極刑判決の現場で思うこと

日本の宝と言えるアニメ産業。そのアニメ業界のみならず、日本中を震撼させた事件・京アニ放火殺人事件。

あれから4年半の月日が経ち、22回の公判を終えてようやく判決が出た。

「被告人を死刑に処する」

その言葉を聞いて、被告人はどう思ったのだろうか。


午前8時40分から午前9時15分まで、京都御所内富小路広場で整理券交付所に並んだ人に番号が記されたリストバンドが配布された。
午前9時40分に当選番号が発表され、京都地方裁判所前でリストバンド型の傍聴券を受け取る。
午前10時30分に開廷される京都地方裁判所の第101号法廷の一般傍聴席には、その傍聴券を持った人しか入ることが出来ない。

今回の傍聴席の倍率は17.8倍。僅か23の傍聴席に対して409人が整理券を受け取った。私は残念ながら当選しなかった。

普段の裁判所であれば、開廷後に法廷のドアに付く小窓から中の様子を覗き見ることが出来るのだが、今回は第101号法廷手前の分厚い扉にブルーシートが貼られており、中に入ることが出来るのは傍聴券を持った人のみ。傍聴券を手に入れられなかったマスコミ関係者や一般人が、その分厚い扉の前で固唾を飲んで第101号法廷を見守っていた。

午前10時32分、開廷したかと思えば数分後に法定内の記者たちが飛び出して来て、
「休廷!午前11時から再開!」
と言う声がひしめき合う。何があったのかと思い記者たちの様子を見ていると、どうやら証拠整理に漏れがあったようだった。
午前11時に再び開廷すると、エントランスに緊張と沈黙が流れる。記者たちが出てきたかと思えば、
「主文後回し!」
と何度も伝えられた。裁判所の外へと走って伝えに行く人もいれば、法廷内から出て来た記者のメモを電話口で復唱する人や、急いでスマホのキーボードを打つ人もいた。重大事件が動く現場を目の当たりにして、それをいち早く伝えようとするメディアの裏側が垣間見えた。
マスコミはそれぞれの報道関係社毎に3~8人体制で、報道関係者の腕章を付けた1人が法廷内の記者席で裁判長の発言をメモに取り、ある程度の時間が経てば中から出て来て次の1人に腕章を引き継ぐ。そしてそのメモの内容を電話やチャットで社に伝える。その繰り返しで常に最新の情報を発信し続けていた。

主文後回しが伝えられてから数十分後、食事が荷台に乗って運ばれてきた。(恐らく裁判員の方々の昼食だと考えられる。)その間、主に精神喪失が認められない理由が述べ続けられており、精神鑑定結果について触れられていた。

判決文は約1時間に及び、正午頃に一旦休廷となった。再開は午後1時。そう告げられて、各々腹ごしらえの為に裁判所を後にする。

そして午後1時。再び判決文が読まれ始め、内容は犯行の動機へと移る。妄想性障害は認めるものの、犯行自体は被告人の理性ある判断によるものであるという旨が述べられた。
そして午後2時前頃、法廷から沢山の記者が飛び出し
「死刑!死刑だ!」
と口々に言い、裁判所の外へと走って出ていったり、電話で状況を報告したりしていた。

帰り際、京都地裁の裏口の方へ向かうとカメラを構えた人達が沢山居たので待機していると、地下の駐車場から地上へ出てくる白いバンがあった。その中に被告人が乗車していたようだ。警察車両に続いて京都地裁を後にした。


死刑という刑が非人道的だと言われる今日この頃。国際的な人権問題にも発展しつつある。私はこの事件の被害者でもなければ関係者でもない。だから「この判決をどう思うか」という問いに第三者の身として、安易に答えることは出来ない。

ただ、死刑制度には賛成できる部分が大きい。
"生きて罪を一生償う"という考えも理解はできる。
ただ、死は死を以て償うことが出来るんじゃないだろうか。法を犯した者が人権というものに護られて、被害に遭った方々が生きるはずだった日々を生きる。そんな理不尽なことが受け入れられるのだろうか。

日付が変わり、新しい1日が始まっている。
世の中も日々新しくなってゆく。

ただ、それにつれてこの事件を風化させることなど絶対にあってはならない。

実際に現場に足を運んだ一若者として、
自分なりにこの事件と向き合ってみた。


裁判所は様々な人の想いが交錯する場所。
私はそう感じた。

この経験は一生忘れることは無いだろうと思う。

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