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西行於高野奥造人事に出てくる人

西住上人

西住は、西行がつねに「同行に侍りける上人」と呼び、文字通り形影相伴う仲だった。

夏、熊野へまゐりけるに、岩田と申す所に涼みて下向しけるに、人につけて京へ、西住上人のもとへつかはしける

松が根の岩田の岸の夕涼み 君があれなと思ほゆるかな

このいかにもやさしい調べからは、ほとんど異性への愛情にも似た濃密な友情がうかがわれる。

高野の奥の院の橋の上にて、月明かりければ、もろともに眺めあかして、その ころ西住上人京へ出でにけり。その夜の月忘れがたくて、又同じ橋の月のころ、西住上人のもとへいひ遣はしける

こととなく君恋ひわたる橋の上に あらそふものは月の影のみ

返し 西住

思ひやる心は見えで橋の上にあらそひけりな月の影のみ

出典:[目崎徳衛,「西行」,吉川弘文館,1989,pp84-85]


徳大寺実能

西行法師の生家、佐藤家は私領であった紀伊国田仲庄を荘園として寄進し、自ら預所として財をなしていきます。佐藤家は徳大寺家と先の関係(寄進先)にあったため、義清は元服後の多感な時期を徳大寺家の家人(けにん)として過ごしています。この徳大寺家は和歌の雰囲気を濃厚に持った一族で、若き日の義清に少なからぬ影響を与えました。


伏見の前の中納言師仲の卿:源師仲

源師仲(みなもとの もろなか)は、平安時代後期の公卿・歌人。村上源氏、権中納言・源師時の三男。官位は従二位・権中納言。伏見源中納言と呼ばれる。
鎌倉時代の説話集。一巻。藤原信実(のぶざね)著。1239(延応1)年~41(仁治2)年の間の成立。平安後期以後の比較的新しい説話五十三編を集める『今物語』の第十八話において、西行法師が伏見中納言に会いに行ったが………という話が残っている。
「西行於高野奥造人事」が掲載されている撰集抄は、1250年~1287年に成立したとされている(wikipedia)ので、この物語にある中納言師仲は、この「今物語」を参照しているのかもしれない、


ものがたり「西行於高野奥造人事」反魂の秘術


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