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シンギュラリティを考えよう

日経さんの企画で、テクノロジーが変える30年後の世界を「テック2050」と題して特集展開されるとのことで、私からも記事を出させていただきます。

私が選んだテーマは、シンギュラリティ。

シンギュラリティは頻繁に引き合いに出され、議論が展開されていますが、ちょっとした研究テーマとして私は扱ったことがあるので、ご紹介したいと思います。


*この議論のタネになったのは、下記のイベント

*下記のページから論文のダウンロードも可能です!


"シンギュラリティに関する議論" に関する議論

そもそもシンギュラリティに関する議論は、3種類あると考えられます。

◾️1つめ:前提がない議論

前提のない議論では、そもそもシンギュラリティが起こるか否かが争われる傾向にあります。

◾️2つめ:シンギュラリティの到来が前提の議論

この場合は、"到来する時期"と"到来した際の影響"が主な議題になることが多いです。

◾️3つめ:シンギュラリティが到来するか否かを問わない前提の議論

このパターンは、シンギュラリティの議論の題材に使われる指数関数的な技術発展や、これまでの技術の歴史を踏まえて今後の技術や産業、行政の発展を予測していこうという趣旨になることが多いです。


1つめや2つめの議論は世間的に多くされている印象ですが、実は不確実な要素から展開される議論が多く、場合によってはポジショントークになってしまっていることもよくあります。

一方で3つめの議論は、一見わかりにくいようですが、客観的事実に基づいて議論されることが多いために、実はシンギュラリティの専門家たちはこの立場で議論することが多いです。

そこで、ここでは3つめの議論で重要になる、「収穫加速の法則」というものをご紹介しようと思います。

収穫加速の法則

収穫加速の法則とは、レイ・カーツワイル氏が提唱した理論で、”1つの重要な発明は他の発明と結びつき、次の重要な発明の登場までの期間を短縮する”というもの。これは、事実として広く認められています。

簡単に言えば、"新たな技術を生み出すスピード"をあげる技術がどんどん生み出されているということです。新たな発明を半分の時間でできてしまう技術が3年に1回発明されたら、30年後には今の1000分の1の時間で同じ発明ができてしまうということです。わかりやすい例で言えば、コンピュータ自体のスピードが向上すれば、コンピュータを使った発明はどんどん加速していきます。

そもそもシンギュラリティを提唱したのはレイ・カーツワイル氏であり、シンギュラリティはこの収穫加速の法則を前提に組み上げられた理論なのです。

どんなことから、自動化されるか

端的に結論を述べるならば、自動化される優先順位の付け方の1つとして、”みんなが共通して取り組んでいる作業”という基準があると思います。

発明の加速の仕方としては私は2種類あると思っています。1つ目は、ダイレクトに研究を加速させることによる発明の加速です。2つ目は、人の仕事を自動化して人が今までとは別の時間の使い方ができるようになり、発明に使える時間が増えることによる発明の加速です。前者はもともと発明に携わっている人に直感的ですが、そうでない人にとっては見えないところで進んでいる発明の加速かもしれません。一方後者はある日自分の作業の多くを技術によって代替されて、場合によっては新たに発明に携わるかもしれないという意味で、多くの方がイメージしやすいかもしれません。もちろん、自分で自由に使える時間が増えたら、発明以外のことに使うのもいいでしょう。普段の家事の時間が半分になったら、事務作業の時間が半分になったら、空いた時間を何に使いますか?

同じ難易度の発明をするなら、普段の生活の中でみんなが共通して多くの時間を使っていることを自動化できれば、多くの人が新たなことにチャレンジできるようになり、効率よく生活を豊かにしていけるはずです。

人の仕事は多様化する

多くの人がやらなければいけないことから自動化されるのであれば、だんだん同じことをしている人が減っていくはずです。そうなれば人々の仕事や暮らしは、その人の好きなこと・得意なことに従った多様化が起こり続けていきます。

歴史を振り返っても、人の仕事はどんどん多様化してきました。30年前では想像も つかなかったような職業がどんどん現れています。これからの30年では多様化の動きがさらに加速します。今の小学生の65%は、現在は存在していない職業に就くという予想がされているほどです。
もしそうなら、「好きこそものの上手なれ」。

現在の職業に就くための勉強が大切なことはもちろんありますが 既存のものとは違った価値軸の能力がどんどん職業として成立していきます。自分だけの価値軸を見つけられれば、それが自分の天職になるのかもしれません。これからの社会ではこれまで以上に、みんなと一緒でなくてもよくなっていくのではないでしょうか。

2045年ともなれば、「専門は?」「職業は?」という質問すらも成り立たなくなっているほど多様化していたら、面白いですね。

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