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ツイッターを休憩する作戦について

なんか疲れている時、しんどい時、だるい時、明日仕事行きたくねえな…という時、人はSNSをぼーっと眺めがちですね。せっかくの休日がツイッターを8時間眺めただけで終わってしまった…という事態が頻発したため、意を決してツイッターから離れることにしました。昨年の今頃も色々嫌んなって結晶育てたりしてたので時節のやつという気もします。まあ湿度高いし天気悪いしかれこれ2ヶ月以上祝日がないし日本人全員調子悪いでしょこの時期は…というおおらかで投げやりな気持ちで、絵を描いた時だけツイッターを見ていいこととしました。そうした決意からひと月。こうすればツイッター見たさにバリバリ絵を描くんじゃないか?という目論見でしたが、まんまと空いた時間はNintendo Switchとよろしくやってるという有様。意志が弱い。

ところで、私はテレビをはじめマスコミを積極的に摂取しない人間なので、唯一情報を得ていたツイッターから離れると途端に情弱になるのだ。21世紀に突入してから既に20年程経ってますが、ここにきて今日と明日の行動圏内の天気さえ分かれば良いというおよそ現代人らしくない暮らしをしています。縄文人でももうちょっと自分の生きている世界の状況を確認したと思う。興味のある分野の最新情報をお手軽に知れる手段がほしいところです。例えばお前が好きそうな新しいゲームが発売するってよ!とか皆既月食あるぞ!とかパンクでやべー映画公開中ですよ!とかあのアーティストの待ちに待った新譜出てんぞ!とかそういうやつをよ……ツイッターだよな…それって…

まあでも精神の調子が悪い時には攻撃的な言葉ばかり出てきてしまうし労働を呪うばかりなので、私みたいな過激派タイプは瞬発的に言葉を発信しがちなツイッターはほどほどにお休みしたほうがいいのかなと思います。というのも、どうも私は「こいつが嫌いだからこいつの作品も嫌い(坊主憎けりゃ袈裟まで憎い現象)」を恐れている。「私(以下甲)のことが嫌いでも【甲が関係している名詞】は嫌いにならないでください」という言葉を最初に聞いたときは「人気稼業は大変だな」と思ったけども、SNSなどを通して今まで作品しか見ていなかった人々の個人的な部分を知りやすい世界になってくると言葉の意味が随分違って見えてきますね。映像研には手を出すな!でも読モの水崎氏が(自分の作ったアニメーションに対して)「純粋な評価ほしい」と言っていましたが、その辺の話も繋がってくるのかな。名作と呼ばれる古典作品などがどう考えても人格ろくでなし作家の作品なのに純粋に作品だけに対して向き合えるのはやはり作家が故人だからだろうか。
ちなみに「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い現象」を恐れる理由は、その類似現象である「あなたの作品は特に好きじゃないし興味ないけどあなたは〇〇(友人・知人・家族・フォロワー・先輩・先生・日頃お世話になっている・etc)だから買ってあげるね」というお付き合い購入現象が本当に地雷という超個人的な主義が起因だったり、製作者側の発言や主義に違和感感じた途端に大好きだった作品に嫌悪感を感じるようになった事へのショックだったり、なんかそういう積み重ねの恐怖です。ほんとSNS向いてねえなと思います。

とりあえず色々伸び伸びでやってる一次創作の話がある程度進むまでツイッター休憩するつもりでいますが、果たしてNintendo Switchの誘惑にも勝って進行が爆速になり作戦成功するのか、やっぱり無理でしたと心折れてツイッターに入り浸り出すのが先か、なんか後者のような気がしますが2021年後半戦ほどほどに(健康にも気をつけて)やっていきたいです。よろしくお願いします。