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掌編 孤独なふたり 高北謙一郎

こんにちは。恒例の掌編投稿です。昨日、どしゃ降りの中、遊園地に撮影に出掛けました。雨の遊園地はふだんの華やかな雰囲気とは違い、どこか孤独の影がひっそりと横たわっているようでした。というわけで、本日は孤独にまつわる物語。いつものように投げ銭設定。お楽しみいただければ幸いです。



   【孤独なふたり】          高北謙一郎

ボクは、常に孤独とともにある。

そう言うと、いくらかのニンゲンはこう指摘する。
キミは孤独とともにあるのなら、決して孤独ではないということだね、と。
そこでいくらかのニンゲンは、ボクが反論するものと思い込む。
そうじゃない、ボクは本当に孤独なんだ、ひとりなんだ、と。
だけどボクは、決して反論なんてしない。
なぜなら、彼らの言っていることは間違っていないのだから。
そう、ボクは孤独ではない。ボクはボクであり、孤独は孤独である。
だからもういちど言おう。ボクは、孤独とともにある。

 
初めて孤独と出逢ったのは、もうずいぶんとむかしのことだ。

まだボクが子どもだったころ、孤独は近所の公園のブランコで、ひとり遊んでいた。並んでぶら下がっているもうひとつのブランコには、誰の姿もない。そして孤独はといえば、勢いよくブランコを前後させるでもなく、ただぶらぶらと揺れているだけ。ちっとも楽しそうじゃない。見るからに孤独だ。

孤独に目鼻はない。輪郭だけがある。ただ、その輪郭もどこかうっすらとして不安定だ。真っ白な影のようでもあり、綿飴のようでもある。当然、笑わないし話さない。

子どもながらに、かわいそうに思えた。同時に、その隣が空いていることに、なにか運命的なものを感じたりもした。なにしろボクもまた、ひとりだったから。

仕方がない。ボクはため息を吐くと、孤独が座るブランコの隣に腰をおろした。

以来、孤独はボクとともにある。まるで、無二の親友であるかのように。 


孤独が隣にいるせいなのか、ボクの隣には誰も近寄らなかった。中学、高校、大学……そして社会人になっても、友だちは出来なかった。もちろん恋びとなんて、考えたこともない。だけど別にボクはそれを寂しいとは思わなかった。なんとかしたいとも思わなかった。隣にはいつも孤独がいたし、それはそれでこころ落ち着くものだったからだ。

ところが社会人になって三年目の冬、異変が起きた。

それは通勤電車で乗り合わせた女性との、偶然の出逢いによるものだった。

朝7時35分。ボクは決まった電車の決まった車両に乗り込む。会社のある駅で降りる時、それが改札に向かう階段にいちばん近い場所に停まるからだ。都心へと向かう電車とはちがい、ボクの乗る電車はいつも空いていた。ボクは座席の隅、ドアに近い位置に腰をおろす。隣には、孤独。だからボクの隣には、誰も座ってくることはない。

考えてみれば、それは不思議なことだった。孤独は、ボク以外のニンゲンには見ることの出来ない存在だ。だからほかのニンゲンたちからすれば、ボクの隣は常に空いていることになる。にもかかわらず、誰もそこに座ろうとはしない。たぶん孤独の影が、そこを座り心地の悪い席に見せているのだろう。

その日も、いつものようにボクたちは座席に腰をおろし、これからやらなければならない仕事に対する憂鬱を共有していた。と、目の前にひとりの女性が立った。

初めての体験だった。ボクの隣に誰も座らないのと同じく、ボクの前に誰かが立つことはなかった。事故や天災で電車が混雑する時も、ボクの前だけは、誰も立つことはなかった。決してボクの前に孤独が立っているわけでもないのに。

視線をあげた。まだ若い女性だ。大学生、あるいは社会人か。地味な黒いローファーに、灰色のロングスカート。黒いカーディガンに白いブラウス。手には野暮ったいコート。黒い髪は伸ばしたというよりは伸びるに任せたまま、という印象で、そういったことに関心のないボクでさえ、彼女が手入れを怠っているのが分かった。

化粧っけもない。顔立ちは割りとハッキリしているけど、明らかに幸のうすそうな女性だった。華奢なのを通り越して栄養失調ではないかと疑うほどの細さも、その印象をより強めていた。ボクは初めて、自分と同じ種類のニンゲンに出逢った。

ボクは孤独を見た。孤独もまた、ボクを見て肩を竦めた。たぶん、同じことを考えているのだろう。ボクはひとつうなずくと、ひとり席を立った。彼女に、席を譲るために。

彼女は狼狽した。まるで、電車で席を譲られるのが初めてのことみたいだ。

それに、たぶん彼女も気づいたのだろう。席を立ったボクを見て、自分と同じ人種の存在を知ったのだろう。そしてまた、ボクの隣に座っていた、孤独の存在を。

「……いいんですか?」か細い声で、彼女は訊いた。

「もちろん」ボクはうなずく。「彼も、そう言ってる」

「分かるんですか? そんなことが」

やはり、彼女には見えているようだ。ボクはもういちど、深くうなずいて見せた。

「ありがとう」彼女は座席に腰をおろした。隣に座る孤独が、そっとその膝に手のひらを乗せた。彼女はびくりと肩を震わせた後、「よろしく」と、弱々しい声で言った。

会社のある駅に着いた。ボクはひとり、電車を降りた。孤独は、彼女の隣に腰をおろしたまま、席を立とうとはしなかった。その日、ボクは久しぶりにひとりになった。


けれど孤独のいない生活は、考えていた以上に馴染めなかった。隣に誰もいないということに、ボクは慣れていなかった。隣には、いつも孤独がいた。なのに、いまは誰もいない。そして孤独が隣に座っていなくても、電車の中でボクの隣に座る者はなかった。誰もボクの前に立つこともない。これまで孤独が原因だと思っていたことが、実は自分自身の問題であることを、いまさらになって知った。それはボクを苛立たせた。

家に帰ってからはひたすら酒を呑み、誰もいない部屋の壁に向かって文句を言い続けた。そして翌日の朝、二日酔いの気持ち悪さに、またボクはケチをつけた。
 

そんなある日の朝、いつものように決まった電車の決まった車両に乗り込み、いつもと同じようにドアに近い座席に腰をおろした。昨夜のアルコールが、頭の中で重たく居座っている。まぶたを閉ざし、深く息を吐き出した。酒臭さと不機嫌さを全身から発散しているボクの隣には、今日も誰も座らなかった。

と、ボクの前で、誰かが立ち止まった。甘い香水のにおい。うっすらと、まぶたを開く。ヒールの高い赤いブーツ。膝丈のデニムスカート。明るく青いセーター。赤いコート。視線を上に向ける。栗色に染めた髪が、朝のひかりを浴びて煌めいていた。目鼻立ちのハッキリした女性が、にっこりと微笑んだ。

誰か、分からなかった。でも、どこかその顔に見覚えがあった。

「あなたのおかげで、わたしは変わりました――」彼女はボクを見て口を開く。「わたしはそれまで、ずっとひとりでした。ひとりでいることに慣れすぎて、自分のことにまるで無頓着でした。だけどあの日、あなたが彼をくれた。彼はいつも傍でわたしを見守ってくれた。わたしは、自分のことを意識するようになりました」

思い出した。あの日、ボクが孤独を譲った女性だ。あの、不幸そのものを身にまとったような、ボクと同じ種類のニンゲンだ。その女性がいま、あの日とはまったくちがう空気を身につけて、目の前に立っていた。

「わたしが変わったことで、周りの環境も変わりました。友だちも出来ました。恋びとも出来ました。毎日が楽しいです。あなたのおかげです。だけど、わたしはもう彼と一緒にはいられません。わたしには、もう……」

彼女は表情を曇らせた。たしかにそうだろう。毎日が楽しいなんて言えるほどに変わったニンゲンに、孤独は必要ない。それにしても、ずっと孤独と一緒だったボクがなにも変わらなかったのに対して、彼女のこの変わりようには驚く。結局は、彼女もまた、ボクとはちがう人種だったということか。

「彼を、お返しします」彼女が言った。

やがて電車が停まり、彼女はホームへと消えた。ボクはちいさくため息を吐いた。

自分の右隣から視線を感じた。同時に、その手がボクの膝に乗せられた。

隣を見た。そこには白い影のようでもあり、綿飴のようでもある、孤独がいた。
 
ボクは、常に孤独とともにある。


                                    

                               《了》

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