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髙橋海人はジギ一・スターダストなのか

音楽ファンのみなさん、石を投げるのはやめてください

世界的ロックスター、デヴィッド・ボウイによる、それこそ世界の音楽史に残る名盤。
それが「ジギ一・スターダスト(The Rise and Fall of Ziggy Stardust and The Spiders from Mars)」。
以前書いた記事でも触れたが、異星からやってきた架空のロックスター、ジギ一・スターダストの栄光と凋落を描いた、コンセプトアルバムだ。


そしてかつて私は、自分の好きな音楽遍歴の記事において、唐突に「現推し・髙橋海人はジギ一・スターダストである」という展開に持って行ってしまった。

正直自分でもビックリだった。えっ、そんな着地点ある?!って。
だって世界のデヴィッド・ボウイだぜ?
冷静に考えて、一介のジャニヲタが、己の推しを「ジギ一・スターダストみたい」って言ってたら、世界中の音楽ファンにブチ切れられてもさすがに耐えるしかない。
怖すぎるので、「ジギ一・スターダスト」のひとつめの”ー”を漢数字の”一”に変えてある。
あと、これは海人担への弁明だが、ジギーがめちゃくちゃセクシャルな存在であることは全く重ねてないので、誤解しないで欲しい。

でも、なぜか揺らぐことが無かった。
髙橋海人は、ジギ一・スターダスト。
この一文が私の中で燻っていた。

その後、「キントレ」やファンクラブ動画等で普通に可愛い髙橋海人を目撃し続けることで、「あーさすがに血迷ってたな……」と、私の中での海人=ジギ一信仰は低迷していった。
それが突然、再燃することになる。

髙橋海人Instagramの世界観

LIVEのMC中に唐突に告知された、髙橋海人個人の公式Instagram開設。
喜び勇んで、「記念すべき最初の1枚はどんな写真だろう!」と彼のアカウントにアクセスした。そして、こんな感想を抱いた。


     な ん か す げ ぇ



「全海人担が抱いたことある感想ランキング堂々の第1位」みたいな、
「全海人担が述べ500億回思ったことある感想」みたいな言葉しか出てこなかった。

現時点での、割と冷静な頭で解説する。

初投稿は1枚ではなく、9枚だった。それぞれ、彼の素(っぽい)姿やかわいらしい着ぐるみ姿、ハマっているというアクアリウムやカメラについて、得意のイラスト。そういった写真9枚が、微妙に、彼の書き加えたイラストや記号でつながっている。
その写真たちの余白、チョイス、色味、モチーフの配置。
なんというか、絶対にほかの人が作ろうと思っても作れないものだった。絶賛されるべきとか、芸術性が高いとか、そういうことではなく、彼の感性がそのまま表現される場ができたことが、一目瞭然に分かる写真たちだった。

そこで、「ああ、やっぱりこの人はジギ一・スターダストなのかもしれない」という想いが沸々と、もう一度私の中で湧き上がってきた。

一応言っておくが、さすがに私も地球上で生活してウン年経つ訳で、自分の推しが宇宙から飛来したと本気で思っているわけではない。ただ、説明が難しいが、概念としてというか、心の中で「髙橋海人はジギ一・スターダストである」という一文が、こびりついて離れないのだ。

今日、この気持ちに一度向き合ってみたいと思い、子供が食事するのを眺めながら、夫が今週のマヂラブANN0の話をするのを聴き流しながら、考えてみた。
そして、一つの結論に辿り着いたので、それを書き記しておきたい。至って真面目である。「めり込みアワード」的な楽しさは多分ないが、それでも良ければ読んでいただけると嬉しい。
※以下、敬称略。

***

髙橋海人のエンターテイナーとしての異能ぶり

「髙橋海人=ジギ一・スターダスト」を、もう少し日本語らしく直すと、「異星から来たエンターテイナー」という感じ。これでもまだ、ちょっと何言ってるかわかんないみはあるが。
海人担なら分かるだろう。髙橋海人が、あらゆる分野で才能を抱えていることを。

作画:髙橋海人

これらの才能が共存する肉体と精神。どうなってんだい!!
髙橋海人Instagram最新投稿の、「KAITO × KAITA」のダンスを見て、改めてそう感じさせられた。
また、King & Prince5人時代の冠番組「キンプる。」において、彼は「どっちが海人でSHOW」というコーナーを持っていた。これは、様々なジャンルのアーティスト(墨絵、ガラス工芸 等)に弟子入りし、最終的に出来上がった作品のうち、どちらが髙橋海人作でどちらが師匠作かを当てる企画である。ここでも、企画として十分成立するレベルの、「本気で師匠と海人どっちかわからない」ぐらいの作品を数時間で作り上げていた。

こうした才能の根幹にあるものについて、私は一つ思い当たることがある。
彼が、これもキンプる。の中で瓦割りに挑戦する直前の一言。

「瓦割りの経験はないけど、ダンスやってたんで、身体の使い方はわかります」

     注)瓦は7枚くらいしか割れなかった。

これが私にとっては結構衝撃的だった。ダンス素人としては、踊るという能力の構成要素は、リズム感や体幹、柔軟性などだと思っていた。しかし、ダンサーとしての能力が間違いなく一流の髙橋海人は、ダンスによって「身体の使い方」を体得している。
多分これは、ダンスの根幹部分といえるではないだろうか。

先述の「どっちが海人でSHOW」での習得の早さと併せて考えると、髙橋海人は様々な分野において、本質を見抜き自分のものにする能力が非常に高いのではないかと考えた。かつ、興味の幅も広いので、あらゆる物事に挑戦し上達も早い。故に楽しんで取り組める。
もうこれは、ファンのひいき目かもしれないが「生粋のエンターテイナー」といっていいのではないか。

「楽しむ」という才能

先ほど「楽しんで取り組める」と書いた。これも彼の大きな才能のひとつだと思っている。

一般人とプロを比較する話をして大変申し訳ないが、先日、200人ほどの一般の方々のダンスをぶっ続けで観る機会があった。そこで気付いたのが、ダンスの技術にかかわらず、ダンサーが輝き始める瞬間というものがあること。
それは、ダンサーが「楽しみ始めた瞬間」だ。
多くの人が、曲が始まった瞬間は緊張した面持ちをしている。しかし、全員ではないが、曲が進むにつれてどんどん「楽しさ」「快感」が表情に出てくる。そうすると、急にその人のダンスが魅力を増すのを感じた。

海人担。分かるよね。
髙橋海人、踊り始める瞬間から、何ならその前から、徹頭徹尾楽しんでいる。常人が数分かけてやることを、マイナス10秒ぐらいでやっている。これが彼の「楽しむ」という才能の一端なのだろう。

***

「人間と話すのが苦手」

ここまでは、髙橋海人のエンターテイナーとしての才能について述べてきた。これだけなら、「地球のエンターテイナー」である。私の中での、髙橋海人=宇宙人説のきっかけが見出しの発言「人間と話すのが苦手」だ。
単純におしゃべりが苦手という事実を、「人間と話すのが苦手」と表現することで、(あっ、マジで意思疎通に苦手意識あるんだろうな…)と思わせるパワーワードだった。

特に5人時代のFC動画などを観ていて感じたが、髙橋海人は集団での会話の中に、いいタイミングで入るのが多分苦手だ。観ていて、「変わった間合いで喋る人だなぁ…」と思っていた。かいごめ(かいちゃんごめんね)。

しかし、本来は「間合い」という意味ではとてつもないセンスの持ち主である。それが顕著に現れたのが、上にも貼った「だが、情熱はある」でのオードリーのフル尺漫才である。
のちに若林正恭本人も語っていたが、「オードリーの漫才は、若林パートは『漫才全体のリズム』と『春日の介入にツッコみ、本来の流れに戻す間』の二つのリズムをキープしないといけないから、すごく大変」なのだ。
この漫才を初めて相方・戸塚純貴とフルで合わせたのが撮影当日だというから驚きである。髙橋海人および戸塚純貴の「間合い」のセンスは卓越したものがあるという証明だろう。

では、なぜ平場での喋りになるとこの間合いのセンスがうまく発揮されていない(かいごめ 2回目)のか。
「午前0時の森 おかえり、こっち側の集い」にて「大人数の飲み会が苦手」という話をしていた。主に話題選びの難しさについて語っていたが、一つ気になったのが「端で2人で喋っているタイプ」という発言だ。
皆さんも覚えがあると思うが、大人数での会話になると、「会話のラリーについていくスキルがあるか・ないか」がとても重要になってくる。対して、2人であればお互いのペースでじっくり会話することができる。

これも”たぶん”の話になるが、髙橋海人はひとつの事柄に対して生じる感情や発想が常人より多い。端的に言うと、感受性が非常に豊かである。それゆえに、その発想・感情を瞬時にまとめて発話しなければならない、大人数の会話の間合いについていくのが困難なのではないだろうか。

実際、永瀬廉との2人体制になって、髙橋海人の面白さが以前より遥かによく発揮されている、と思う海人担は私だけではないはずだ。これもひとえに、永瀬廉という髙橋海人のよき理解者が、髙橋海人の思考の深遠さと、それを表現するまでの時間とを把握しているからではないかと思う。
「ザ・少年倶楽部プレミアム」で、髙橋海人へのツッコみのタイミングを測り間違えたますだおかだ 岡田圭右に「海人の間感じてよ!!!」とキレた(フリをした)のはその象徴だろう。

永瀬廉と髙橋海人がインタビュー取材を受けているときに、よくあるパターンだなと私が感じるのが、スポークスパーソンとして卓越した能力を持つ永瀬廉が、伝えるべきことを的確に話し、そのうえで髙橋海人がキャッチーかつ象徴的な発言をする、この流れだ。そして、髙橋海人の発言は(良い方の)ネットニュースの見出しになりやすい笑
これもまた、先に述べた髙橋海人の「本質を見抜く力」の表れだと思っている。ただし、それに少し時間がかかるので、先に永瀬廉が喋ってくれている、という憶測。かいごめ(3回目)。

***

「髙橋海人はジギ一・スターダストなのか」
「髙橋海人は異星から来たエンターテイナーなのか」
という観点について、これまで述べたことを箇条書きにする。

エンターテイメント面
・髙橋海人はエンターテイメント全般において異能を発揮している
・その根幹は、「本質を見抜く能力」にある
・また、「楽しむ」という才能もある
・ゆえに、生粋のエンターテイナーである

地球での生きづらさ面
・意思疎通の苦手意識(人間と話すのが苦手)
・会話の間合いの独特さ
・感情・発想の深遠さ。感受性の豊かさ
・それ故にすぐに言葉をまとめきれない(多分)

さらに付け加えると、髙橋海人は早いラリーの会話で自分を表現する代わりに、ダンス・歌・絵・写真・表情、ありとあらゆる非言語的手段で自分を表現することができる。これもまた、彼のエンターテイメント性の象徴だろう。

以上を経て、私が行きついた結論は、
「髙橋海人は宇宙から来たのではなく、心の中が宇宙になっているエンターテイナー」である。

髙橋海人は、結果的にジギ一・スターダストではなかった。しかし、彼が発信するものは間違いなく、彼が心に宿す様々な星々から生まれた文化であり、表現であり、輝きである。

そう考えると、ひとつの星から来たジギ一・スターダストよりもっともっと多くの表現ができる可能性を秘めて……あっ、音楽ファンの皆さん、石を投げるのはやめてください!!
デヴィごめ!!(デヴィッド・ボウイごめんね 1回目)




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