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『巡り巡って・・・。』

 この話は2014年4月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第78作目です。

 1993年の1月の下旬に休暇を取って独りでハワイへ行った。どうしてその時期に休暇をとって独りで行ったのかは覚えていない。しかし、これから書く話の始まりはこの旅だった。

 幼い頃から何度も訪れたハワイで、この旅ほど思い出深いハワイはない。三泊五日の滞在中天気はずっと雨。陽が射したのは滞在中ほんの数時間だった。いくら雨期のシーズンでもそれはないだろうと思ったくらいだった。傘をさして歩くワイキキほど味気ないものはなかった。アラモアナショッピングセンターのBANANA REPUBLICで買ったブルーの半袖のボタンダウンのシャツに買ってすぐ袖を通した。雨に濡れて色が出て身体が青くなってしまった。肌を小麦色にする前に真っ青になってしまい、これは洒落なのかと思ったのを今も覚えている。ちなみにそのボタンまで青く染まったシャツは今でも半袖の季節になると着ている。

 滞在したホテルはモアナサーフライダー。当時はシェラトンだったが、現在はウェスティンが経営している。ここはピンク・パレスと呼ばれているロイヤルハワイアンと並んで滞在したかったホテルの一つだった。きっと年末年始の繁忙期と春の卒業旅行のシーズン前で安く滞在できたため、その時期にこの旅を決めたのかもしれない。

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後にハワイを訪れたときに再び購入し、親しい人達がハワイへ旅行する際に頼んで何度か買ってきて貰ったほど大好きなポストカードブックです。私にとってモアナサーフライダーといえばこれですね(笑)。昔ハワイ好きの友人の一人が目も当てられないほど落ち込んでいたときに、これに手紙を添えて贈ったことがありました。少し笑顔が戻っていました。歴史を感じさせる素敵なポストカードが満載です。問い合わせてみましたが現在は取扱いがないとのことでした。

 トラベラー各位は “ GULLIVER “ という旅行雑誌があったのを覚えていらっしゃるだろうか。所謂バブル期に刊行されていた旅行雑誌なので、特集も広告も豪華だった。この雑誌の存在は知っていたが、興味を持ったのは休刊直後だったので、すぐにバックナンバーを揃えられるだけ揃えた。古書店ではなく、やや大きな書店で綺麗に揃えていたところが渋谷にあったので、休みの度に訪れて少しずつ揃えていった。

 このハワイの旅にその “ GULLIVER “ のハワイ特集を持って行った。著名人達のハワイでのお気に入りの過ごし方や必ず訪れるお店等がたくさん載っていた号だった。一つやってみたい過ごし方があったが、当時の自分の年齢を考えると少々もったいない過ごし方だったので、もう少し年齢を重ねてからにしようと思った。その考えは今でもまだ変わらない。

 記事の一つにあったパンケーキのお店へ朝食に行きたくなった。現在は少々落ち着いたように見える都内でしばらく続いていた “パンケーキ狂想曲 “ が勃発する20年以上も前の話である。雨の中探し歩いたが結局目指したその店には辿り着けなかった。多分移動したか閉店したかだったのだろう。

 インターネットが一般に普及するのはもう少しあと。雑誌が出る頃にその情報が既に古くなっていたことは当時よくあったと思う。記事にある住所を見せながら何人かに尋ねた記憶もないので、それほど食べたいとは思っていなかったと思う。思い返して見ると、そのときの天気といい、目的地に辿り着けなかったことといいつくづくツイていない旅だった。

 翌々年会社の同期の結婚式が重なりまたハワイへ行った。滞在中結婚式に二つ出席した。その旅行でも同じハワイ特集の “ GULLIVER “ を持参した。ホノルルへ向かう機内で前の席に座っていた同僚のO(「お使い」に登場している同僚にひとりです)←リンクお願いします。にその本を貸した。ホノルル到着後移動の車に乗り込む頃に本が手元にないことに気付きOに尋ねると表情が一変し機内に置いて来たと言った。私が持参したものではなく、機内にあったものだと思っていたのだ。少々手を尽くしてみたが見つからなかった。

 ツイていなかった旅のお供をし、個人的には少々辛く切ない思いをしたそのハワイ旅行で姿を消したその雑誌はバックナンバーでも入手困難だったので(旅行雑誌のハワイ特集はどの雑誌も他の特集に比べて売れるらしい)、そのときは少々残念に思った。しばらくは、その号の故百瀬博教氏の旅のエッセイ「空翔ぶ不良」はどの話だっただろうかとか、その回の安西水丸さんのイラストはどのような絵だったろうかと少々未練が残った。

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20年前にホノルル行きの機内で失くした雑誌が2014年の今なぜ手元に? 詳しくは続きをどうぞ(笑)。

 そのときから5年経って、あの故百瀬博教氏と邂逅した。その後何度もお会いするようになり、何度もお邪魔した氏の事務所で、一日そろそろ失礼しようとしたときに氏がちょっと待てと仰って奥に消えた。絶対に手ぶらでは人を帰さない方だったので、また何か下さるのだろうかと思い待っていた。戻っていらした氏がこれを持って行けと仰って差し出した氏の手には、一目でまだ誰もページを繰っていないのが分かるピカピカの、ホノルル行きの機内で別れたものと同じ雑誌があった。

 心底驚いてこの雑誌に纏わる経緯を全く知らないはずの氏に口疾にその経緯を話した。そんな私を見て、氏は独特の高笑いをしてその偶然を楽しんでいた。失くしたことさえすっかり忘れていたその雑誌を、その雑誌の中で一番好きな連載である旅の話を書いていらっしゃった方から直接いただくなんて、思い返すと旅の神様もサプライズが過ぎる。

 しかし、氏は何で持っていたのだろう?氏は自身が書いたものが載った雑誌は毎号必ず確か50冊から100冊出版社から届けさていた。毎号遠方にいる親しい方々に近況報告として送り、外出時には数冊携えて出先で意気投合した方々に名刺代わりにあげていたのだ。“ GULLIVER “ のこの号もそうして用意されたたくさんの雑誌の中にあったのだと思う。

 いろいろな雑誌がたくさんある中で氏が手に取ったのがどうして     “ GULLIVER “ で、いろいろなところが特集された数々の号がある中でどうしてハワイを特集したこの号だったのだろうか。旅の神様のアレンジだとしか考えられないとこの話を書いていて改めて思った。

 手元にある1992年に発行されて1994年に失くしたものと同じその雑誌はほぼ1992年に発行されたままの状態で手元に戻ってきた。いただいてすぐに一度は数ページ程繰っただろうが、その形跡は見られない。あえてしなかったのだと思う。

 この話を書くに当たって、辿り着けなかったパンケーキのお店や、当時いつかやってみようと思った過ごし方がどのように書かれていたか、「空翔ぶ不良」の内容とその回のイラスト等をチェックしようと思ったが、あえてしなかった。中にはインターネットが現在ほど一般に普及していない1992年の空気が凝縮されていて、当時最新だった旅の情報等も閉じ込められているはずだ。自分の身の回りがさらにインターナショナルになり始めたのも 1992年だった。2014年のいまページを繰ることによって、何だかそれを壊したくなかった。それに、振り返ることはこれからだっていつでもできるし。

 巡り巡ってピカピカになって戻って来たその雑誌は、旅の神様からのGoサインが出たと思うまで持ち出し不可にしておこう。再び持ち出すのは久し振りにハワイを訪れるときだろうか。もしそうなら、その旅は旅の神様が天気を初め何もかも私にとってそこそこ恵まれたハワイの旅にしてくださるときだと信じたい。



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