純粋な備忘録】 菅直人厚相の時、大きく、多く動く。

1996年1月〜11月 菅直人 厚生大臣(第一次橋本内閣)

🔷薬害エイズ

🔷⭕6月??。「優生保護法」が改正され、「母体保護法」に。

🔷1月18日 「らい予防法の廃止」が遅れたことに対して、????、、ハンセン病の全患協の高瀬重二郎会長と全国の各支部長に直接謝罪をした。
( 私は、当時チラリと見たニュースの断片がある。良い厚労相みたいだな、と単純に思った。)

しかし、肝心な、その内容は、Wikipediaを少し見ただけでは、たくさんの文章だらけで、一層わからなくなる。。
これを、読むだけでも、大変だ、ニャ〜〜。。今は読まないけど。。

1995年12月8日にようやく最終報告書がまとまり「らい予防法」廃止が確定的な状況になったが、この報告書では国として元ハンセン病患者に対して謝罪することを求めていなかった[15]。そのため、元患者からは不満の声が出ており、謝罪しないのならば法廃止を先伸ばしせよ、という声まであがっていた[15]。
厚生省では、国が謝罪しないという不満をなだめるために、松村明仁保険医療局長他関係課長が手分けして、報告書の説明と称して事実上の謝罪のために全国の13か所の療養所に出向いた[16]。大谷藤郎によると、元患者にはおおむね好意的に受け止められたという[16]。
らい予防法廃止 (1996年〈平成8年〉3月27日) の約2か月前である1996年1月18日には、菅直人厚生大臣 (当時) が厚生大臣室において、全患協の高瀬重二郎会長と全国の各支部長に直接謝罪をした[17]。これは異例のことではあった[18]が、元ハンセン病患者やその支援者たちの一部は国の対応に不満だった[19]。厚生大臣は、同法の廃止が遅れたことには謝罪したが、それまでの国の政策の誤りについては一言も言及しなかったためである[注 3]。1953年のらい予防法制定の時点で既に国際的に時代錯誤だった絶対隔離政策を継続することを国策として認めたことを、国の誤りであったと正式に認めさせ、国が元患者に謝罪することを求めて国家賠償請求訴訟を考える元患者はいたが、不安材料がありためらっていたの実情だった。


「 らい予防法違憲国家賠償訴訟」
  申し訳無いが、、Wikipediaです。



🔷他にも、何かあったような??。。


自民・公明としては、、やり過ぎるから、「ヤッパ、厚労相は、ウチラから」出そう!、、という話になったらしい??、と、テレビで聞いたような??。

確かに、上記の2つは、大きな出来事だよね〜。。

ここで、、 菅直人さんを、持ち上げ過ぎるつもりはありません。 批判もしません。
単に、 今は、 年表的なものを調べているだけです。

( やっぱり、1996は、最近だよな〜!!。昔ではない。肌感覚が残ってよな。)



でも、これだけ、ビックな出来事が、一年足らずの期間に あると、不自然に思うよな〜。

もしかしたら、官僚たちが、自民党の大臣たちは、ずっと、かたくなに、庶民からのマグマの噴火を押さえつけたけど、、、

やっと、自民党ではない、菅直人が、大臣になったから、、、

もう、止められない、マグマの噴火の処理を、、
いくつもいくつも、どんどんドサドサと、菅直人に、頼んだのか??。

もしくは、菅直人大臣を、うまく操ったのか??。

悪い妄想だけど、、、菅直人と、厚生省官僚たちとの、密約でも、かわしたのかな??。

考えてみると、、、
厚労省という、、お役所は、、

大変だよな〜。。

命を扱う。
その分、お金が動く!!。
ヤダヤダ〜。。

審査をする。
利権も絡む。

言いたかったのは、、裁判といえば、「公害」、「ハンセン病」、「被爆者??」、「薬害エイズ」、「旧優生保護法」とか、、

とても多くは、たいがい、厚労省がらみなのだ!!。

医療と福祉を「ありがとう!」、 厚労省のおじさん、おばさん!!!。
と、いうのは、 聞いたことが無い!!。

たしかに、これを言う、子供がいたら、【アイツ、おかしいぞ!。】となります  ネ。

 ↑↑ でも、、【おかしいぞ!。】というのも、おかしいか???????。

なんじゃこりゃ〜!!

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