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『やむを得ず・・・』

 この話は2020年2月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第148作目です。

 旅に出る際に必ず持っていくもので長年愛用しているものがトラベラーにはいくつもあるだろう。これを持って行くから毎回大きなトラブルもなく帰って来られると縁起を担いで携えるものも少なくないのでは。古くなればいくらでも買い替えられる。しかし、縁起を担いでどんなに古くなっても使えなくなるまで使うというものもあるだろう。

 2019年5月に香港から帰宅して旅装を解くと、化粧品入れのポーチに穴が空いていた。材質が劣化して空いた穴のようだった。一見してこれは手の施しようがないのがわかった。

 30年程前にハワイへ行ったときに、フタを閉めるのが甘かったのかシャンプーかコンタクトレンズの洗浄保存液がポーチの中で漏れた。ポーチ本体とジッパーの間に隙間があり、さらにそこから漏れてスーツケースの中を少し汚したことがあった。以来ずっと万が一に備えて古いハンドタオルを都度取り換えながら中敷きにしている。そういえばそのときのハワイは滞在中ずっと雨。常夏の太陽を浴びて肌を焼くことなく帰国した散々な旅だった。

 ポーチの中敷にするにはホテルのバスルームに常備されているハンドタオルが程よい大きさだ。旅先のホテルで旅毎に拝借して交換し、古いものはその場に置いてくるなんてことはしたことがないと記しておく・・・一応。 その中敷のタオルが液漏れ防止とともに空いた穴を塞いでくれていた。

 化粧品用ポーチとして愛用していたものは、昭和末期から平成初期にかけて多くの男性が小脇に抱えていたセカンドバッグだ。高校生のときに買って、大学卒業までの7年間使ったものを、社会人になって新調したので、旅用の化粧品を入れるポーチとして使い始めた。セカンドバッグ・・・平成初期に社会人になってしばらくは多くの男性に使われていたが、気が付くと見かけなくなった。平成の半ばには街から見事に消えたようだ。私の住んでいる東京の下町では、その「なり」がバブルの頃で止まっているかのような人がいまでも小脇に抱えているのをたまに見かけるが。

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振り返れば高校生の頃から今日まで使っていたセカンドバッグから化粧品用ポーチとなったものがこれです。有名な雑誌のロゴが見えますが、多分フェイクではないかと(苦笑)。

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この穴の空きかたは修理不可能ですよね(苦笑)。中敷のハンドタオルがこの通り穴を塞いでいてくれました。

 社会人になって航空会社で働くようになり、仕事でも休暇でも旅が多くなった。旅が多くなれば化粧品用ポーチの使用頻度は結構なものになる。そのポーチと一緒に旅をして訪れた都市を思い出す限り列挙してみる。最初は当時の同僚たちと休暇で一緒に行ったロサンゼルスだった。ニューヨーク、ホノルル、ミネアポリス、デトロイト、シカゴ、ワシントン、グアム、サイパン、ロンドン、アムステルダム、香港、ソウル、台北、高雄、シンガポール、クアラルンプール、バンコク、チェンマイ、マニラ、ジャカルタ、北京、上海、ホーチミン、名古屋、大阪、福岡・・・。複数回訪れているところがほとんどだ。

 2002年の日韓共催のワールドカップで働いたときは、期間中に札幌、仙台、埼玉、横浜、大阪、大分へ。大会前の準備でも数都市訪れた。転職した後でも細かい出張で方々へ行った。セカンドバッグとして7年、化粧品用ポーチとして約30年。これだけ使えば材質が劣化するだろうし穴くらい空くだろう。

 さすがにこれはもう使えない。無理に使えば穴が広がるばかりだ。ホテルのバスルームの洗面台に中身を並べて、ポーチだけを置き放したらゴミと思われて捨てられてしまう。ずっと当たり前のように旅の供だった使い慣れたものを替えるのは気分的に落ち着かない。次の旅は未定。いつも急に決まる。なるべく早急に新調しておくことにした。やむを得ずといったところか。

 化粧品と言っても男なのでメイク道具ではない。ポーチの中は、髭剃り、アフターシェイブローション、コロン、シャンプー(旅行用の容器に詰め替えたもの)、ヘアブラシ、コンタクトレンズの備品、メガネといったところだ。歯磨きセットは手荷物に入れている。コンタクトの洗浄保存液は、液体であるのとその量のためセキュリティーに引っかかるので手荷物には入れられない。欧米へ行く場合は結構難儀だ。コンタクトレンズを2週間で使い捨てのものから毎日のものに変えようかと思って何年も経ってしまっている。

 忙しい日常の中でポーチのことなどすっかり忘れていた一日、トラベラーズノートのウェブサイトでThe Superior Laborのエンジニアポーチのカスタマイズイベントの告知を見た。トラベラーズファクトリーでは毎月何かイベントが行われている。旅とあまり関係ないと自分が感じるもの、例えば何かのオーダーメイドなどのイベントの告知はチラリと見ただけでスルーしてしまう。ひとつのものを長く大事に使い続けるので興味が湧かないのだろう。

 いつもならスルーしてしまう類のイベントの告知だったが、エンジニアポーチがこれからの化粧品用ポーチになってくれそうに思えた。詳細をチェックし終わった後でとりあえず実物を見に行ってみようと思った。

 会場となった中目黒のトラベラーズファクトリーに行く前に、これまで使っていたもののサイズを測って記憶しておいた。会場に着くと、旧知のスタッフの方々との挨拶もそこそこにエンジニアポーチのサンプルを手に取った。これまでのポーチと同じ大きさのものはなく、選択肢は一回り小さいものか横に少々大きいもののどちらかとなった。ちょっと大きいと思ったが、「大は小を兼ねる」なので横に少々大きいものを選んだ。

 ポーチの底は豊富なサンプルから選んだ好きな色に塗ってもらえた。こちらも30年以上愛用しているL.L. Beanのトートバッグのハンドルと底と同じ色を選んだ。持ちものに無意識のうちに統一感を求めてしまうのは昔からだ。

 本体はそのままにするか、好きなスタンプを捺すか、限られた英単語のステンシルの中から選んでその英単語を入れてもらうかであった。事前に「TRAVELER」と入れてもらうことに決めていた。ちょうどPRADAのコラボ品が都内のショップに並んだ時期だったので、冗談で「PRADA」を願ってみた。トラベラーズジョークは不発だった。

 The Superior Labor代表河合誠さん自らに塗っていただいた塗装が乾いてエンジニアポーチが手元にきた。かすかな塗装の匂いに出来立てを感じた。早速ジッパーを開けてみた。中は思った以上の奥行だった。必要なものは全て収まりそうだと思った。ひとしきり触れた後でトートバッグとトラベラーズノートとともに写真を撮った。

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出来上がって手元に来たときに早速撮った写真です。

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自宅で改めて30年愛用のトートバッグとともに一枚。バッグインバッグにもなりそうですね。

 そのあともしばらくジッパーの開閉と中のチェックを繰り返した。旧知のスタッフの一人が、「相当気に入ったようですね〜。」と笑顔で声をかけてきた。確かに。思った以上の出来上がりだったのでかなり気に入った。

 スタッフの方々とはしゃぎつつ手に取って眺め回しながらも、今後30年以上このエンジニアポーチが使えるなら、旅用の化粧品用ポーチを新調するのは人生でこれが最後だろうと思った。

 このエンジニアポーチを化粧品用のポーチとして携えて行く最初の旅にはこれまで使っていたものも持って行くつもりだ。スーツケースの中で新旧のポーチが私の旅の供の引継ぎをするかもしれない。コロンとアフターシェイブローションの瓶は小さいけど重いぞとか。

 旅から一緒に無事に戻ったら、古いほうのポーチに修復不可能な穴が空くまで旅の供となってくれたことに対する感謝を込めて「ありがとう」を言うつもりだ。その後もしばらくそれを捨てられない自分がハッキリ見える。30年以上も一緒にたくさん旅をして無事に帰ってこられたのだからそれはやむを得ない。

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このメンバーでの旅先はどこになるのか楽しみです。


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「おとなの青春旅行」講談社現代新書                「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿


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