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Twitterアカウントを凍結されて考えたこと

かれこれ12年ちょっとTwitterを使っているが、はじめてTwitterアカウントを凍結された。「おかしいな」と気づいたのは外出先からiPhoneでTwitterを触っていてFollowing / Followersともに表示がゼロになったこと。特に凍結されたとかの表示はないし、警告メールのようなものも来ないので、最初はAPIの不具合とか、国際ローミングなので通信状態が悪いのかと思っていた。

ホテルの自室に戻って調べ始めたところ、Twitterで他の人がわたしのアカウントが凍結されたと騒いでいるのをみて、はじめて自分のアカウントが凍結されたことを知った。慌ててブラウザからTwitterにアクセスして指示に従って異議申し立ての手続きを行ったが、まだ返事は来ていない。ネットで調べると昨年4月から原因となっているツイートを教えてくれるようになったらしいのだが、自分には特にメールなどきていない。

Twitterのアカウントを凍結されると、いちおうログインはできるのだけど、タイムラインが更新されなくなって、ダイレクトメッセージを開こうとしても 「サーバー内部のエラー」と表示され、これまでのメッセージが閲覧できなくなってしまう。ツイートを投稿しようとしても「あなたのアカウントは凍結されているため、ツイートを投稿することができません。 詳細はこちら」と表示されて、書き込むことはできない。他人が自分のタイムラインにアクセスすると「アカウントは凍結されています。Twitterでは、Twitterルールに違反しているアカウントを凍結しています」と表示される。いちおうログインできるので、Twitterアカウントと連携している外部のアプリケーションは引き続き使えるようだ。

正直まだ心の整理がついていないのだが、Twitterアカウントを凍結されて感じたり考えたことを早めに残しておいた方がいいだろうと思って、Facebookで一報を入れるとともに、Noteで文章に残しておくことにした。

自分は少し前までWebサービス運用の内側にいたので、毎日何万、何十万というアカウントを凍結する様子を身近に見てきた。様々な不正に対応するためにはアカウントを凍結する必要があって、分量的に人が個別に対応するには多過ぎて、機械的に対応すればまとまった数の誤爆が生じることも分かっている。各社とも規約違反に対してアカウントを凍結する正当な権利を契約で担保しており、サービスを適正に運用するために凍結が必要であることも理解している。

特に近年ではフェイクニュースが大きな社会問題となって、これまで以上にソーシャルメディア運営企業の社会的責任が問われていること、特にTwitterは批判のやり玉に上がっていて、この状況を改善しようとしていること、その影響で身近なところで多くのFollowerを抱えていたにも関わらず、幾度もアカウントを凍結されてTwitterの利用を諦めた知人もいたので身近な問題ではあった。それでも実際に自分のTwitterアカウントが凍結されてみると、いろいろと考えさせられることがある。

まず最も困るのはこれまでTwitterのダイレクトメールでやりとりしていた人と連絡を取れなくなってしまうことだ。電子メールやFacebookでも繋がっていれば問題ないが、Twitterでしかやりとりしていない友人との連絡手段がなくなってしまう。新規にアカウントをつくったとしても、すぐにDMを送り合える関係にはなるとは限らない。人と知り合っても電話番号なんか交換しなくなって久しいが、複数の連絡手段を確保しておくことはとても重要だ。

次に自分のタイムラインが見えなくなってしまうことだ。これまで十年以上かけてフォローしてきた何千ものアカウントを、ひとつひとつ新しいアカウントに引き継ぐのは難しい。そもそも自分のフォロワーが増えない限り、フォローできる数にも制限がある。さっきまで見えていた日常のタイムラインが二度とアクセスできない、凍結された時点で止まったものになってしまうのである。もし仮にツイートの内容に問題があったとして、どうしてタイムラインまで止めてしまうのか、サービス設計として正直よく分からない。

今回のアカウント凍結を経て、これまで空気のように当たり前のものとして使っていたTwitter自体、強い権限を持った運営事業者の掌の上で使わせてもらっている非常に脆い環境であることを強く意識するようになった。本人としては規約を守って適正にサービスを使っているつもりであっても、一方的にアカウントを凍結された際には何が問題だったのか分からずに、自分がこういう状態にあることを周囲に知らせる術さえないこと、これまで自分が十数年にも渡って積み重ねてきたツイートや、ひとりひとり追加してきたフォロー、自分のことをフォローしてくれた数万人のフォロワーが、何が起こったか全く分からない状態で一瞬にして消えてしまう現実に直面して、この非対称的な関係に、どれほど自分が依存してきたかを認識して愕然とする。

近年はデータポータビリティといって、自分のデータを運営事業者に預けっぱなしにするのではなく、自分が管理できるデータとして扱うようにするための取り組みや、Self Sovereign Identityといって、運営事業者によって勝手にIDを止められないように、自分自身で管理する仕組みが提唱されている。MastodonのようなTwitterクローンも登場している。これらはまだまだ萌芽的な技術で、Twitterほど使うのが簡単ではないし、そう簡単に既存のソーシャルメディアを置き換えることは難しい。

これまで自分がTwitter上で積み上げてきた無形資産とは、アイデンティティやデータそのものではなく、Web上での無数のリンク関係であり、ツイートした途端に多くの人たちから見てもらえるアテンションであり、他の多くの人々との文脈に依存したやりとりそのものであって、それはツイート自体やFollowing / FollowerのデータをTwitterからエクスポートして他の場所にインポートできたところで取り返しがつくものではない。そういったコンテクストを丸ごとサービス間で移送できる技術を実現できる日がくるのか正直よく分からないけれども、いずれチャレンジしてみたいテーマではある。

自分はこれまで自分なりにTwitterに限らずWebサービスの規約を尊重してきたつもりだ。議論をしても他人の嫌がらせや誹謗中傷はしない、間違った認識に基づいてツイートしてしまうこともあるが、他人からの指摘を真摯に受け止めて事実関係を確認できたところで速やかに修正する。知的財産をはじめとした他人の権利は尊重する。それでも時に語調に棘があったり、虚偽の情報を信じてツイートしてしまったことはある。これから運営元とのやりとりの中で、自分の表現や行為にどのような問題があったか明らかとなったなれば、もちろん改善していきたい。

一方で気付きとして、これまでTwitterをはじめとしたソーシャルメディアが民間企業の提供する1サービスである以上は契約自由の原則で、運営事業者は利用者と同意した規約に基づいて書き込みを削除したりアカウントを凍結する自由があると考えてきたけれども、本当にそれだけでいいのか改めて考えさせられた。利用者がサービスを使うためには規約に同意せざるを得ず、その規約の解釈について運営事業者と利用者との間で乖離が生じ得る。事業者が一方的に書き込みを削除したり、アカウントを凍結できてしまっては表現の場としては萎縮が生じてしまう。

利用者は評判やフォロワー、やりとりの相手など、そのソーシャルメディア上で時間をかけて多くの無形資産を積み上げており、それらは容易に他に移動させることはできない。ソーシャルメディア事業者もまた、利用者による表現やそのアテンションをマネタイズすることを通じて事業を成り立たせている。本来そういった相互的な関係の中で、どのようにソーシャルメディア上の秩序や価値観を形成すべきなのか。機械的なアカウント凍結を繰り返せば環境を浄化できるのか、突然の凍結をはじめとした不確実性に怯えた利用者による表現がフェアであり続けるのだろうか。

運営事業者が積極的にアカウント凍結を行う背景として、誹謗中傷をはじめとした利用者間のトラブル、著作権をはじめとした権利侵害、組織的なフェイクニュースの流布などに対して事業者として社会的責任を求められていることは承知している。こうした凍結に遭わないため利用者として何をどう心がければいいのか、納得いかない場合どのような紛争解決手段があるのか、競合サービスの隆盛など市場での競争を通じて公正な言論空間が担保されるのか、それとも何かしら利用者保護の仕組みが必要なのか。

自分が実際に、これまで十数年かけて積み上げてきたデジタル資産と表現の場を一瞬にして取り上げられようという現実に直面して、これまで空気のようにソーシャルメディアを使ってきたけれども、その足場が如何に脆いのか、これからますますオンライン上の資産が個々人の生活に大きく影響を及ぼす中で、どうやって自由に活動できる言論空間を確保し得るのかについて改めて考えさせられた。

追記:読者の皆様にはご心配をおかけしましたが、この投稿の約1時間後にアカウント凍結は解除されました。しかしながら凍結とその解除の理由について、Twitter社からは今のところ何ら連絡はありません。再発が怖いので、今回アカウントが凍結された理由について、改めて異議申し立てのメールにかぶせて問い合わせているところです。

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