見出し画像

自己紹介① - はじめに

皆様はじめまして。Daaと申します。
定期的にnoteで発信するようになって4か月ほど経ちましたが、まだ自己紹介のようなことを書いたことがなかったなと思ったので、書いてみようと思います。しかし、書き始めてみると、思った通り長くなり、そして一つの記事では書きたいことは書ききれないと思ったので、マガジン形式で書いていこうと思います。
今回は初回なので、現在の状況と、自分の核にある「普通ってなんやねん」ってところを中心に書いてみます。
とはいえ、自己紹介記事なのに自己紹介がないとアレなので、簡単にまとめたものだけ書いておきます。それぞれの詳細は、追って書かれる(だろう)記事を参照ということで。

  • 名前:Daa(本名からつけられた高校~大学時代のあだ名から)

  • 年齢:30歳(2023年現在)

  • 性別:男性

  • 職業:ニート(2023年現在)

  • 前職:日本語教師(都内日本語学校で6年勤務)

  • 出身:神奈川県横須賀市(母の実家の病院)→その後東京都品川区→大阪府吹田市→千葉県船橋市(小学校入学)→大分県津久見市→神奈川県横須賀市→大分県津久見市(2回目)→神奈川県横浜市(中学入学)

  • 現在:妻と千葉県某市で二人暮らし

  • 趣味:読書、旅(旅行よりも"旅")、映画鑑賞、DIY、考えること


私は現在、千葉県某市に妻の蕪ちゃんと二人で暮らしています。住んでいる場所は、千葉県の中では比較的大きな中核市で、駅前もかなり栄えています。都内にも10分ぐらいで出られます。(わかる人にはわかってしまいますね笑)
この場所に住み始めたのは2年ほど前で、それまでは4年間東京で一人暮らしをしていたのですが、家の更新のタイミングだったので、そろそろ蕪ちゃんと一緒に住むかという話になり、通勤時間と家賃のバランスを考えた結果、今の駅に移ってきたという感じです。通勤時間はほぼ変わらず、同棲するので家賃は安くなり、いいことづくめでした。2023年9月現在、駅から徒歩5分程のマンション(8.5万円/月)に住んでいますが、来月駅から徒歩20分ぐらいのアパート(4.6万円/月)に引っ越す予定です。
通勤時間で今の家を決めたと書きましたが、それは2年前のお話で、私は今働いていません。学校に通っているわけでも、何かの訓練を受けているわけでもありません。俗にいうニートをしております。Noteで『ニートを楽しむ日記』を更新しているので、そちらを見た方はご存じだと思いますが、2022年3月に6年間勤めた日本語学校を退職し、それからニートの日々を楽しんでいます。ニートという言葉には、否定的な気持ちを覚える方が多いと思います。Not in Education, Employment or Training、略してNEET。「通学も就職も就職のための訓練もしていない人」ですから、言葉の語源からして否定形なわけです。そんな世間一般ではあまりよろしくない状態として認知されることが多いニート状態ですが、私にとっては理想の状態だと感じています。より正確には、理想のゴール/スタート地点といった感じでしょうか。詳しくは以前、note記事「ニートを楽しむ日記 - 番外編 INTPにとってニートは理想形」に書いたので省略しますが(有料記事になっていますが、無料で最後まで読めます。面白ければ、読後におひねりをいただければとても喜びます。)、とにかく、ニートという社会的にはあまりよろしくないとされている状況であるにも関わらず、私は前向きなものと捉えて、その日々を楽しく過ごしています。
働いていないのにどうやって生計を立てているんだ、奥さんに養ってもらっているのか、と疑問に持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、答えは単純で、貯金で生活しているだけです。面白みのない答えですみません。6年間働いていたので、まあ半年ちょっと生活する分ぐらいの貯金はあります。(とはいえ、その6年間は都内で一人暮らし、しかも薄給と名高い日本語教師だったので、“半年ちょっと生活するぐらいの分しかない”といったほうが正確ですが…)むしろ、なぜ真っ先に「奥さんが養っているんですか?」という発想になる人が多いことに驚いています。“しばらく働いていた人が辞めたあと、無職のまま生活している”という情報があったら、“ある程度貯金があって、それで生活費を捻出している”という仮説がまず立ちそうな気がするのですが。
私が仕事を辞めたこと・無職なことを友人に話したりすると、「よく奥さんが許したね」「理解がある奥さんでよかったね」という言葉をもらうことも多々あります。これも、私からすると不思議な返答です。まず「奥さんが許す」という言葉。なぜ許しをもらう必要があるのでしょうか。確かに、婚姻関係を結んだ二者は同一世帯になります。しかし、それは家計を一にするということを意味しません。親世代(私の親は1960年代生まれです)までであれば、夫が稼ぎ頭となって働き、妻は家事をするという夫婦分業は一般的だったと思います。また、妊娠・出産などのライフイベントにあたっては、男性は妊娠できませんから妻に頼むしかなく、となるとその間は夫側が働くというのも筋が通っています。その場合は確かに、唯一の稼ぎ手である側が無断で仕事を辞め収入が途絶えたら困るかもしれません。しかしそれは、「世帯の収入を夫側に依存している」という状況、かつ「収入が止まるとすぐにひっ迫する」場合での話です。しかし、私たち夫婦は、家計を完全に割り勘しています。家賃から食費から、全て折版。私が家計簿をつけて、毎月末に差額を調整します。なので、その割り勘分を払い続けられるのであれば、妻にとっては何の問題もありません。というか、生活が維持できるのであれば、別に割り勘じゃなくても同じ話です。要は、「仕事を辞めること」「収入が入らなくなること」「お金がなくなること」「生活が送れなくなること」が全てイコールになってしまっているから、「仕事を辞める」→「よく奥さんが許したね」という発言になるのだと思います。
しかし、よく考えればそれらがイコールでないことはわかります。仕事を辞めても収入が入る人はいるでしょう。(私は入らないので、ここは今現在イコールです)収入が入らなくなっても、お金がないとは限りません。(実際私は半年以上生活できる貯金がありました。多くの人も、それぐらい、またはもっとあるんじゃないでしょうか)お金がなくなったからといって、即生活ができなくなるかというのも、吟味した方がよさそうです。(生活保護という制度もありますし、そもそも生活にいくらお金が必要なのか、という問題もでてきます。)
私と妻は、「このような生活を送りたい」→「そのためにはいくら必要である」→「誰がお金を得るのか」→「どうやってお金を得るのか」という流れで考えています。この流れで考えると、前述の「(夫側が)仕事を辞める」→「よく奥さん許したね」という不思議な返答は出てこないんじゃ、少なくてもその返答が出る前にもっと聞くことがあるんじゃないか(貯金があったの?とか)、と思います。
私と妻は、「男性側が家計の主たる稼ぎ手だった時代」に生きているわけでもなければ、「妊娠・出産などの理由で妻側が働けない状況」でもありません。なので、ハナから「夫側が稼ぐべきである」という価値観をもっていません。むしろ妻の蕪ちゃんは、「配偶者に経済的に依存している状況は好ましくない」と常々言っています。この“配偶者”というのは、もちろん夫→妻の場合も、妻→夫の場合も、同様です。たまに女性の方で、「結婚して養ってもらいたい」と平気で言う人がいますが、これは逆の場合も想定している発言でしょうか。「いざとなったら旦那から経済的援助を受けたいが、旦那が困った時は私が援助する」という対等な関係になっているならいいと思いますが、「男性が女性を養うのは普通」「だが男性が働かないのはおかしい」という発想になっているとしたら、なぜそう思うのか、その意見に正当性はあるのか、一度考えてみたほうがいいと思います。ちなみに、妻の蕪ちゃんもニート経験者(私のニート先輩・ニート師匠)です。現在は、近くの農家さんでアルバイトをしています。彼女は大学を出た後2年ほど正社員として働いていましたが、体を壊し、その後短大に入り直し資格を取り、その資格を使って1年ほど働き、ニート期間を挟んでその間に“正社員神話・週5勤務神話”から脱却し、資格と全く関係のないパートを1年半した後、現在の農家アルバイトに落ち着いた、という私よりも柔軟度の高い人間です。尊敬。

とまあこのように、世間一般の方の考え方や発想に首をかしげることが、日ごろから多くあります。ニートになってから多くなったという点はたしかにありますが、昔から多かったです。
「友だちを作らなければいけない」「学校には行かなければいけない」「校則は守らなければいけない」「先輩には敬語を使わなければいけない」「塾に行かなければいけない」「いい大学に行かなければいけない」「就職活動をしなければいけない」「就職しなければいけない」「仕事を続けなければいけない」などなど…。これら全て、「なぜ?」と思って生きてきました。なぜと思って、納得しなければ基本的に無視して生きてきました。そして、なぜ周りの人は納得できるんだろうか、と思って生きてきました。
しかし、別にみんな納得して、選択してこれらのことをしているわけではなくて、みんながしているから、そういうもんだから、他の方法はないと思っているから、これらの道を進んでいるだけではないのだろうか、ということに段々気づいてきました。
もちろん、意識的に選んでしている人も大勢いると思います。それなら問題ありません。「私はマザーテレサに憧れて、看護師になりたいと思った。そのためには看護学校へ進む必要がある。○○大学には△△教授という著名な先生がいるのでそこに入りたいが、今の学力では入れないので塾に通う必要がある。」など。もちろんここまでガチガチじゃなくても、「家から近いからこの学校に行きたい」とか、「仕事内容は興味ないけど、給料がいいからこの会社に入ろう」とか、まあなんでもいいんですけど、ちゃんと自分なりの理由・説明ができればいいと思います。
しかし、「みんなしているから」「それが普通だから」。これは、いかがなものか。「大勢がしていること」が選択の根拠となる人が一定数いることはわかっているつもり(そして日本人には多い傾向)ですが、にしても多すぎる。
もっと、自分で道を選んでもいいんだよ、こんな生き方もあるんだよ、今の生き方が辛いな・なんか変だなと思っているならちょっと変えてみたら?
そんな気持ちで、私は人に接してきました。今noteを書いているのも、同じ気持ちです。

なんとなく今の日々が辛い方。もしかしたら、私の書く文章の中に何かしらのきっかけがあるかもしれません。(もちろん、ないかもしれません)
視野が狭くなっていると、人はますますその一点に突き進もうとします。そして、視野が狭くなっていることに、大抵その人自身は気づいていません。
「これが普通」「みんなしている」。そのマインドのまま本心と違うことをしていると、心か体がやられます。やられなくても、他の人にそれを強いるようになります。そんな世界、私は嫌です。

ということで、こんな感じのゆるめの価値観をもっている私が、自分のこと・今までのこと・なぜこのような価値観を持つようになったか、そしてなぜその結果ニートになるに至ったか等を書いていこうと思います。不定期です。定期更新!なんて意気込むと疲れますから。
ニートのどうでもいい毎日のことについては、『ニートを楽しむ日記』にこれまた不定期で書いていくと思うので、気が向いたらたまに見てみてください。

(4831字)

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?