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世の中にはつらい情報が多すぎる

普通に情報を集めるとネガティブになるという話

毎日読んでた新聞を読むのを辞めたのは、2012年の辺りだった。震災があって景気も低迷していて、読んでて嫌になる記事しかなくて読まない方がいいと思い始めたからだ。

でも、仕事をしていてもネガティブな気分になることが多い。Twitterでタイムラインを眺めていても、ネガティブな発言の方が多い。
つまり、よほど意識しとかないと後ろ向きに引っ張られるようになっている。

だから僕は海外に住みたい

僕は仕事で北京に少し住んでたことがあるが、北京にはネガティブがなかった。貯金をしなくてもいい。若い人も多い。黙ってても給料が上がる。ものすごく景気がいいから。東京じゃ考えられないくらい高級車(スポーツカーが多い)ばかり走ってる。尖ったファッションが流行ってる。タクシー運転手が道を知らないと言うのは、再開発が盛んすぎて道がよく変わるからだ。

仕事も遊びもすごく楽しそうだ。カラオケもうまい。僕らも心から歌うことに熱中してたのはずっと過去のことだっけなと思い出す。
彼らは「楽しいこと」をちゃんと楽しむ。

日本人はどうだろう。友達と遊んだだけで手放しで楽しいだろうか?
同僚たちと食事しただけで本当に楽しいだろうか?
好きな人との将来を考えたら楽しいだろうか?
結婚をしたらちゃんと幸せなのだろうか?

本当なら楽しむべきことをしているときは、「楽しい」を満喫すべきである。
だけど、楽しいときでさえ、余計なことを考えて気持ちを減衰させていたりしないだろうか。

そういうギャップを考えた時に、僕は日本人でいることって疲れることなんだなって漠然と気づいた。

楽観的なことは是か非か

北京でさんざん強い酒を飲まされて、パスポートを財布ごとなくしてしまったときに、現地法人の偉い人に真っ先に報告した。

「だいじょーぶよ、だいじょーぶよ。すぐ出てくるよ」

漫画に出てくる胡散臭い中国人みたいな返事をされた。こんな状況ですら、責任者の彼は楽しむことをやめなかった。私は酔っぱらってちょっと苦しかったが中国人同僚を連れてあちこち探しまわった。すると、本当に見つかった。
日本だったらインシデント扱いされて面倒な展開になっていたのではないだろうか。そして、そう扱うことが絶対に正しい行為で異論の余地もないのではないか。

正直、中国のこういう雰囲気に慣れると割と気持ちがいい。
僕らの感覚からすると、彼らはストレスを感じるような出来事からすぐに逃げる。だけど、生物としては正しい行動をしてる。
僕らは日本で、すごく細かいことで大きなストレスを感じる日々を過ごしている。生産性のないことに気苦労を重ねて消耗している。たぶんすごく損をしている。

日本の会社はストレス耐性の高い人間を欲しがることはあっても、ストレスを軽減して楽しくすることには考えが及ばない。
僕らは楽観的になるということを忘れてしまったようにも思える。であるのに、みんなネガティブには参っている。それでいて、ネガティブをみんなで発信しているのだ。

本当は求められるポジティブ

僕が本を出してみて、いろんな感想で気づいたことがある。それは意外と「ポジティブな内容が評価されている」ということである。ということはやはりポジティブなことを読みたいというニーズが多いのである。
おそらく、つらそうな内容だなと思われれば売れないのではないだろうか。つらいことは現実にあふれまくっているので、あえてそんなことを読みたいというニーズは少ないと思う。僕だって救いのないエピソードを書く気分にはなれない。

とはいえ、僕にも失敗談とかはいろいろあって、そういうネタも学びが多いのでどこかで出していきたい気持ちはある。だけど、気分が沈むようなものは出さないと思う。

つらすぎるから希望を作りたい

「仕事は結果を出さなければいけない」
本当か?みんな本当に異論はないのだろうか?

中国はたくさん失敗してるが、産業は育っている。Googleのライバルを目指す会社が日本にはないが中国にはある。

結果は出なくてもいいんじゃない?失敗をしてでも学べばいいんじゃない?成功しかしないことを目指してるから、新しい挑戦ができなくなってるんじゃない?失敗が足りないから経験値も足りないんじゃない?

僕はどんなエンジニアでも報われるようにと、二冊の本を書いた。途中で誰かが脱落して不幸になるのは嫌だ。
だから、もっとみんなが希望を持てるような活動もしていきたい。そのための発信の一つとして、これからも本を書いたりしたいと思ってる。

今日は、ちょっと時間が空いたのと週明けで気分を沈まないようにと考えてることを書いてみました。

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