HiGH&LOW THE WORSTについて語るときに我々の語ること~轟洋介に全力BET~



2019年10月4日。HiGH&LOW THE WORSTが公開されました。皆さんご覧になりましたでしょうか。

ハイローシリーズ特有の変態的バトルアクション、局面で切り替わるBGMで優勢陣営がわかる親切設計、ハイロードラマシーズン1からTHE MOVIE1のセルフオマージュまたはリブートとも見ることができる激アツ構造、主役である鬼邪高・コラボ相手である鳳仙どちらの格も落とさず、それでいて「オマエもつまんねえ男になっちまったな…」的イイ子ちゃん映画に堕ちることなく、全方面に華を撒き散らかしながら走り抜く脚本の妙。
どこを切っても最高の二文字(金太郎飴か?)なわけですが、そんなことは全国1億人の有識者たちが1億回語っている事実なので、わざわざ私が語る意義は薄いでしょう。なので轟洋介の喪失と再生の話をします。私がしたいから。


HiGH&LOW(以下ハイロー)において、轟洋介がもつキャラクター性は特異的だ。ドラマ版シーズン2において鬼邪高全日制に突如カチ込んできた謎の転校生、優等生的ルックスに反して喧嘩バチつよ学ランメガネ、初日で全日を制した勢いのまま「SWORDのテッペンとんだよ!!!!」と吼えた感情NG情熱OKなグッドルッキング黒髪ボーイ。対峙した辻・芝マンのみならず我々のドギモとハートまで一瞬で蹴り抜いた(詠春拳)男、それが轟洋介だ。ここまでで816億点です。

轟洋介は奪われてきた男だ。イジメの被害者として狩られる側に立ってきた男だ。
そして狩られ続けるくらいなら狩る側に回ると決意した男だ。そのために自分を鍛え、律し、『形ばっかのダッセー不良』を狩って狩って狩り続けてきた。写真を撮るのはコレクションだ。かつて自分を脅かした獣の牙を、角を、爪を折って飾る行為の代償だ。今の彼にはそうするだけの力がある。轟洋介は牙もつ元草食獣だ。

轟洋介は挑む男だ。定時と全日の違いも知らずに音に聞こえたSWORDの一画、鬼邪高校に乗り込むバカボーイだ。穏やかな故郷はもう捨てた、SWORDも鬼邪高も肉食獣のワンダーランドだ。もう後戻りはできない。
そうして彼は鬼邪の番長村山に挑む。勝って自分の牙を証明しようとする。孤独の頂で過去の自分を殺そうとする。

轟洋介は負けた男だ。彼の牙は村山には届かなかった。そりゃそうだ、村山は既に孤独の頂を超えている。山王連合会のコブラに負けたことから村山は跳躍した。自分が求める高みの光景は自分ひとりでは見られないことに気づいている。自分の王道を見つけている。邪魔者は潰して進む覇道しか轟洋介は知らない。少なくとも今はまだ。


そんな轟洋介が再始動した。(ここまで導入です


HiGH&LOW THE WORST(以下ザワ)冒頭において、轟は村山番長とタイマンを張る。定時/全日の分断宣言にキレた轟からの再挑戦だ。気乗りしない様子だった村山だが、轟と殴り合う彼は楽しそうに見えた。生来のケンカ好きももちろんだが、きっと轟との再戦は彼とて楽しみにしていたのだ。カワイイ後輩の成長を身を以て味わう、これは先輩だけの特権だからだ。
『強くなったねー轟ちゃん』と笑ったのは偽りのない称賛だろう。観客の目にも轟は数段レベルアップしていた。上段からの乱打中心に攻めていた前回と比べ、今回は下段からのラッシュ中心、手数の多さはそのままに、明らかに打撃の重さが増している。二人を囲む人垣を利用しながら撹乱を織り交ぜる戦法の巧みさ、体育館を縦横無尽に走り回る対応力も見事だ。彼はずっと鍛えてきたのだ。この日のために。村山との再戦のために、高みだけを見つめて、備えてきたのだ。轟洋介は。
二人は本当に必死で、楽しそうだった。相手を倒したい、自分のほうが強いと証明したい、そのためのケンカであるはずなのに、このままいつまでも戦っていたいと願うように。下校の鐘など鳴るなとばかりに遊び続ける子供たちのように。

それでも終わりはやってくる。突然に。

轟洋介は負けた。再び。手応えはあった、今度こそやれると思っただろう、闘志はまだ萎えていない。それでも一歩届かない。脚がもう動かない。視界は血に染まる。手負いの獣のように唸る轟の気迫がこちらの胸を締め付ける。怪我を負わせても手を緩めないのが村山の本気と誠実だ。チェックメイト。そして再挑戦は終わる。

全日には花岡楓士雄が転入してくる。司一派を継承しトップに躍り出た彼は、廊下で轟一派と出会う。轟は痛々しい眼帯姿だ。新入りを睥睨する轟の隻眼に楓士雄は映っていない。『格下』を認識するほど彼の視界は広くないのだ。村山ひとりぶんで満席だ。

レッドラム汚染の件で体育館に集められる全日生たち。持ち前の明るさと人望で中・中一派を併合する楓士雄を眺めながら、『おまえが持ってねーもんをあいつは持ってんのかもな』と村山は言う。
ここでようやく轟は楓士雄の存在を認識する。彼の視界が少し広がる。

鳳仙との激突前夜、轟の怪我が完治する。眼帯を外した轟の前に現れたのはやはり楓士雄だ。
『オマエが今まで戦ってきたやつらの中で間違いなく一番強い』鳳仙との対決が怖くはないのかと尋ねる轟に、楓士雄は笑う。『ワクワクするよな!』

轟の視界が開く。

轟の眼帯、これは彼の視野のメタファーだ。(女子ウケ狙い? ありがとうございますほんま…)
精神発達段階のメタファーと言い換えてもいいかもしれない。親や保護者たちに囲まれて過ごしていた小さな家庭から踏み出した子供が、保育園で対等の存在を知るように。
村山という高みの存在だけを見つめていた轟の視界は子供のそれだ。視野狭窄。まさに隻眼。
大人の背中を追うことに夢中で、周りを走り回る同い年の子供には気づきもしない。興味もない。
眼帯が取れたとき、轟の視界は広がる。世界を認識する。そうさせたのは楓士雄だ。人懐っこい彼の笑顔に、頑なだった轟の眉間の皺が薄れてゆく。
『足ひっぱんじゃねーぞ』 ワイルドカードの参戦だ。

では轟の視界はいつ失われたのか? 村山との再戦で? 

いいや、物語のずっと前からだ。

そもそもザワにおいて、『人望がない』『拳は強くとも全日を掌握する力がない』と言われている轟だが、これは半分正しくて半分間違いだ。正確には『人望を欲していない』し『掌握する必要も感じていない』から。
だって彼は本質的には不良嫌いの人間嫌いなままなのだ。だから孤独だし、孤独でいいと思っている。轟一派のアジトである放送室はその象徴だ。防音。重厚。閉鎖的。誰の立ち入りも拒んでいる。いつでも開け放たれた村山たちの溜まり場とは対照的だ。誰にも心を開かない――辻と芝マンだけはべつとして――から、誰も彼に心を開かない。当たり前だ。

けれど鬼邪高のことは大切に思っている。前日談であるエピソードOにて、全日とモメたケジメをつけるため他校にひとりカチ込んだのがその証拠だ。鬼邪高を傷つけたくないし、汚したくないし、守りたいと思っている。しかし根気強く原因を探って問題解決を図ることも、全日生を集めて集団で乗り込むことも彼にはできない。だって面倒だし、よくわからないから。それより一人で黙って潰しに行ったほうがよっぽど早い。(それができてしまうだけの力があったのが彼の不幸だ。辻と芝マンが追ってきたことが不幸を薄めてくれたとしても)
なにより彼はリーダーでもなければボスでもない。暴力で何かを強制するのは過去の自分がされてきたことだ。最も憎むべきことだ。だから轟は『やれ』とは言えない。『やろうぜ』とも言えない。ひとりで黙って『やる』しかなかったのだともいえる。
つまり対人機能の欠如が轟洋介の最大の弱点だ。欠如といっても最初から持っていなかったわけではない。

ここに彼の喪失が見える。

元いじめられっ子という過去は、轟洋介にとってあまりにも大きい。精神を折られ、肉体をいたぶられ、自尊心すら奪われた。不良も人間も嫌いになったのはこのとき。今でも他人と喋るのは苦手だ。
傷を乗り越えるために強くなった。外側は完全に鎧うことができたが、心はまだ欠けたままだ。喪失は埋めなきゃいけない。不良を狩って、写真を撮る。戦利品。かつて奪われた心を、自尊心を奪う。でもどれだけ奪っても穴は埋まらない。写真だけが増える。
村山と対峙したとき、轟に転機が訪れる。彼を打ち負かしておきながら何も奪わなかった人間は村山だけだ。どころか何か眩しいものを見せてくれた。それが何かはまだ分からない。でも眩しい。自分もあれがほしい。村山への執着はここから始まる。もう写真はいらない。再生のスタートだ。

『3月のライオン』という漫画のなかで、印象的な手紙がある。
いじめをうけて転校を余儀なくされた少女が、ケアセンターの先生に聞いたアドバイスを友人の少女に語る部分だ。
『まず動物のお友達を作りましょう。それができたら年が上のお友達。次に年の近いお友達を作りましょう』

これは轟がたどった喪失と再生のプロセスに似ている。

轟が最初に出会ったのは辻と芝マンの二人組だ。彼らのあり方は忠犬もしくは番犬に近い。閉じた部屋で静かに本を読む主人のそばで勝手に過ごす二匹の犬だ。
轟は確かに彼らに勝ったが、その後で村山に負けた。だから辻と芝マンは轟が強いから、という理由だけで轟についているわけではない。それは定時から軽んじられ鬱屈していた全日の壁をあっさり蹴り壊した轟への憧憬であったかもしれないし、何度負けても立ち上がる轟にいびつな大器を見たからかもしれない。いずれにせよ辻と芝マンの二人にとって、轟は有り金すべて賭けるに足る男なのだ。
彼ら以外の万人が認めずとも、彼らにとっては轟が王で轟が主人だ。もはや与える食べ物をもたずとも、差し出された主人のてのひらを犬がそっと舐めるのと同じだ。
犬は何も求めないし、何も奪わない。あたたかくて、安心できる。いちいち振り返らずともついてきてくれる。対人的喪失を抱えた轟にぴったりのふたりだ。鬼邪高という『形ばっかのダッセー不良』の巣窟において、轟が最初に出会ったのがいぬのような善性と忠実を持った辻と芝マンであったのは最良の幸運だったのだ。そうして彼らは轟を見守り続ける。熟達した番犬のように。

年上のお友達。これは村山。もちろん彼は友達ではなく先輩なわけだが、本質は同じだ。
大人は(もちろん信頼のおける人間に限るが)長く生きているぶん余裕がある。たいていのことでは傷つかないし、傷つけられる心配もあまりない。対等ではないから甘えられる。たとえ無意識にでも。
轟にとっての村山は、いつか越えるべき頂で、太陽で、けれど彼の知らぬところで保護者でもあった。いじめによって閉じた轟の視界が鬼邪高に来て半分開いて、初めて見た人間が村山だ。そりゃ執着するに決まっている。背中を追うに決まっている。自分を見てほしいし、対等になりたい。ガキ扱いなんて絶対絶対されたくない。轟の視界は村山で埋まる。

そして年の近いお友達が現れる。楓士雄。

楓士雄の無邪気さが轟を変える。 楓士雄の自由なキャラクター性がどこか村山と似ているのも関係しているかもしれない。なんか懐かしくて、眩しくて、ほっとけないやつ。掛け値なしに対等でいられて、自分を鎧う必要もなくて、自分にないものをたくさんもってるくせに、それが全然悔しくないやつ。でも自分のほうがまだ少し強いから、面倒を見てやってもいいかと思えるやつ。

こんなん… 心を開いてしまいますわね。

この『少し強い』がキャラクター設定の妙だ。
人望面で最強なのが楓士雄、戦闘力で最強なのが轟(サッチーとやっても轟なら多分勝つんだろうなと確信させる演出の積み重ねが最高だった。轟のオタクは最強厨が多いので福利厚生が手厚い)という二枚看板スタイルがそもそも最高だが、あのプライドエベレスト級な轟洋介が誰かを補佐する可能性に逆に説得力をもたせている。轟のPTAにありがたすぎるのかよ。

『こいつは自分が見ていてやらないとダメだな』と思わせるのはまさに情操教育だ。子供の世界に責任感を芽生えさせる構図。対等な相手でありながら、同時に目を離せない弟のようでもある。
決戦の直前に『どしたん?』と話しかけ、楓士雄のケジメに協力し、最後には肩も貸す。喪失の終わり。轟の心はここに再生する。

このときもう轟の執着は村山にない。少しさみしい気もするが、保護者を求めなくなるのは子供の当然の成長だ。VS鳳仙戦・おなじみオヤコートラックで吶喊してきた村山に対しても、ザワラストで卒業していった村山に対しても、轟の反応がフォーカスされていなかったのは意図的なものだろう。彼は親離れを始めていたから。もう友達がいるから。大丈夫だから。
轟は楓士雄にデコピンしたから。

村山さんは卒業しても大丈夫なんだ。
大丈夫なんですよ。

もちろん轟の再生は、 楓士雄が楓士雄だったから、というだけではない。彼が轟の心を開かせるに足る男であったのは間違いないにせよ、その基礎には辻と芝マン、そして村山の存在があった。
砕けた心を鎧で覆うように生きていた轟を一番近くで見守り続けたのが辻と芝マン、轟の心と視界が再生するまで待ち続けたのが村山だ。そのどちらかがなくとも、轟の再生はありえなかった。何だよ、周りに恵まれてんじゃねえか轟。

VS鳳仙戦の後、河原で休息する全日の図が印象的だった。あの轟が、辻芝マン以外の人間と空気を同じくするだけでなく、積極的に雑談に応じている。
特にバビっちまったのが『じゃあ今からその鈴蘭ってのに行くか!』とIQ11発言をかました楓士雄に対し、ぱたぱたと率先して拍手した轟だった。おまえ、そういうことするんだ!???
中の人(前田●輝氏様)が各種インタビューで語っておられるように、轟洋介と中の人(前田公●氏様)のホスピタリティあふれるキャラクター性が融け込んだものが、たまたまこの一瞬で表層に浮上したのかもしれない。けれどもしくはいじめに遭う前の轟は、もしかしたらこういうタイプだったのかもしれないなと考えずにはいられなかった。いつもは大人しくて控えめだけれど、ここ一番で周りを盛り上げることができるやつ。ちゃんと『楽しい』をみんなに与えて、同じくらいの『楽しい』を受け取ることができるやつ。

泣いちゃうだろそんなん。

いじめられていた頃の轟がほんとうにほしかったものは、いじめクソ野郎どもを一蹴する強さではなく、痛みを分かち合えるダチたちだったんじゃないだろうか。それが不良の集団鬼邪高で叶うんだから不思議なものだ。でも人生ってきっとそういうものだし、轟の人生はこれからも続く。村山さんの人生が続いていくように。

だからさ村山さん、きっと大丈夫なんですよ。


正直ね、そろそろ私はハイローのことを嫌いになりたかったんですよ。ハイローにこれ以上人生狂わされたくないでしょ。
「ハイローもつまんねえ男になっちまったな」と分かったようなカオで劇場を去りたかった。だって辛いもん、いつ帰ってくるかも分からない誰かを待ち続けるのって。
琥珀さんもそうだったでしょう。ただひたすら待ち続けるより『向こうが変わっちまったんだから仕方ない』テイで諦めるほうがずっと楽。
でもそうはならなかった。ザワは最新にして最高のハイローとして私の前に現れ、私から色々なものを収奪していった。轟洋介に、第二世代としてのオヤコーに全力BETさせられてしまった。

悔しいなあ。
私はハイローを嫌いになりたかった。ハイローに失望していたかった。ハイローに期待しないでいたかった。

でも全部が叶わなかった。


そのことが今はとてつもなく、悔しい。