさんに見せた表(上)は右から左に読み、裏(下)にはお店の名物が。左から右に読むのだと思います。趣がありますね。     廟街は「Temple St.」となるのですね。ちょっと感心。

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おじさんの指の先にあった美都餐室。約7年振りの再訪となりました。 「美都餐室」の読み方は写真をヒントにしてこの話を読み進めてください。

 美都餐室を知ったのはトラベラーズノートのプロデューサー飯島淳彦さんのブログだった。世界中にあるトラベラーズノート制作スタッフ御用達の店のひとつだ。ブログを読んでここを初めて訪れたのは2009年。2012年にも再訪している。

 店の入口に立った途端にこれまでの記憶が一気に甦ってきた。勝手知ったる行きつけの店よろしく、入口横のレジのおじさんにこちらは二名で上に行くよと合図をして奥の階段へ向かって店の中をズンズン歩いて行った。

 狭い階段を上がると窓際に並んだボックス席とフロアのテーブル席が視界に飛び込んでくる。窓際のボックス席のひとつに通された。その顔に見覚えのある店長らしき男性がすぐにメニューを持ってきた。

 私はコーヒーとサンドイッチを、母は紅茶と前回食べて美味しかったという絶品の「焗琲骨飯」(無理やり訳せば“グリルド骨付き豚肉ご飯”だろうか)を注文した。

 コーヒーが来た。「茶餐廳」(チャーチャーンテーン)という形式の店では、“BLACK & WHITE” という練乳のブランドのロゴが入ったカップとソーサーでコーヒーや紅茶が供されることが多い。日本の食堂でビール会社のロゴ入りジョッキでビールが出てくるように。このカップとソーサーがローカルで庶民的な店にいることを実感させる。

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茶餐廳ではどこでもコーヒーはこんな感じなのでしょうか。このカップとソーサーは何客か欲しいと思いました。手に入るなら香港好きへのお土産にいいかも知れませんね。

 コーヒーを飲みながら窓の外に目をやると、緑のネットが張られた学校のグランドらしきものが見えた。店の中に目を移すと、食事をしているのは近隣の人たちと見受けられる人ばかり。時刻がお昼を回るとボックス席もテーブル席も全て埋まっていた。手元にガイドブックがあるのは我々だけだったが香港の人たちの普段の生活に溶け込んだ気がした。

 香港の人たちは街を忙しく歩き、働いていても食事をしていても慌ただしい印象だ。しかし、美都餐室ではここも香港なのかと戸惑うくらい時の流れがゆっくりだ。時間とともに居心地の良くなるのはその所為だろう。

 注文したものが全てテーブルに並んだ。料理はどれも「店で食べる香港の家庭料理」という感じで親しみやすい味だ。サンドイッチひとつとってもホテルのコーヒーハウスで出てくるよそ行きのものとは違う。肩の力が抜けて胃も落ち着く感じだ。

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サンドイッチはこんな感じでした。具ははっきり覚えていません(苦笑)。ツナとハム&チーズだったかも知れません。耳が残っているところにB級感が(笑)。美味しくいただきました。次回もまた食べたいと思います。

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母が注文した「焗琲骨飯」。前回とはちょっと違いました。「焗琲骨飯」の四文字はショップカードの裏にもあります。やはり名物なのでしょう。

 高級ホテルのコーヒーハウス、名物の海鮮料理、現地の人たちが普段の生活の中で普通に食べているものなどを、自分のタイミングで好きなときに楽しむのが旅。特に香港は美味しいものが溢れていて楽しみ過ぎてしまいそうだ。

 「茶餐廳」の定番中の定番であるマカロニスープを前回ここで食べた。魚の出汁がキツ過ぎて完食ならず。「茶餐廳」ということを意識しないで以前入った別の店で食べて美味しかったので期待していのだが・・・。以来美味しいマカロニスープに再会していない。

 せっかくなので麺類も食べようと五目そばを追加した。運ばれてきた五目そばの出汁も前回のマカロニスープと同じ味がした。少しぬるくもあった。近所の方々は普通に食べているのだろうが箸は進まず。何を食べても美味しい香港でもこういうことがある。

 学生時代にロンドンのソーホーの中華街で食べたぬるいスープヌードルを思い出した。香港がイギリスから返還されて20有余年だが、ここにはまだ「英国」が残っていたと思うことにした。

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出汁に再び悲しい思いをさせられた五目そば。芝海老、ポーク、骨つきのチキンが中に。この組み合わせであの味が・・・なのでしょうか。 

 この美都餐室も「茶餐廳」に分類される。「廳」という漢字は日本で我々が使っている「庁」という字になる。これで店のスタイルのイメージが湧く方もいらっしゃるだろう。メニューは中華料理から洋食まであり、朝食から夕食まで食べられるのが「茶餐廳」。広東式のファミリーレストランというところだろう。 

 「茶餐廳」の形式は1970年代に香港で始まったらしい。美都餐室が「美都茶餐廳」でないのは創業がショップカードにある1950年だからだろう。

 美都餐室を初めて訪れたときは名物のフレンチトーストを食べた。旅の記録に、「また来るかといったらビミョー。しかし、通い詰めて常連になったら意外と居心地のいい場所になるかもしれない」と書いていた。

 2012年の再訪で絶品の「グリルド骨付き豚肉ご飯」に出逢えた。スープに泣かされても、落ち着けて、香港の日常を感じられて、まだまだ知らないメニューがたくさんあるから足を運んでしまう。

「茶餐廳」は香港各所にある。老舗も健在の様子。ワゴンで運ばれてくる飲茶と同様に次回は「茶餐廳」巡りも計画してみようと思う。返還前の自分なりに楽しかった香港がまだたくさん残っていそうだ。

2020年4月、弟が朝刊のウェブ版にあったある記事のコピーを送ってくれた。デモとコロナウイルスの影響で香港の飲食店が次々と臨時休業に追い込まれていて、香港好きなら知っている店の名前がいくつかそこにあった。その中に美都餐室の名前も。

 コロナより先に深刻だったデモで観光客が来なくなり、コロナでの外出自粛で香港の人たちが外食を控えた影響だろう。観光客の増減はあまり影響しないと思われる地域密着の美都餐室だが、毎日普段使いをしてくれる常連たちが来ないとなると厳しい。

 客の増減に関係なく店を開けるとなると、多岐に渡ったメニューのための食材の仕入れも相当なものだ。やはり存続のためには臨時休業ということになるのだろうか。

 コロナとの付き合い方が少しずつ見えてきている。しかし、デモはここ最近また激しさを増している。臨時休業のまま完全閉店は絶対に避けて欲しいと心から願う。

 美都餐室ではまだ自分の定番メニューが見つかっていない。香港再訪の度に訪れる必要がある。歴史がいっぱい詰まった店に「古きよき日の思い出」になってもらうにはまだまだ早すぎる。

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ランチや食事の間に小腹が空いたときはもうこのくらいの量で十分なのかも(苦笑)。また美都餐室でこうしたゆったりとした時間を過ごしたいです。

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今回入手したショップカード。表(上)も裏(下)もデザインが変っていました。経営者が代替わりしたのでしょうか。前回美味しく食べたトラベラーズノート制作チームも絶賛の「焗琲骨飯」は裏(下)にカラーで。メニューを見てオーダーしたのですが(苦笑)。ギックリ腰→あのスープ→ちょっと違った「焗琲骨飯」・・・そういう旅だったでしょうか(苦笑)。

追記:

1. 前回2012年の美都餐室再訪に関しては「私の発作的週末旅行」を是非ご笑覧ください。

2. この香港再訪の旅に関してはこれまで「初めてと久しぶり」「旅先で食べたもの・15」「変わらない」「初店」「蝦蛄(シャコ)」というタイトルで書きました。未読の方は是非。


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「おとなの青春旅行」講談社現代新書                「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿


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