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【鹿児島 観光 #3】知覧特攻平和会館へ

先日、知覧特攻平和会館に行きました。

特攻隊などの歴史・知識はほぼ皆無の状態で訪れたので驚きの連続。
今でも忘れることのできない3つのことを書きました。

特攻隊・歴史については掲載しているHPのリンクからご覧ください。

知覧特攻平和会館前


①「おかあさま やっと死ぬ機会をいただきました」

展示品の遺書の内容を抜粋したものです。
内容にも驚いたんですが、現在でいう高校・大学生が残した言葉にも衝撃。

遺書からはすごく”家族愛”を強く感じるものばかりでした。

遺書内に「あなたのもとで生まれてよかった。短い間だったけど今までありがとう」などと周囲へ”謝る”(感謝)が多く、「ごめんなさい」などと周囲へ”謝る”(謝罪)はだいぶ少ないように感じました。

もし私が自殺するなら「死ぬ選択をしてごめんなさい」を文頭に「今までありがとう」を文末にすると思ったんで、印象に残っています。


②「必死」の当時の意味

「必死にがんばったんだけどな〜」のような
現在では「全力を注ぐ・ベストを尽くす」のような意味で使う「必死」

しかし、当時の「必死」は「必ず死ぬ」という意味で使われていました。
※特攻隊の戦法では、生きて戻れないと覚悟していたから

特攻隊の戦法:戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをする

知覧特攻平和会館HP / 知覧特攻平和会館とは

「必死」と聞くと、ここでの記憶がよみがえるようになっています。


③あの笑顔

特攻前日に撮影した特攻隊員の笑顔を、ご存知でしょうか?
もし見たことがない方は「特攻隊 笑顔」と検索してみてください。

あの笑顔、明日死ぬとわかっていてあなたはできますか?
いまの私は作り笑顔になる自信しかありません。

個人的に、あの笑顔をできた背景に

  • 個人では、覚悟(国・家族のために全うする)をきめたこと

  • チームでは、同じ目標(俺らの攻撃で敵を倒す)を共有したこと

がある(教育?)と想像し、この構造をパフォーマンス向上の学びにします。


最後に、ここを訪れてありきたりかもしれませんが
「目の前の人を大切にしよう」とより思うようになりました。


他にも今回の鹿児島観光で2本投稿していますので、よろしければ。














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