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『訪れた証・7 』

 この話は2018年2月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第124作目です。

 正月休みに読書に飽きてインターネットでニュースをチェックすると、ニューヨークが寒波に見舞われていることを知った。ニューヨークの寒波のニュースに接すると、ニューヨークとほぼ同じように季節が移り変わる東京に住んでいる私は、季節は冬の真っ只中なのだと実感する。しかし、そんな悠長なことをいっていられないくらいにかなり大きな影響が交通機関とライフラインに出ていた。

 冬は雪との戦いの毎日である雪国の人たちから見たら“そのくらいの雪で・・・”と思うに違いないわずか数センチの積雪で東京は大騒ぎになる。慣れない雪道に都内のあちらこちらで多くの人が足を滑らせてケガをし、交通機関に影響が出て通勤通学がままならなくなる。その一連の騒ぎが夜のトップニュースになる。東京はもうしばらく寒さと雪の心配をする必要がある・・・と書いた2日後に、東京は4年ぶりの大雪に見舞われた。

 昼過ぎから降り始めた雪はどんどん積もって行った。各所で早めの帰宅が促されたが、交通機関に影響が出て帰宅が困難になった人もかなりいた。結局積雪は20センチを越えた。その大雪から2日後に、東京23区には33年振りだという低温警報が出た。以来最低気温が氷点下の日々が続いている。

 もの持ちがいいほうなので、持っている防寒着は全て10年以上着ているものばかりだ。必ずしも毎年全てを着ることはなく、それぞれ思い出したかのように何年かに一度ということが多い。持っていることをすっかり忘れていて、過去に何回も着ていながら、久しぶりに手にとった際にこんなのを持っていたのかと思うことも少なくない。

 この冬は主にどのジャンパーを着ようかとクローゼットをのぞくと、ブルーのジャンパーが目に留まった。これにしようと手にとった途端、いまから5年ほど前にジッパーが壊れてそのままにしておいたことを思い出した。

 このジャンパーを買ったところはニューヨーク。1991年に当時約3年振りに訪れたときだった。訪れたのは9月下旬だった。そのときは社会人になって2年目で、その旅は同僚のWと一緒だった。まだ新しかったボーイングの747-400に乗って成田から飛んだ。現在ではニューヨーク在住30有余年になる従姉夫妻と再会して会食したり、大リーグのニューヨーク・メッツの試合を観たり、グリニッジ・ビレッジを歩いている際に飛び込みで入った外にもテーブルを出しているイタリアンのお店で、食事中勧められるたびに一回も断ることなくパンをお代わりしたり、従姉夫妻との夕食に向かう地下鉄の中で黒人同士の喧嘩を見たり、楽しいこともびっくりしたこともあった旅だった。

 ニューヨーク滞在中の一日、従姉が私とWを昼食に招いてくれた。場所は従姉が勤めていた会社が入っていたワールドトレードセンターの中にあるメキシコ料理のお店だった。食事に行く前にオフィスを訪ね、受付嬢に来訪を告げてしばらくすると従姉が出てきた。当時社会人2年目の私は、従姉に会うまでに人を介して少し待たなければならない流れに、従姉は出世したのだなと思った。

 レストランで通された席からはハドソン川が見渡せた。時折小雨に見舞われた天気だったが、いい眺めだった。休暇で来ていることを言い訳にして昼からコロナを飲んだ。そのメキシコ料理のお店に行く途中に書店が一軒あった。ロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープの映画の舞台となった書店の支店だった。美味しかったメキシコ料理のそのお店も書店もワールドトレードセンターごと無くなってしまったことがいまでも信じられない。

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手元にあったワールドトレードセンターが存在していた頃の絵葉書。   この風景はもう見られないとなると複雑な気持ちになります。

 この旅では初めてNHL(プロのアイスホッケー)を運良く観ることができた。アメリカでは、ご存知の通り、ベースボールのシーズンが終盤を迎えると、フットボール(NFL)が始まり、バスケットボール(NBA)、アイスホッケーも後を追うように新しいシーズンが始まる。現在はサッカーもあるが、ほぼベースボールのシーズンと重なっている。

 観ることができたのは地元のニューヨーク・レンジャーズと、メキシコ料理のランチをご馳走になったときに目の前に広がっていたハドソン川を挟んだ対岸のニュージャージーを本拠地としているニュージャージー・デビルズとのプレシーズンマッチ(プロ野球でいうところのオープン戦)だった。

 試合会場はMSG。そう、あのマディソン・スクエア・ガーデンだった。マディソン・スクエア・ガーデンというと、トラベラー各位で私と同じように小中学校時代が昭和だった方はあのスポーツバッグを思い浮かべる方が多いと思う。私はスポーツバッグよりも、小学生の頃テレビの衛星中継で観た同時大人気だった藤波辰爾選手のプロレスの試合を思い出す。リングアナウンサーの手元のマイクが天井から降りてきているところに、幼いながら外国を見た気がした。

 マディソン・スクエア・ガーデンは、現地では単に”The Garden”とも呼ばれ、マンハッタンの31丁目から33丁目にかけて建っている大きな建物だ。真下は郊外とマンハッタンを結ぶ電車が離発着するペンシルベニア駅、通称ペン・ステーションだ。学生の頃一夏過ごしたロングアイランドからマンハッタンを目指した電車はここに着いた。その3年前にAC/DCのライヴを観たのもマディソン・スクエア・ガーデンだった。 

 NBAのニューヨーク・ニックスのホームコートでもある。2018年の現在では珍しくはないが、コンサートでは客席になるフロアが、バスケットボールのときはフローリングになり、アイスホッケーのときはアイスリンクになるなんてアメリカってすごいなとそのとき思った。1つの施設を何通りにも使う発想に恐れ入った。当時から同じような使い方をしているところがアメリカにはいつくもあることを知るのはもっとあとの話だ。

 宿泊していた45丁目にあるルーズベルト・ホテルからマディソン・スクエア・ガーデンまでは徒歩で行った。45丁目からマディソン・スクエア・ガーデンのある30丁目あたりまで歩くことは全く苦ではなかった。マンハッタンは歩道も区画も整備されているので歩きやすく、道に迷うこともなかった。感覚的には日本橋から銀座まで歩くのと同じくらいだった思う。

 入場前にレンジャーズのキャップを購入した。アリーナに入る際にチケットを出すと、私が冠ったキャップを一瞥した係員が、”Welcome, Sir.”といいながら私のチケットをもぎり、半券を渡してくれた。キャップを持ってすらいなかったWには対しては無言・・・いや、愛想笑いくらいはあったかもしれない。

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手元にまだそのときのチケットが残っていました。全体がよく見えた席でしたが、30ドルもしたことを改めて知りました。

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チケットを買った際にチケットを入れてくれたのがこの封筒です。この封筒に半券が入って残っていました。キャップは探しましたが、出てきませんでした。

 プレシーズンマッチとはいえ、両チームの選手は真剣で、試合中乱闘が数回おきた。レンジャーズの選手の一人は口から流血していたのをいまでも覚えている。練習試合なのに何故?と思ったが、恐らくレギュラーシーズンで所謂一軍に残れるか否かがかかっていた選手が多く出場していたのだろう。これから始まる新しいシーズンを待遇のいい一軍で過ごせるかどうかがかかっているのだから真剣だったのだ。

 日中は暑さが多少残っていたが、さすがに9月の下旬だったので陽が沈むと肌寒かった。アリーナ内はアイスリンクがあるために薄着では寒かった。それでも席までアイスクリームを売りにきたのには驚いた。アメリカ人の皮膚感覚はどうなっているのだろうと思った。そういえば、その旅では当時のシェイ・スタジアムで大リーグのニューヨーク・メッツとピッツバーグ・パイレーツの試合を観た際に、雨が降るなか席までよく冷えたビールを売りにきた。

 生まれて初めて観戦したアイスホッケーは面白かった。ベースボールのシーズン以外でアメリカを訪れても、観て楽しめるスポーツをもう一つ発見したと思った。以来レンジャーズの試合結果を日本でも気にするようになった。

 NHLの雰囲気がよかったことも手伝ったのか、翌日マディソン・スクエア・ガーデン内のショップでレンジャーズのジャンパーを買った。それがこの冬の防寒着として久しぶりに袖を通そうと思ったブルーのジャンパーである。

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約27年前に買ったものにしては綺麗に残っていると思いませんか?   もう少しふかふかしていましたが、さすがに年月が経っているので・・・(苦笑)。胸のレンジャーズのエンブレムと袖のNHLのエンブレムはこのような感じで刺繍されています。

 帰国後しばらくして冬になった。一日そのジャンパーを着て出社して職場の自分の椅子に掛けておいた。席を外してしばらくして戻ってくると、他の部署の先輩が別の社員と話しながらそのジャンパーを着て立っていた。あまりにも温かそうだったから思わず袖を通させてもらったと恐縮しながらおっしゃった。他の部署の別の先輩は、同じようなジャンパーが欲しくなり、休暇で行ったグアムだったかサイパンだったかで、アメリカのプロスポーツのアパレルを売っているお店で探したが見つからなかったとおっしゃっていた。そりゃあ本土ではないので、ベースボールやフットボールのものはあってもアイスホッケーまではないでしょと思いつつ、それは残念でしたねといった私の表情は小鼻が膨らんで得意げだっただろうと思う。

 最近そのジャンパーを見た弟が、“あっ!学生のころさんざん借りたやつだ!懐かしいね~。まだ着られるんだ?“といった。改めて自分のものもちの良さを知った気がした。冬は寒波がやってきて半端ではない寒さに襲われるので、ジッパーの上にさらにボタンをして防寒できる作りになっているのだろう。東京の寒さなら、ジッパーが壊れていても、ボタンだけで前が留まっているだけでも十分に防寒になる。まだまだ着られそうだ。

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ジッパーはこのように壊れました。しかしジッパーを覆うようにボタンが付いているのでまだまだ着られます。

 今シーズンのレギュラーシーズンを勝ち越したレンジャーズは、プレーオフ進出には及ばなかったようだ。この話を投稿する日の翌日に関東地方は再び大雪の恐れがあると報道されている。今シーズンのレンジャーズは残念だったが、ジャンパーが東京で私のために活躍してくれるはずだ。

追記:

1. ここ何年か残念なニュースが続いているAC/DCをニューヨークで観た話は「22年」というタイトルで以前書いています。合わせてご笑覧ください。

http://www.midori-japan.co.jp/post/TRAVELERS/cv/e01abf54be8a

2. 一緒に旅をしたかつての同僚Wは、在職中からお互いに年賀状などのやりとりはしていませんでした。他のかつての同僚たちからもWのことは聞こえてこなくなって久しいです。弟さんへのお土産だといって、大リーグのシンシナティ・レッズのロブ・ディブル投手のユニホームを何故かニューヨークで買い、お土産なのに早速ホテルの部屋で着てしまっていたWを懐かしく思います。


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