『距離・1』

 この話は2008年7月に書いてトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第10作目です。

 学校が夏休みに入ったためか毎朝の通勤電車も多少空いている気がする。会社でも夏休みを取る人が出始めている。ガソリン価格の高騰で例年より旅行客が減ると言われているが、今年も多くの人々が国内外の様々な場所で夏休みを過ごすことだろう。
 社会人になってから十数年は職種の関係上夏休みらしい夏休みはほとんど取ったことがなかった。そんな中で一度だけ8月初頭に有給休暇を取ったことがあった。
 やっとの思いで有給休暇を取って出掛けていった先はアメリカのミシガン州デトロイト。一般的に休みを取ってアメリカへ出掛けて行くならニューヨークやロサンゼルス、夏休みならフロリダあたりではないだろうか。ほとんどの人がデトロイトに何か面白いところがあるのかと疑問に思うだろう。 
 1992年8月に結婚式に出席するためにデトロイトへ行った。結婚するのは学生時代の英会話の先生Lindaだ。Lindaとの出会いは学生の時に通っていた英会話学校だった。
 担当の講師が病気か何かで休みその代講に来たのだった。何故か親しくなり、そのクラスが完了した翌年はLindaのクラスの生徒になった。当時結婚前のご主人のJ.R.と共に日本に来て英語を教え貯蓄をしつつアジアを旅していたようだった。日本に居る時はホームパーティーに生徒で呼ぶのは僕だけというくらい可愛がっていただいた。
 やがて僕は大学を卒業して就職し、LindaとJ.R.はアメリカへ帰った。それから約2年して結婚式の招待状が届いた。海外での結婚式に出席するのは僕にとって初めてであった。
 10数時間のフライトを経てデトロイトに着いた。デトロイトについて知っていることと言えば、「自動車産業の街」、「Detroit Tigers」、「KISSの “Detroit Rock City」、「モータウン・ミュージック発祥の地」くらいだった。ダウンタウンの場所によっては結構危険でニューヨークより危ないということも伝え聞いていた。
 そんな印象を持ちながら空港を出て出席者達のために用意されていた郊外にあるSheraton Hotelへタクシーで向かった。結婚式はLindaとJ.R.のデトロイト郊外にある自宅で行われた。空港から車で45分位のところにある郊外のSheratonはHotelというよりはInnという感じだったが快適であった。郊外だったためか事前に抱いていたデトロイトに対する危険なイメージは綺麗に払拭された。
 ホテルに着いて間もなく、無事到着した旨をLindaに電話して知らせた。ゲストの一人が本当に遥々日本からやって来たことが嬉しいというのが電話の声から感じられた。
 買って間もない家を見せたいらしく、すぐにホテルまで迎えに行くと言われた。本当に「すぐ」迎えに来てくれて、ホテルから車で10数分の所にある自宅へ案内して貰った。
 庭続きに湖がある素晴らしい家だった。庭は半端な広さではなく所謂「ガーデンレストラン」が十分開けるくらいの広さだった。翌年にはボートを買ってデッキも作ると言っていた。
 驚いたのは両隣の家との間に塀も何も無いことであった。隣との境界線はどこなのかLindaに聞いたところ、「多分あの辺」と言って一本の木を指差した。そのおおらかさが何とも言えずアメリカ的な感覚に思えた。
 毎年夏休みはここで過ごさせて貰おうと思ったくらいに夏は心地よいが、冬は厳冬になり、目の前の湖は天然のスケートリンクになるという。
 アメリカには結婚式前日には男性・女性に分かれて「独身さよならパーティー」をする習慣があり、男性だけのパーティーに出席した。新郎にとっては独身最後の羽目外しが許されるパーティーということで期待をしていたが、大変行儀のよい食事会だった。
 結婚式は素晴らしかった。新郎新婦の友人が介添人をやった。庭にテーブルがセットされ、ケータリングにより料理が用意され振舞われた。バンドがその場に相応しく心地よい音楽を演奏していた。
 それぞれのテーブルには二人の名前が入ったピンクの紙ナプキンとキャンドルが置いてあった。夏でさらに野外なので使い捨ての蚊を避ける塗り薬もそれぞれのテーブルに置かれていた。
 持ったグラスの手がつってしまうのではと思うほど長い日本式の乾杯の挨拶も無ければスピーチも無かった。手作りで暖かい感じがする結婚式であった。
 新郎新婦の家族からは日本から来てくれてありがとうと言われ何人と握手したか分からない。明るくて社交的なLindaと対照的にツンとすました感じがしたLindaのお姉さんが見下ろすような目で「妹のために日本から来てくれてありがとう」と僕に握手を求めてきた時は何だか可笑しかった。出席した日本人は僕を含めその時初めてお会いして以来年賀状をくださるOさんだけだったと思う。
 食事も一通り終わり、飲み物を片手に庭をぶらぶらしているとほろ酔い加減の一人の出席者に話かけられた。新郎新婦どちらかの家族か友人だろう。「日本からこの結婚式のためだけに来たんだって?」
「ええ。」
「日本からここまでどのくらいかかるんだい?」
「直行便でだいたい10数時間ですかね。」と答えた後で、その人はピンと来なかったのか「日本からハワイまでどのくらいかかるんだい?」と聞いてきた。「直行便でだいたい7時間くらいですかね。」と答えると、その答えで日本とデトロイトとの距離感が彼なりに掴めたのか、いきなり「君は凄い!」と言って握手を求められた。面白い質問だなと思いつつそういう距離感の掴み方もあるのかと思った。
 自分の結婚式もここで同じように挙げたいと思い、Lindaもその時は全部仕切ってくれると言ってくれてかなり時間が経ってしまった。僕の結婚式には必ず出席するからと仰ってくださった方々の中で残念ながら亡くなってしまった方がもう2人もいらっしゃる。
 将来結婚するのであれば相手はどんな人なのだろう。その人との距離は今どのくらい離れているのだろう。もうすぐそこまでの距離なのか、それともまだまだ遠い距離なのか。日本からデトロイトまでの距離を尋ねられたことを思い出した時にそんなことを思った。


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