King & Prince「ピース」④ My Love Song

King & Prince「ピース」シリーズ、4本目。
繰り返します。
未視聴の方は読まないでください。
未視聴の方は読まないでください。
未視聴の方は読まないでください。












テーマが「愛の再告白」

これはもう、プロモーションでも散々言われてることですが、曲のテーマは「愛の再告白」。
そして、私もXで既に言ってるんですけど、「愛の再告白」ってめちゃくちゃ広がりのある5文字なんですよ。

「愛の告白」だと、あまりにも普遍的で、“点”ですよね。時点。
そこに、“再”という1文字を足す。すると、
・これまでも存在してきた愛(過去)
・ここにある、告白したい愛(現在)
・再告白によってこれから先も続く愛(未来)
と、過去現在未来の3時制をフルコンプし、限りなく広がる愛を表現できるという。
点が線になる、という。
これ、凄いフレーズですよ。
このフレーズをテーマにした時点で、もう名曲であることは約束されたようなもの。
考えた人誰ですか?
握手会してください。

そして、今なぜ「愛の再告白」がリード曲のテーマになったのか。
“再”の1文字の重要性は書いた通りですが、もう1つ、リスタートの意味もあるんじゃないかと思います。
King & Princeのリスタートにあたって、再び愛を伝えると。
誰に?烏滸がましいシリーズ第2弾ですが、まぁファンのみんなにだよね〜ライナーノーツでも言ってっからね〜。

私新規なので、初回の告白受けた覚えはないんですけどね…

具体から普遍へ 表現の展開

そしてこの曲の詞の凄いところは、「具体から普遍へと展開し、誰の心にもフィットする曲になっている」ということ。
“具体”の対義語は“抽象”なので、具体の積み重ねを収束させていくと、抽象的な結論に繋がりがちなんですよね。
ライナーノーツでも

  永瀬「伝える相手がピンポイントしすぎると対象が狭まるし、抽象的すぎると伝わらなくなる」

  髙橋「すごく微妙なラインのところで探っていって、この歌詞になりました」

と2人が語るように、

  プランターの隅っこに芽吹く双葉見つけて
  僕を呼ぶ眩しい瞳
  戸棚に並ぶfavorite どれにしよう真剣だね
  いつしか馴染んでた君という日常

この辺りはすごく具体的で、誰しも当てはまる訳では無いけど、そこにある愛情深い眼差しは多くの人が理解出来るようになっている。
自分には当てはまらないけど、日常の中のふとした瞬間に感じる愛情の歌として、普遍的に受け取れるようになっています。
言ったら、「めちゃくちゃちょうどいいあるある」なんです。
そのさじ加減がとても絶妙。

具体の積み重ねが抽象に収束しがち、と先に述べました。
それは、論理の展開として、具体例を幾つか挙げ、それらの共通点を提示し、さらに単純化(余分な要素を排除)していくと、たどり着くのが抽象、というのが1番ありがちでやりやすいから。
いわゆる、帰納法というやつですね。

そうした論理展開を経ることなく、具体を散りばめて、聴き手それぞれの「わかるわかる」を引き出す。
その結果が日常の中の愛情という普遍的な感情にたどり着く。
この、思考と感情の誘導が、さじ加減が絶妙な訳です。

チームキンプリの詞へのこだわりと、作詞者の方のセンスが詰まっている、素敵な詞だと思います。
ぜひそのまま受け取って、綺麗に誘導されて下さいと、また謎目線でお伝えする次第です。

King & Prince広報担当としてのれんかい

さて、こんな素晴らしい詞ですが、具体を散りばめることはリスクを伴います。
私のような、歌詞分析野郎の存在です。

具体的な表現があればあるほど、歌詞分析野郎はハスハスしながら、制作者の意図そっちのけで妄想を展開します。
ごめんなさい。

そんな邪推を排除したのは、まず先に述べたように絶妙な感情の誘導がひとつですが、もうひとつは、King & Princeの2人その人です。

当たり前かもしれませんが、King & Princeのスポークスマン、広報担当はれんかい自身。
その2人がメディアやライナーノーツで繰り返し、色んな人に当てはまる大きな愛の歌であると伝えてきました。
それゆえ、私たち聴き手は邪推することなく、1つの結論を探すことなく、それぞれの思う愛の形に重ねて聴くことが出来るわけです。

れんかいの言葉、ひいては伝える能力の素晴らしさは、ファンならもう誰もが認識するところだと思います。
そんな2人の能力がこの曲のプロモーションにおいてもいかんなく発揮され、曲の世界観を損なうことなく届けることができたのです。

万物の流転とDNA

…えー。
そんな「邪推はいらねぇ」という話の後に非常に心苦しいんですが。
邪推させてくれぇ!!!
これが生きがいなんだよ!!!
しかも今回は振り付けまで引っ張り出して邪推すんぞ!!!

見出しもひどいよね。
具体が抽象に収束しないのすごいとか言いながら、めちゃくちゃ抽象的な話しようとしてる感すごい!!
また海人に「話を聞けよ」のCD10枚束にして殴られちゃう!!

でもやるよ。癖(へき)だから。

まず、万物の流転。
全ての物は絶え間なく変化するということ。

これを感じるのが、

  いつしか馴染んでた 君という日常

そして

  鏡を見てるくらいに
  似てきた仕草 口癖も

えっ、これだけ?うん、これだけなんだ。
まぁ、関係性の変化を示してるよね。

でも、この変化の要素が、

  出会えた時から変わらない
  響かせてMy Love Song

という、変わらない愛情と対比してるんですよ。
それぞれ年齢を重ねたり、距離感や温度感、関係性が変わっても、愛しているという気持ちは変わらない。
人間である以上避けられない物理的な変化と、それでも心の中で永続する愛情との対比ということですね。

そしてそれを感じさせる振付が、まさに
“愛してるって言ってもいいですか”の指クルクル。
君から僕へ、逆回転で僕から君への愛情のやり取りを表してるかと思うんですが。
これが、進む時計の針(逆回転するんで過去も)が示す時間経過による変化だったり、超抽象的な「流転」をさ。感じちまったんだよね。
ほんとごめんね。

そして、まだやっちゃうんだ。
“好き嫌いもすぎた時間も”の、螺旋状に手を回しながら挙げていく仕草。
螺旋。
そう、螺旋。

うん、ごめん。
歌詞分析クソ野郎は、螺旋なんか出されたらすぐDNA感じちゃうんだ。
人類が脈々と受け継ぐ、DNAに刻まれた愛情という普遍的な感情。
それこそ、永続の象徴なんじゃねぇかってさ…

もう、最終章の歌詞分析クソ野郎の邪推は全部忘れて貰ってOKです。
ただこれは私のnoteなので、感じたことは記録していきたいということで書かせて頂きました。
みんなは邪推やめような!!

Fin