福と別居

おはよう、今日。
昨日はよく寝れた?

朝起きて、東北の地震の被害知って。
まだまだこれからいろんな事がわかってくるんだろうけど、今日という一日を生きていられる奇跡を心の中でぎゅっとして、私は今日もドアを開けて出ていきます。

その日、私はただいまと言ったかしら?

春の陽光の中、めずらしく干されたオレンジ色のカーペットが私を出迎えた。

それはだらりと一階の窓から投げ出され、おまけに裾は地面についていた。かなり適当。

カーペットって干す?って違和感は大人になってからやってきたんだろう。

なんたってその光景を見た私は一人幼稚園バスから 下車して自宅まで帰ってきたばっかの 園児さんだったんだから。

あれ?いつもと違うぞって思いながら納屋にいる母のところに行こうとカーペットの横を通った。
なにか、目の端に。あれ?

!!!!!! !

子猫がいる ! カーペットの裾にちょこんと丸まって寝ている!!!

おかーさーん!!!
ネコがおるよ!
猫の子がカーペットで寝とうよー!

私は黄色の幼稚園ばっくの中身をカチャカチャいわせて納屋に走り込む。心臓がバクバクいってる。

かばんの音が、

うんめい うんめい っていってる

かいたい かいたい っていってる

…でも、
おかーさん いいでっていってくれるかなぁ?

そして神さまを見上げるみたいに、仕事場から現れた母の顔を見上げた。
それは後光、もとい逆光で私からはどんな表情なのかよく見えなかった。 ううん、そんなことはどうでもいい。 おかーさんに、私の必死な表情が見えてたらそれでいいのだ!

ネコカクニンの為、ゲンバシサツ。
もう、子猫より子猫して母の足元にまとわりつく園児。

カイタイの4文字が頭のなかを駆け巡るも、アカンの3文字にたやすく負ける気がしてひっこめた。

すやすや寝てる子猫を覗きこむ私

「かーえーなー。
何してやったらエエんやろ。」

すると、
「牛乳でもやったったら?」
と母。

もう、電流!
えーっっ!!牛乳やっていいのぉぉぉ!!!
それって飼って良いってこと???
…ヒヤクしてるな。

端の欠けたお皿に牛乳ちょびっといれて、寝てる子猫のそばにおいた。
もうイトシサに耐えきれない。
子猫の小さな頭をなでなで、ちょっと強めに撫でると目がツンとしてこらまた、カワイイ!

目覚めると、にゃあ。と彼女は言った。

ハロー よろしく と。

だから私は彼女を抱き上げて母に言った。

「この子飼っていい?飼いたい!」

しゃがんだ私の腕の中でキミはにゃあ、にゃあと鳴いている。

よろしく よろしく よろしく よろしく
よろしく 私の新しい家族

私は子猫をぎゅっと、でも優しく抱き締めた。

これが私と一代目ふくとの出会い。
猫を飼いたいと常々言っていた私の願いを、母は少々の演出付きで叶えてくれたというお話。
子猫のお里は祖母の家、母猫みーよは私の前の家の子、つまり私の初猫だった。

当時、酷い嫁イビりと経済的おんぶにだっこだった祖母と決別し、同居に区切りをつけた我が家族は仕事場に新居をかまえたばかりであったと記憶する。

酷い嫁イビりとか経済云々は、もちろん大人になってから少しだけ聞いた話。
私は祖父母にとても、とても可愛がられていた。だからそんなイヤな話を後から聞かされても聞きたくないし、信じたくない。美しい思い出を汚れさせたりしない。

因みに経済的おんぶにだっこの件を父母の擁護のために記しておこう。
祖父母と同居しているし長男だし、父が家計を負担するのは当たり前だ。しかしながら、それ以外に祖母は父の稼ぎを他の子ども(父の兄弟5人)に分配していたらしい。
兄弟が自立できてないなら仕方ないが、そういうわけでもない。 全員が親元を離れ自活していた。
祖母宅は裕福で、家のない子には土地付き家を私が知っているだけで三件は建ててやっている。 その他アパート、マンション、船、土地にガレージを所有し民生委員もやっているくらいだ。お金に困って息子の稼ぎに手を出すなんておかしい。
あくまで推測だが、身内が可愛い祖母は自立した子どもたちの気を引くために余計なお金を使っていたのだろう。

そんなこんなで、我が家族は祖母宅をあとにする。
夜中、私は就寝中に起こされ軽トラの荷台に乗り兄姉と共に小雨の中出発した。ノロノロ車が動き始めたその時、祖母が現れ、そして私に叫んだ。

「ああああちゃん!戻ってき、飴ちゃんあげるで!」

思わず腰を浮かす私の肩を押え5歳年上の姉が、行ったらアカンとドスの効いた声で言った。
その迫力に観念した私は荷台から泣きながら小さくなっていく祖母を見ていた。

って言ったって歩いて3分のところに引っ越しただけなんですけど!

祖母が畑の畝で草抜きしている時、小さい私も祖母にくっついて草を抜いた。 祖母の側で同じことができる喜びを、はっきりと私は覚えている。
祖父にはいつもお風呂に入れてもらっていた。
支えてもらわないと身体が浮かんで不安定だった私のお世話を、厭わずしてくれる祖父のことを私はやっぱり大好きだった。

大好きな祖父母と暮らせなくなった4歳の私。そういえば、母との記憶はそれ以前はほぼない私。

新しい家族は“ふく”と名付けられた。
お家に福がやってきますように、と。

祖父母との同居は解消したが、そのあとも長男として家長の嫁として父も母も実家ときっちりお付き合いしていた。 そして祖父が他界し、祖母一人で生活が立ちゆかなくなってからは再度同居し、自宅でお見送りしました。母は強いなぁ。

ふくとは私の失態で小学2年生の時お別れすることになります。そのお話はまた書けたらいいな。

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