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"We"と"Others"の間にあるもの。インクルージブ教育と、国際教育開発を学ぶ者として目指すべき姿。(修士1週目)

修士課程の一週目が終わりました。今週の金曜日は授業はないので、課題や研究のアイデアを広げつつ、今週何を学んだか振り返りたいと思います。

International developmentとはなにか

まずは国際開発とはなにかというところから話が始まりました。例えば、オックスフォード大学の開発学は以下のように説明されています。

development as a process of managed and unmanaged change in societies in the global South (University of Oxford, MPhil in Development Studies)

サセックス大学のInstitute of Development Studies(IDS)では、開発学を学ぶ上で目指すべきゴールは以下のように説明されています。

Our vision is of equal and sustainable societies, locally and globally, where everyone can live secure, fulfilling lives free from poverty and injustice.(Institute of Development Studies, Vision & Strategy)

オックスフォードの定義では、Global Southという明確な地域的専門性があるのに対し、IDSではより包括的な捉え方をしているように見受けられます。このNorth vs. South の考え方には様々な議論があり(貧困や平等性などの開発における問題が必ずSouthにあり、North的なアプローチで全課題に挑むべきというようにも聞こえる)授業でもどのように一定地域を呼ぶかちょっと戸惑ってしまいます。ある教授はDeveloped countries vs developing countriesよりはいいのではないかとも言っていましたが、捉え方に個人差があるように思います。

North vs South とインクルージブ教育

Northだから開発できてる!SouthはNorthから学ぶべきである!というのは、正解ではないと思います。NorthがSouthから学ぶこともたくさんあるし、South同士が学ぶことは多くあるはずです。ある文献では、SouthにNorthの価値観、アプローチ方法を押し付けることは植民地化の延長線上にあるという主張もありました。これは今週学んだインクルージブ教育に関しても言えることです。

In the context of decolonisation debates, inclusive education has been critiqued on the basis that it is viewed as a project located in coloniality, shaped by the hegemony of Western philosophies, forms of knowledge and discourses, and imposed upon countries of the Global South (e.g. Walton, 2018). (Muthukrishna & Engelbrecht, 2018, p. 1)

もともとインクルージブ教育は、経済的に発展し、十分な訓練をうけた教員などのリソースが豊富な北欧で生まれたコンセプトです。端的に言うと、「生徒の個々の差に関係なくに対し同じように教育を与えること」であり、特に障がい児やマイノリティなど様々な不利的状況をもつ子供達を”通常”学級に入れ込むという考え方です。これらを学校へのアクセスに苦戦する異なる地域(so-called South)で強要するのは、地域特有の価値観を無視し、Northによるコントロールが継続ではないのかといった議論がありました。

そもそもインクルージブ教育には、多くのジレンマがあるようです。

1. Identification

障害を持つ子供は障がい児であると認知されるべきか否か。障がい児であるというレッテルがあるがゆえに、異なる扱いをうけ疎外されるのではないか。しかし認知しなければ、特別な支援を行うことができないのでは泣き。

2. Curriculum 

個人の持つ差異に関わらず、皆に同じ学習内容を貸すべきか。学習レベルを無視したカリキュラムでは、学べない子供がでるのではないか。しかし同じカリキュラムでなければ不公平ではないのか。

3. Location

個人の持つ差異に関わらず、皆が同じ環境(教室、机、椅子など)で勉強するべきか。

私たちのグループでは特にidentificationについて話しました。「障がい児vs. 普通の人」という二極端な考えを持つことが疎外を引き起こすが、そもそも個人に違いがあるのは当たり前であり、us vs. othersではなくスペクトラムであるべきであると考え、「異なる違いが同じように尊重され、その違いに合わせた支援が行われるシステム」が必要であると結論づけました。例えばそれは、障がい児に限らず足が折れた子に異なる椅子を与えるだったり、インターナショナル学生に言語サポートを行うといったことも含まれると考えます。


こんな感じで、一週間学ぶことがたくさんありました。私自身、教育を専門的に学ぶのは初めてのことなので、理解が不足している部分も多くあるかと思いますが、新しい学びの繰り返しの中で少しでも専門性を磨いていければと思います。最後に、スーパーバイザーから言われた一言を紹介して終わります。

”You cannot be a superhero. But, you can be an expert.”「教育弱者を”救う”スーパーヒーローには慣れない。でも、専門家になることはできる。」

自分になにができるのかしっかり考えたいです。
おわり。


文献

Muthukrishna, N., & Engelbrecht, P. (2018). Decolonising inclusive education in lower income, Southern African educational contexts. South African Journal of Education, 38(4), 11.

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