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言葉 について

眩しそうに曇る二月の 短さを埋めてはやれないが


よくあるむずかしい歌詞ではなく、遠いどこかを書いてるわけではなく、日常を切り取った言葉だ

オサキアユにしか書けない歌詞だ


この季節に聴きたくなる

冬がおわり、まだ心の準備ができていないのに春になる

冬に違和感を残しながら新しい季節を迎える、その繰り返しを経て人は生きていくんじゃないかと思ったりもしてる

村上龍と坂本龍一が対談で「小説家や音楽家は悲しみの代弁者」であると話していた。生きているだけでは、人は「悲しみ」という感情に気が付かないので、音楽や小説はその訓練になるというのだ。悲しみがわかると、自分の傷つけ方や癒やし方もわかる。そんな機能が物語にある。

この文章を見て人は言葉に出来ない感情を抱え込んだ時に小説や音楽に頼るのは「悲しみ」という感情に気付くためなのかな、なんておもったりもした

誰かといるのが辛かったり、時々1人で考えたい夜があったり、さよならポエジーはなんとも言えない感傷や焦燥、ちょっとした生活の憂鬱を拾ってくれるようなバンドだ


別れたのは2年前なのに、ああ結構経ってるのに何も成長してないなあ、と好きだった人がよく口ずさんでいたさよならポエジーの「時代よ 僕を選んでくれないか」そのワンフレーズを聴きながら今日も過ごしている


「音楽と人」は毎月購読していて、ディオールの香水をつけていたバンドマンが好きな彼女は 僕より2歳上な知性的な女性だった。そう感じた理由はたくさんあるんだけど 彼女は僕が知らないことをたくさん知っていてその度に僕は彼女の色に染まっていたんだ



「形に残らないもので、もらって嬉しいものってある?」

ジョッキに入った氷を鳴らしながら、顔を赤くした歪なピアスを付けていて服装が独特な彼女は僕に問う

僕は気持ちよく酔っていた、曖昧な記憶なんだけど「きっと言葉だと思う」なんて言ったかな、そう言ったら「きみらしいね」なんて、言われていたのを覚えている


言葉ってなんなんだろうな

ほろ酔いのまま夏の風に吹かれる夜を越してから深く考えるようになった


***


どんな言葉にも有効期限があると思う

それは目には見えないもので時々勘違いしてしまいそうになるけれど、「好きだよ」や「卒業しても会おうね」や「何かあったときは連絡してね」なんて言われてもその言葉は今の僕に向けられたものではなくて過去の僕に向けられたものだ

だけど、ただひとつわかるのは"その日の自分"は相手にそう言ってもらえるような人間だった、ということことだ


当たり前だけど今はどんどん過去になって言葉もどんどん古くなっていく

いまここでこの言葉をきみに言わないともう伝わらない

その時に感じる言葉を相手にうまく伝えられるかでその後の人生は変わっていくんだと思うんだ、それがなかなかむずかしいんだけどね


SNSなんかや街に貼ってあるポスターや広告、ふと流れてくるCMや誰かの声なんかを見たり聞いたりするとさ

この言葉を一体どんな時間がかかってどんな想いで紡いだのか、そんなことを考えているうちに、『あ。この言葉好きだな』なんて思ったら、すぐ手帳に言葉を残すようにしてる

その言葉に誰かが勇気を振り絞った言葉なら僕はその言葉を受けとめたい

そんなことを考える僕は少しだけ傲慢だと思う


過去の僕に宛てられた言葉に対して今の僕にも宛てられるように 僕の言葉がだれかの背中を押すようなきっかけになってくればいいな なんて考えながら今日もたくさんの言葉について考える夜を過ごしたいと思います


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Top image : e__e.365 via instagram ( Photographer )



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