私の最期は


年明けに会って以来、久しぶりに母に会いに行った。
私の母は、去年の秋の終わり頃に大腸癌が悪化した母の母(私にとって祖母)の面倒を見尽くすということで、父親と同棲を解消した一番下の妹と3人で祖母宅(母の実家)に住民票を移した

そして母は、実母を無事に看取れた。

およそ1ヶ月間の介護生活
もうほぼ寝たきりになってしまった祖母の話を
亡くなった後すぐに聞くのも気が引けて聞けなかったが
時間が経つにつれて思い出話のように母がポツリポツリと話してくれる事が増えた

先日、母に会った時も話の流れで祖母の話になった





祖母は、THE亭主関白な祖父と結婚した
いつも、じぃじ・ばぁばと呼んでいたのでそのように呼びたい


じぃじは、孫にこそ優しいが、母曰く昭和の漢なので割と男勝りだった母と折り合いが悪かったらしい。
ばぁばは、昭和の女なので、でしゃばる事は無くいつもじぃじの後始末をきっちりするような女性だったらしい


毎年、お正月になると親戚一同がじぃじの家に集まる。
年の近い従姉妹たちに会えるのが凄く楽しみで大好きな行事だった

和尚さんのようなじぃじ。
だけど、なんだろう。大人たちの雰囲気というか、この群れの中で1番偉いのは絶対にじぃじ。それは怖いとか厳しいとかじゃなくて、そんなオーラ。
じぃじに褒められたくて頑張った事を披露したり、今頑張っている事を報告したり、なんかその報告会みたいなのが必然的にあって。出来の良い従姉妹たちの話に「お~👏」という大人たちの反応に、なにも出来ていない私は不貞腐れたりした記憶もある。


そういう時は、ばぁばがいつもフォローしてくれた。
誰も見ていない所で、私の些細な頑張りを褒めてくれた。

お正月の集まりは夕方からで、ご飯も食べ終わり男たちは酒盛りしている間は、子供と女たちは別室に移り、紅白を見ながらあーでもないこーでもないとくっちゃべり、誰かが買ってきてくれたアイスを食べながらずーっと喋ってる。
その場所には、一仕事終えたばぁばも居てくれて、ニコニコ座っていた




私が結婚するとき

「結婚は忍耐よ。我慢しなきゃいけない時もある。」


と教えてくれた。

重い一言をサラッと。
でもなんだか、ばぁばが教えてくれたこととして、特別な気がして、今でも全く忘れられないお守りのような言葉になっている。





2人は、2人で営んでいた商売を80歳くらい?もっと前かな?辞めたんだよね。

誰にも継がせる事無く、2人で始めて2人で閉めた。
その後は、旅行が大好きだった2人だったから、いろんな所に行くんだろうなと思ってたのに、2人して仲良く癌に狙われてしまって
先に逝ったのは、じぃじだった


決して近くない病院にほぼ毎日のようにお見舞いに行っていたばぁば


お葬式では、大泣きする事も取り乱す事も無く
静かに見届けていた

ちょうどコロナが始まる前だった




そして、ばぁばが

もう手術とかしたくない。誰かに世話になりながら長生きはしたくない。と言っていたらしい。
もう、89歳。
足腰も弱ってきていた。
私が最後にばぁばに会ったのは、初夏にあったじぃじの5回忌だった
杖をついていたばぁば
耳も遠くなっていたけど、大きな声で話せば会話は全然できるし
みんなで思い出話をしている時も、いつものようにニコニコしていた

それから4カ月後に旅立ってしまった







先日の、母と話していた中で
ばぁばと過ごした介護期間中の話になった
ばぁばは、早くお父さん(じぃじ)に会いたいと言っていたらしい
生前、じぃじと行った旅行での思い出話をたくさんしてくれたらしい
思い出の曲を思い出し、その曲を母が探して聞かせた。なんて事も。
介護期間の1ヶ月は、母は全身全霊でばぁばを助けていた。癌のせいで身体のあちこちが痛いと言っていたようで、そういう時は落ち着くまでさすってあげたり、夜中にトイレで起こされてしまう時なんかもしょっちゅうだったよう。

なんだか不思議だよね。
そしてとても幸せな時間だっただろうなって
自分がしてきてもらった事を、今度は母親にしてあげるなんて。
本当の親孝行だなって。

精一杯、悔いの無いようにばぁばとの時間を過ごしてきたんだと思う。
だからお葬式で、母は時に大泣きしたり、泣いてると思ったら笑っていたり。
そして何より、これでじぃじに会えるね。良かったね。という気持ちが大きくて。
悲しみ半分・安心半分なお葬式だったような気がする。そうであって欲しい。




私は、すっとこどっこいなので死ぬときは不慮の事故系だろうなって勝手に思ってる。
出来れば私も、ばぁばのように自分の人生を振り返って、よし、生き抜いた!と思えるような最期を迎えたい

間違っても、夏の夜、蝉ファイナルによってビビり散らかしたまま階段から落ちて死んだ。とか、爆音で音楽聞きながら歩いてたら気配に気づかないまま、UBERの配達してる外人(チャリ爆走)に轢かれて死んだ。とか。

まあこれは今まで生きてきて自分の身に起きた、まじで死を連想させるような瞬間なんだけど。



何が言いたかったのか、分からなくなっちゃった(´ー`)

悔いなく生きようね☆って事かな(強制終了)

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