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阪神電鉄 『焼屋敷踏切跡』

やけ しき 阪神電鉄 『焼屋敷踏切跡』
明治三十八年(一九〇五年)四月、阪神電気鉄道 が開業しました。その後、昭和の時代よりこの地は、焼屋敷踏切として利用されてきました。
焼屋敷踏切は、平成二十九年(二〇一七年)三月、阪神電気鉄道本線連続立体交差事業による鉄道の高架化に伴い、長年の歴史に幕を閉じました。
踏切があったころの映像はYouTubeのこちら

~『焼屋敷』の由来~

平安時代の末期、小松町に平清盛の嫡男、重盛 の館があったとされています。 一一七九年、重盛は病により亡くなります。 その六年後、平家は壇ノ浦の戦いで滅亡します。 平家の一門は、この混乱による都落ちの際、 重盛の館に火を放ったことから、この地の古い 字名が『焼屋敷』となったという説があります。

焼屋敷踏切跡高架下の銘板2023年9月撮影

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