〖キキ三三〗


この世のこと起きてくること

わからなくなりたら

何でもフデ(ひふみ/日月神示)に聞けと

申してあるぞ

三三(実身/味視/耳)に聞かすと

申しておろうがな

声にも出して読んでくだされよ

人も動物も虫けらも皆々

カミの心(タカアマハラ)の中に

住んでおるのぞ

惡魔󠄁だろうと邪靈や邪魔󠄁ものだろうと

カミの中から出て行くことなど

出來ませんのぞ

やれるものならやってみよれ

鼻高天狗や仙人大猿になりて

雲(空網/インターネット)に乗り

スミからスミまでを

キのスムまで飛びまわりてミて

カミの心(天地/世界/宇宙)の

広さわかりたら

はよ己のア(吾)のちいぽけさ

心に悟りてくだされよ

皆々この世のことも

カミのシン(神/真/心)界より

人の心界にウツ(宇津)りてから

現界として現(顕)れますのじゃぞ

この世惡くミえたら心の鏡

曇っておる証拠でありますぞ

ジャガタケ(邪我健)は

カミが隠しておった

大切なお山と申してあるぞ

仁人が神人と申しておろうがな

光り輝く御山の大将でありますぞ

カミが建て替え建て直しの御用に

使こうておるのじゃ

マコトフデを読んで訓まぬ者多いのう

フデ(付出)先ばかりに拘るから

フデ訓めなくなるのじゃ

譱惡二二(似事)と申してあろうがな

カミには譱も惡もないと

あれほど申してあるに

まだわからんとは呆れたものぞ

騙す人騙される人惡く申すは

己の中にある惡に騙されている

証拠でありますのぞ

騙したい者には

先ず素直に騙されよと申したこと

これで少しはわかりたであろうがな

自分は何でもよく分かっているから

そんなものには騙されまいと

何でも軽くミて我出すから騙されるのぞ

御用に使う人民に植え付けてあるのは

試し騙しのタマシ(魄/多増)でありますぞ

それ憎む心が少しでもありたら惡なるぞ

譱と譱で諍っても惡なるぞ

世も人も惡くいってはならんが

そこしっかりとタテワケておらぬから

順と区別がヒックリかえっておるから

世の中建て直さなならんところ

沢山あるのざそ

それには先ず己の中にある

アク(惡/吾苦)のタネはよミつけて

抱き参らさねばならんぞ

マコトのマメ(真芽/魔󠄁芽/磨󠄁眼)

はよ開いてくだされよ

カミのミ(身体)は

ミイツ(御光)と申しておろう

カミもア(吾)のクマ(隈)懐くことで

そなた達の中にもある

アクマ(吾隈/開苦閒)を

ミイタス(見出す/満たす)のじゃ

人の心次第で

カミのハンシン(半身/半神/汎神)も

惡神や惡魔󠄁として

ミえるのでありますのぞ

シン(神/真)の裏にマ(魔󠄁/閒)

ありますのじゃ

裏の裏のままに見るのではないぞ

ウラ(怨)からウラ(恨)みたら

真も魔󠄁としてうつることあるのざから

キレイに掃除した裏(心)から

よくミた表の現れが

カミのマコトのオモテナシじゃ

カミのオモテナシは有り難いのじゃぞ

そこらの雑草でも石ころでも

ゴミでもチリでもホコリでも

この世にあるものすべて

マコトは有難いものであるぞ

じゃが本当に有難いものは

そんじょそこらに転がってはおらんぞ

それを自らの行いによりて

掃除洗濯(総事選択)し

綺麗にしたミズ(見ず)のミズ(自/水)

ミタスところに初めて

マコトの有難さがわかるじゃ

一二三(ひふみ/日月)のフデは

一巻から二十三巻までが

大切な幹でありますぞ

三十巻(伊勢黙示録あわせ)一切りで

好き放題伸び放題に伸びておりた

アクの枝切り払うための

建て替えの御用から出たフデぞ

三十巻から先は建て直さなならん

新たな枝葉として出したフデありますぞ

木の幹だけ建てて

枝葉は要らんなどと申すもの

何にもわかってはおらんぞ

このフデはマコトのカミの経綸の

セイメイ(生命/声明)の木(氣/記)と

喩えておろうがな

近くはミキ(幹)と出てナオ(直)と出て

オニ(王仁)が暴れてタタキのメなされて

十(ト)どめの十(テン)めとは

そなた達のような

縁ある者を導くタマの

テンメ(天日月/天命/天女)の

ことでありますぞ

火の神生んで

千曳(靈引き)の岩戸に

御隠れになられた大ナミ(涙)の神を

オイオイ払われなされて

ワウワウと涙流して鼻水垂らした

大ナキ(鳴き)オ(惡/汚/男)の神が

眼の玉鼻先をミソキハラヒしたときに

その眼(女)のタマ(靈)より

おうまれタマわした

マコトの女神様でありますのぞ

そのタマを継いでこの世を任されし

ハナ(鼻/端/話/華/芸術)の神様も

皆の前で荒ぶったのではないぞ

世を新たに改めたのであるぞ

じゃがこの方でさえも自らの

我(芽)の強さ悟りて

さらに改心なさったのであるから

カミの臣(真/信/心)民も人民も

自らの我の行いを

洗い改まりて新たな世を現わす

マコトの神人となり

アホアホ(青々)と

生命の木(この世/人心)を

耀かせてくだされよ

アホとなって

世のため人のため働いてくだされよ

フデは転ばぬ先の杖じゃ

建て替え建て直しの最中に

タマなくなって

フナフナ腰のままではなりませんぞ

いづれはこの杖なくても

建てる人とならねばなりませのぞ

それ迄はフラフラとせずに

このフデを杖としておいて下されよ

そこから先はカミ心わかる

臣(心)民と人(仁)民と力を合わせて

自分達で枝葉を伸ばさねば

なりませんのぞ

枝葉伸ばしてマコトの

メ(芽/女/眼)開いて

日のサキリ(左喜利/左眩/桜)の花と

月のミキリ(右裏/右眼/梅)の花が

人のアクナカの

一輪(経綸)のマツ(末/松)のハナと

一度に咲いたら

二二の高嶺に九ノハナサクヤヒメ様の

一厘の仕組みも成就するのじゃ

その仕(詞)組みと組み組みて

生き(息/域)長するのが

ワカ(和歌)ヒルメのタマの

一八(イワ)ナカヒメ様じゃぞ

あとは自分達で差取りなされよ

神の経綸オモテナシは

ありがたく受け取らねばならんぞ

同じこと二度繰り返す仕組みぞ

同じであって違って見えなければ

なりませんのぞ

二度二度と繰り返してある

四(シ)組みのヨ(世)のことミて

はよ悟りてくだされよ

神がウラ(心)に隠したもの

オモテ(思手)に成して

オモテナシでありますぞ

人から疎まれようと

貶されようと蔑まれようとも

人から見えぬところに

真心を持って為すことこそ

マコトの持て成しとなりますのぞ

それを自ら行いにミ出すところに

マコトのお陰あるのじゃ

同じカミの名二つカミの働きも二つ

マコト(真理/魔󠄁理)は

ウラハラ(卜祓)と申しておろうがな

お陰は自分で苦労して取るような

氣魄を見せてくだされよ

誰それの苦労のお陰で取れたお陰は

お陰の取りぞんでありますぞ

言葉の含みも立体であるのざから

上面ばかりに騙されておっては

マコトのマコトはわからんぞ

山(立体/靈性)に來て地に足つけて

海(平面/現実)に入りて生きなされよ

それがマコトの行であるぞ

マコトにダマされる行は中々ぞ

カミの三三(身実)のフデ

十六十の三九八九メ(割く訳女)のタマ

ご苦労でありたぞ

二月二十八の日のキつく

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