見出し画像

就活終了宣言

あれほど、「就活しない」「就職しない」と言い張っていた女子が。
突然就活を始め、東京行きを決めるまで。
就活すると決めたあの夏の日から、やっと決まったと安堵した夏の日まで。約1年間、走り切った険しい道のり。
    1.就活する、そう決めた場所
    2.初めて「お祈りメール」が来た夜。
    3.内定がもらえない、悩んだ日々
    4.やっと内定が出た日、それは39.8度の猛暑日だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1.就活する、そう決めた場所

そう決めた場所は、城崎だった。とある方に誘われて行った、城崎国際アートセンターのインターン。訪れたのは、大学3回生の夏だった。
実は、この時期から就活は始まる。同い年の子はみんな、こぞって「就活のための」インターンに行くからだ。

もともと大学1回生の時に、職人さんの想いを届ける”想いのしおり“という媒体を立ち上げ活動をしていた。立ち上げた頃は、この活動で起業するつもりだったし、3回生の夏の時点でも気持ちは変わらなかった。
ただ、立ち上げる時に決めていたことがある。それが、「3回の夏に起業できる状態じゃなければ、おとなしく就職する」だった。

その3回生の夏に訪れたのが、城崎。インターンのプログラムとは関係がないが、7つある外湯を全て巡りお湯につかりながら、この先どうするかずっと考えた。

「あれだけ言ってきたのに今更」
「でも、このまま起業とかできるのか」
「起業した道、会社に就職した道、どっちの方が自分にとっていいか」

悩んで悩んで悩んで、出した選択は「就活して就職する」だった。でも、想いのしおりは続けたいし、独立もしたいし、できれば会社で働きながら続けたかった。

大学卒業で起業している人や、ベンチャーと言われる会社の社長さんからすれば、自分の周りの人からすれば、”逃げ” かもしれない選択。

それでも、そうした方が自分自身の経験とブランド、組織の回し方、ライターとして聞き出せる領域が、得られると思ったから。だから、”逃げ” ではなく ”次の一歩” としてこの選択を選んだ。

どれほど周りの人間に言われようと、決めるのは自分だ。自分の人生なのだからと。

2.初めて「お祈りメール」が来た夜。

就活する、そう決めた日から就活が始まった。いくつかの会社にインターンに行き、組織の中をのぞいてみた。リクナビにも登録をした。リクルートスーツは、買わなかった。

大学入学の時に買ったうっすら柄の入った黒のスーツを。鞄は、家にあったそれっぽい鞄を。靴とコートだけ今後も使えるフォーマルな物を買った。

そして、業界は「出版・編集」と決めた。

通常、3から4回生にあがる3月に就活が解禁され中小企業が一斉に就活生を採りにくる。そして、大手の面接は6月に解禁。だから多くの就活生は、5月のGW明けには内定がもらえ、そこで終わるのであれば終わり、大手に挑戦する子は挑戦する。もちろん、3月に内定をもらっている子もいる。 (2019年度卒就活生の場合)

そして、大手出版社は12月頃にエントリーを開始し、2月中旬にはエントリーシートを締切。3月には筆記試験という流れ。

大手に行きたい訳ではなかったが、大手企業がどんな試験をするのか興味があって受けてみることに。エントリーシートの質問では、「10年後の出版社の未来は?」「誰にも言えない秘密を原稿用紙2枚に書いてください」「弊社の媒体でどんな企画を立てたいか」など。どの質問も、出版社のっぽい切り口で書くのは苦戦したけど、面白かった。

そして、解禁になる3月頭には、石川にある出版社に2週間インターンをしていた。その会社は、石川では1、2を争う出版社。ポップ作成、書店回り、校閲のお手伝いなど社員さんと同じ列のデスクに座りながら、2週間体験した。その会社で、この方の下で働きたいと思える方とも出会えた。

だからこそ行ってみたいと思い、京都に帰ってきた後その会社のエントリーシートを書いて出してみた。

が結果は、書類落ち。それが、初めて「お祈りメール」が来た夜。

「慎重に選考させていただいた結果、誠に残念ながら採用を見送らせていただくこととなりました。何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。」と、人生初のお祈りメール。

それはそれは落ち込んだ。面接までは通ると思っていたし、インターンも行ったのだから。それなのに、って気持ちしかなかった。

そのメールを見た夜、つい手が伸びてしまった。

3.内定がもらえない、悩んだ日々

勤務地は極論北海道と沖縄以外であればどこでもいい、くらいの感覚。石川の他京都、大阪、兵庫、徳島、富山、名古屋、東京、はエントリーを出していた。

大手出版社も3社とも書類か筆記落ち。徳島の出版社も筆記試験のため本社まで行って、筆記落ち。名古屋の出版社は、2次面接落ち。
ちなみに大学に頼めば、エントリーシートのチェックと面接練習をしてもらえる。だけど、一度も受けてなかった。人前で話すのは、慣れているから。

何度も何度もエントリーシートを書いて、面接を受けたけど、選考が進んでいく会社はなかった。なぜダメなのか、悩み泣いてしまう日もあった。

 ・媒体をやっていて、ある程度経験があるから
 ・1年や2年で辞めそうだから
 ・Uターンではなく、Iターンだから
 ・独立のための足掛かりにされているだけ、と思われているから
 ・出版社の採用人数が「少人数」だからそもそも倍率高い
 ・独立意欲が強そうだから

などなど。選考が進まない理由を考えるとこれくらい。世の中には、経験値があるから不採用にする会社だってもちろんあるのだから。

そもそも、就活とは会社さんとの挨拶だと思っていて。そんな、短期間の就活時期でお互いのことを理解なんてできない。だから、はじめましての”挨拶”が就活なのだと思っていた。挨拶の時にダメと言われてしまえば、ご縁がなかったと考えるしかない。

出版社を志望するのは、業界の中で出版を編集を肌で感じ、学んでみたいと思ったから。想いのしおり、でライターとしてインタビューから編集までしていた。だからこそ、どうすれば文字で伝わるのか考え書くのが面白いと感じられたし。その部分を深めていきたいと思った。

会社に入ることで、一度は組織を経験したことがある人間として話せるし、組織としての回し方も、お金関係も見える。だから、会社に属するのだと。

もちろん、書くこと以外にも営業や事務作業、その他作業も一つの経験としてやってみたい。そんな、気持ちだった。

それでも、自分を曲げるのだけは嫌だった。そんなので入った会社なんて、1年ともたない。そこまでして入る必要もないかと。

だけど、どれだけ受けてもうまくいくことはなかった。結局、20社受けて書類落ち7社、面接落ち8社、筆記落ち4社、だった。20社という数が多いと思うか、少ないと思うか。先輩に聞いたところ、15~20社受けたという人が多かったから妥当な数だと思う。

エントリーシートがうまく書けていなかったのか、面接の受け答えが悪かったのか。落とされた本当の理由は、分からない。ただご縁がなかっただけと思うしかないのかな。


4.やっと内定が出た日、それは39.8度の猛暑日だった。

GWが明けて内定が1社もないまま不安な毎日を過ごしてた、5月の中旬。ネットサーフィンをするように求人サイトを見ていると、とある東京のベンチャー企業さんの記事が目に留まった。

その会社さんは、すべての人にストーリーを、と様々な人の想いを取材し、紙やWEB媒体で発信している会社さんだった。「あっ、やっていることが似てる!」と思い、すぐに問い合わせページからエントリーをした。

出版系のベンチャー。世界中の人の想いを形にし届けていく、がコンセプト。クライアントとなる会社の社長さんや社員さんに取材をし、会社全体をまとめる社内報として、新卒採用の採用ツールとして、使ってもらう。そんなサービスを提供している会社だった。

これまでやってきた、想いのしおりの取材対象者を拡大したような。ビジネスを拡大したような、そんなイメージ。だからこそ、共感してもらえるんじゃないかって。

驚く程すぐに返事が返ってきて、1週間後東京にある本社で面接となった。

1週間後。Googleマップを頼りに着いた場所は、小さなマンションのような場所だった。ドアを開けると、社員さんが出迎えて下さった。そして、少しして社長さんと雑談のような面接が始まった。

「なぜ想いのしおりをやっているの?」「取材をして記事にするまでのスピードは?」「編集って?」

「うちの会社は、こんな風にスタートして」「コンセプトはこうで」「最終的には、こんなビジョンで」

面接と言うより、意思疎通をするかのようにお互いの話をしていた。社長さんからも「やっていることが似ているね」と共感してもらえて。そして、「是非来て欲しい」と。ただ、その時点ではまだ受けている会社があったので、少しだけ待って欲しいとお願いした。

そして「最終面接」という名のもと呼んでもらえたのは、7月中旬。京都では、初めて最高気温39.8度を観測した猛暑日。

交通費を少しでも安くするため、電車とバスをのり継いで京都から東京へ。(夜行バスなら、京都から東京まで2,000円ほどで行ける)

そして、もう一度それぞれのやりたいことの確認。本当に受け入れるかどうか、悩んでいたとのこと。だからこその最終確認。

話の中で、想いのしおりは続けて良いと言ってもらえた。むしろ応援するとまで。そして、もちろん東京で働くことにはなるけど、関西へのと。

そして、約1時間の話し合いの末

「内定」

20社中1社の、やっともらえた内定だった。内定がもらえた安堵感と編集の他営業などもやれる期待と、想いのしおりを続けてもいいという嬉しさと。外の暑さに負けない、感情が湧きあがってきた。

そうして、就活すると決めた城崎から内定が出るまでの約1年が幕を閉じた。振り返ってみると、全く行く気のなかった東京で就職することが決まり。想いのしおり、も続けていけることになった。もちろん、取材や編集という書くということにも関わる事ができる。

想いのしおり、をどう続けていくかはまだ検討中。もしかしたら、形が変わるかもしれない。それでも、必ず続けると決めている。

そして、来年4月からは東京に住むことに。京都を出てみて、京都を外から見てみたいと思っていたのでちょうどいいのかもしれない。だけど、3年以内には帰ってくるつもり。。

周りの人からはすぐに決まる、と言われていたが結局内定がもらえるまで約1年かかってしまった。喜怒哀楽が激しい、険しい道だった。

今だから言えることだけど、就活してよかったと思っている。やっていることが必ずしも社会に認めてもらえる訳ではないこと、しんどいと泣いてそこからもう一度頑張ろうと切り変える気持ち、自分を見つめること、を身をもって知ることができたから。

結局東京で就職かよ、そう思う人もいるかもしれない。でも、自分で決めた道だから。誰に何を言われても、自分の人生は自分で決める。


サポート分は、取材費などに使わせていただきます!