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『お年玉』

 この話は2014年1月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第75作目です。

 お年玉を最後に貰ったのはいつだっただろう? 恐らく20歳を過ぎても社会に出るまでは祖母から貰っていたと思う。一般的には社会に出て働くようになるともちろん貰えなくなり、どちらかといえばあげるほうに立場が変わる。

 ところが20歳を何年か過ぎてから再び何年間かお年玉を貰える時期があった。

 25歳くらいから台湾、香港、シンガポールの同僚達と仕事をするようになった。ほぼ毎日電話やイントラネット(社内でのみ接続があるインターネット)で何らかのやり取りがあり、ほぼ毎月一回各々が日本へ来たり、私が現地へ行ったりして顔を合わせていた。一緒に仕事をしたのはそれぞれ現地の方々で、皆さん先輩であり、さらに偶然全員女性だった。

 こちらでも現地でも仕事は仕事でキッチリと済ませ、仕事が終われば一緒に、ときにはその方の家族の方々も加わって食事をする間柄であった。その光景は姉達、姉の義理の家族達と一緒に食事をしているようであった。(実際に私には姉はいません。従姉は何人かいますが・・・。)大人数で食卓を囲むという中華系の方々らしいその雰囲気はいま思い出しても楽しくて温かくて顔がほころんでくる。今でも弟のように可愛がっていただいているので、これはあながち間違った例えではないだろう。

 台湾、香港、シンガポール・・・お年玉? と聞いて、それぞれ中国系なので、勘のいいトラベラー各位なら“紅包”(ホンパオ)のことだとすぐに思いついただろう。

 お年玉、すなわち紅包をしばらくの間いただいたのだ。ご存知の通り、中国の・・・というか中華系の文化にも日本のお年玉と似た風習がある。読んで字の如くお金は赤い袋に入っている。赤い袋はお年玉のときに使われるぽち袋と同じ用途だ。

 何故紅色なのかというと、紅色は中華系の人達にとって幸福とか吉兆を表す色だからだそうだ。この話を書くに当たって、今でも交流のある台湾の方々に紅包について伺ったのだが、その際に幸福や吉兆を願う意味が込められているフレーズも教えていただいたので、以下列挙する。(横に読んで下さいね。念のため。)

新年快楽

恭喜發財

長命百歳

我々日本人でもその字面だけで十分意味が分かるフレーズだ。

 お年玉との共通点は、中華系の人達にとっての新年である旧正月に目上の人から年下の者へ渡すところだ。目上の人から年下の独身者へということで貰っていた気がしたが、最近調べたところによると、未婚既婚は関係あると教えて下さった方も、関係ないと教えて下さった方もいた。親元から独立している人は逆に目上の方々に差し上げるのだそうだ。

 私の場合当時既に親元から独立していたが、独身であり、彼女達にとっては親戚の子くらいの感覚だったのだろう。彼女達の文化・風習の一つを私に知ってもらいたいという意味もあったと思う。

 私がいただいたそれぞれの紅包には、現地で使われている紙幣ではなく、USドルが入っていた。きっと使うならどこでも使えるようにという私に対する心遣いだったのだろう。手元にUSドルがあるなんて、いかにも当時の仕事の状況が現れていると改めて思った。でも台湾から頂いた分に関してはニュー台湾ドルでいただいていたかもしれない。何しろ頻繁に仕事で訪れていたので。

 お年玉と紅包の大きな違いをあえて挙げるならば、それは包まれる金額の違いだろう。紅包にはお年玉みたいに、親戚の人数が多ければ多いほど子供達が “荒稼ぎ” できるような額は包まれていない。

 最後に紅包をいただいてからもう何年も経っている。入っていたお金は、旅先で切るチップの額にちょうどよかったので使ってしまったとしても、いただいた袋は取っておいてあるはずだと思い、この話を書くに当たって家の中をあちらこちら探した。しかし残念ながら見つからなかった。

 実物の紅包の写真を撮ってここに載せて、この話を読んでいただく各位にその雰囲気をもっと伝えたかったが、残念ながら叶わなかった。

 赤い袋の金色の字で “福” など縁起のいい字が書かれている袋だ。中華系の方が経営している中華料理屋へ行くと“福”の字が壁に逆さまに貼られている光景を目にされた事がある方も多いと思う。あの雰囲気、あの字体のものである。ああ、あんな感じかとトラベラー各位なら何となく想像が付くかもしれない。日本でぽち袋の代わりに使うためとか、縁起が良さそうだからと台湾等でお土産として買う日本のトラベラーも少なくないようだ。

 今でも可愛がってもらっているその “アジアの姉達” も、当時とはそれぞれ仕事や生活が異なっている。私が年齢を重ねた分、もちろん彼女達も年齢を重ねている。以前のように一同に会すことはない。実際に会うとなると私が訪れた場所にまだいらっしゃればの話だろう。その訪れる時期が旧正月の前後だったら、日本のぽち袋でお年玉を作って渡そうと思う。受け取ってはくれるだろうが、中華系の人達だからきっと、「そんなことしなくていいからもっと食べなさい」と相変わらず私を子供扱いしながら、昔と変わらない笑顔で食事を勧めてくれるのだろうな。時期に関係なく久し振りに会えたとして、そのときに昔と変わらないそういう扱いをしてくれることが、今の私にはありがたい紅包かもしれないなと思った。


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