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#① the diary | しろくま商社


#1 the diary | 区分

そこでの日々は地獄だった。障がい者はいじめられる。これは当たり前の事実である。健常者と障がい者。明確な区分がある。僕が障がい者になったのは最近のことである。診断名は広汎性発達障害。学生の頃に障害を患い、卒業後は福祉サービスを受けている。福祉とは本来、人々に幸福を与えるツールである。しかしながら、障がい者の中にも優劣が存在する。当然のことだ。健常者の間に区分があるように、障がい者の間にも区分があるのだ。

僕は劣等生だ。僕が今通っている福祉サービスでは、午前中に講座が実施される。講座ではグループワークが実施されるが、僕はそれが苦手である。思考を言語化する。それが出来ないのである。午後には疑似就労が実施されるが、僕はPC作業が苦手である。詰んでいる。そう思う。

そんな福祉サービスを受け始めてから1年が経過した。日々自分を責めるばかり。こんなに就活が苦しいなんて、思いもしなかった。僕は過去に虐待を受けている。何度も何度も母親に蹴られた。妹は不登校。父親は蒸発。そんな毎日。祖母は自殺し、頼れる者はいない。そんな毎日。僕は気付けば障がい者になっていた。

苦しい。そんな言葉が漏れる。最近は専らストレスケアの本を読んでいる。読書は苦手である。しかしながら、知識が無いと対処できないこともある。苦手ではあるが、克服したい。僕はそう思う。


#2 the diary | 野球

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野球が好きだ。好きな球団は中日ドラゴンズ。特に根尾選手を推している。高校球児だった自分にとって、甲子園のスターである彼には是非とも頑張ってもらいたい。

思えば忙しい毎日だった。朝は始発に乗り、練習後はジムに通う。そんな毎日。でも楽しかった。おかげで色々と悪化したが、それでも良かったと思う。人との繋がりは脆弱である。大学では線路を外れた。避けられない。そう思う。


#3 the diary | 時間

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時間が長く感じる。僕には得意なことが無い。昔はあった。けれども、今は無いのである。幼少期には様々な事をした。今はどうか。無味無臭の毎日。そんな日々に、一体どんな意味があるのだろう。

人生とは物語である。いかにして言葉を紡ぐのか。たとえ困難な状態にあっても、未来に希望が持てるのであれば、人は生きていくことが出来るのである。


#4 the diary | 苦手意識

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文章を書くのが苦手である。昔は得意だった。けれども今は違う。昔の自分は優秀だった。転機は中学の時。父親の蒸発によって、僕の人生は狂う。母親は鬼と化し、子供である僕はそんな母親に従う毎日。それが普通だと思っていた。それが当たり前だと思っていた。しばらくして、祖母が自殺する。当然だろう。それほど僕の周りの世界は狂っていた。

高校に入ると同時に、僕の成績は下降していく。中学までは優秀だった。しかしながら、それは心に余裕があったから。祖母が自殺してから、僕も狂い始める。そんな自分を抑える為に、僕は硬式野球部での日々に没頭していく。

僕には妹がいる。僕と同様に、妹も上記の騒動に巻き込まれる。そして落ちぶれていく。僕の妹と母親は常に喧嘩していた。次第に自宅は戦場となった。そんな毎日。


#5 the diary | 意味

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就職の季節が来た。3月21日から職場が新しくなる。正直、不安である。不安要素は大きい。特に自分は休憩することが苦手である。

現在、僕は福祉サービスを受けている。そこでの日々は地獄だ。

何も出来ない。それが自分の現状である。昔は出来たのに、今は出来ない。そんな日々。成長という言葉とは無縁の日々。それが僕の人生である。

そんな人生に意味はあるのだろうか。分からない。


#6 the diary | 就職

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就職した。3月21日が初勤務。僕は苦手なことがたくさんある。仕事もその内の1つ。仕事をする上で、身だしなみは大切。そんな世の中の常識と葛藤している。

仕事はチームワークである。多くの人を巻き込む。仕事が出来れば上質な関係が生まれる。仕事が出来なければ見下される。軽蔑される。

初めての障がい者雇用。分からないことだらけ。それでも前に進んでいけたら。そう僕は思う。


#7 the diary | 疑心暗鬼

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荻窪に住み始めてから、どれだけの時間が過ぎただろう。グループホームへの入居をきっかけに、僕は荻窪に住み始めた。荻窪は良い町だと思う。みんな、良い人ばかり。こんな町に住むことができる僕は、きっと幸せ者なのだろう。金銭管理。それがグループホームの掟。少ない予算をもとに、日々節約しながら生活する日々。正直、何度も抜け出したいと思った。でも踏ん張った。それは良かったのだろうか。僕は優柔不断である。大学1年の時に初めて通院し、今に至る。日々不安定。そんな中で、僕は一体どんな物語を紡ぐことが出来るのだろうか。障がい者雇用で採用され、今に至る。じっとすることが苦手な僕にとって、休憩は拷問である。しかしながらチームとして働く上で、休憩を欠かすことは出来ない。握力に頼るしかない。読書に頼るしかない。僕と似た症状を持つ人は、この世に存在するのだろうか。辛い日々。逃げ出したい日々。人生とは選択の連続であり、またいかに金銭と向き合うのかが大事である。障がい者雇用で得られる収入など、些細なものである。しかしながら、僕たち障がい者は、そんな些細の収入を大切に、今を大事に生きなくてはならないのである。世の中には様々なプラットフォームがある。そのような多種多様なサービスで溢れるこの世界で、僕はnoteと出逢うことが出来た。果たしてそれは幸運なのだろうか。文字を書きたい。誰かと話したい。誰かと繋がりたい。そんな些細な欲求を胸に、僕は今日も文字を紡ぐ。昔は出来たことが、なぜ今出来ないのか。不思議である。虐待ゆえ。離婚ゆえ。うつゆえ。僕は未だに、人生について悩んでいる。


#8 the diary | 出逢いと別れ

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古見さんをご存じだろうか。古見さんはコミュ障である。しかしながら、彼女は孤独を愛しているわけではない。誰かと関わりたい。そんなささやかな思いを胸に、彼女は苦しんでいるのである。誰かの気持ちに寄り添うことが、どれほど難しいことか。世の中は選択の連続である。また、人間関係というものは、些細なことをきっかけに崩れる。


#9 the diary | メーリス作成

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メーリスを作成した。誰かを頼りたい。そんな気持ちが芽生えている。しかしながら、その土台となるのは自制力。自分を制する力。良い人間関係を築きたいのであれば、まずは自分をコントロールすること。それが求められる。僕は自分を律することが出来ているのだろうか。疑問である。今日は出勤日。いつも通り、荻窪から後楽園目指して、丸ノ内線を使う。長い旅。荻窪は始点ゆえに、朝は座って通勤することが出来る。そこで毎日英語の勉強を出来れば良いのだが。そこは先々の課題である。


#10 the diary | 和解

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統合失調症とはどのような病気なのだろうか。僕は疑問に思う。統合失調症を患うと、どのような気持ちが芽生えるのか。果たして自分は、そんな障がいを持つ方と、今後も上手く接していくことが出来るのだろうか。

僕は広汎性発達障害を患っている。この診断名がついたのは最近のことである。しかしながら、自分はその診断名に対して納得していない。発達障がいとは、先天性のものである。果たして自分は生まれた時から障がい者だったのだろうか。否、それは間違いである。僕は自分がPTSDだと信じて疑わない。僕の障害はきっと、後天性のものである。

しかしながら、障害年金を受給するというハードルを乗り越えるために、僕は自分の障害と向き合う必要がある。障がい者として働く日々。正直、辛いことばかり。ある人は、仕事とは我慢することであると述べた。その通りかもしれない。我慢の先に、果たして僕の成長はあるのだろうか。疑問である。そうあれば良いと思う。握力に頼る日々。果たして僕は、今後も握力と一緒に、この人生を歩むことが出来るのだろうか。疑問である。疑問は尽きない。ゆえに僕たちは苦しむ。ふとしたひらめきが世界を救うのだと信じて、僕は日々を生きていく。