思い出すこと

高校時代に所属していた演劇部の男性顧問は、50代半ばの世界史教員だった。大柄、テノールボイス、ほとんど白髪、そしてなにより生真面目。彼の授業を受けたことはなかったが、よく「私が○○だとしますね。すると**は……」と喩えたという。友人から「今日は遂に『私が天使だとしますね』って言いだしたぞ」と聞いたときはひっくり返るほど笑った。三位一体説についてだったらしい。

なぜかよく覚えているのだが、1年の秋、男子更衣室でみんなして着替えていたとき、横におられた先生が黒澤明の撮影でエキストラに行ったことがあると漏らされた。今振り返ると年代的に『影武者』(1980)だと思う。目の前にいる田舎のいち人間と〈偉大なる〉物故人がひとつの線で結ばれた事態の唐突さに眩んで、聞いたはずの詳細は覚えていない。
しかしこれはその後の先生を考えるうえで決定的だった。先生の演出があまりにも「黒澤」的だったからである。10人弱が一斉に舞台上に集まるなかひとりがギャグをする場面で、先生は、そのギャグに対するリアクションとして、残るメンバーが一斉に笑えとおっしゃったのだ。寸時も止まらない躍動を欲していた私は、この数秒がただの段取りになる点に納得できず当惑した。複数性の抑圧。おそらく自覚しておられなかったであろうこの特徴が黒澤に起因すると気づいたのは、『天国と地獄』(1963)を見た大学2年のときだった。

同時に、先生は平田オリザも愛しておられた。「それ後ろを向いて言おうか」と求められたことも数えきれない。私にとっては、だから、平田オリザの名前を知るより間接的に技法を体験するほうが先行したのだが、ここで必然的に黒澤への愛との捻れが導出される。リアリズムの一言で共通項を見出そうとしても無理筋だろう。民主主義者の平田とファシストの黒澤では根本的に資質が異なるのだ。

黒澤と平田を同時に愛することは、先生のなかでなんの葛藤もなく成立していた。多分これからも私には分からない。



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