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【映画評論】家族という地獄『ヘレディタリー 』

少し前にアリ・アスター監督作品である『へレディタリー/継承』を鑑賞したので、その評論をします。

家族は一種の地獄です。
親も子供も兄弟も、決して自分で選ぶことはできません。しかも、家族は相互に強い依存関係があります。一旦、家族という結びつきができたら最後、それを解きほぐすことは至難の業です。
雪山を登る登山家は、パーティのメンバー同士の体をザイルロープで結びつけ、滑落しそうになったら相互に助け合って登頂を目指します。
つまり、家族も登山パーティも運命共同体であり、その一歩一歩は共同体全体の行く末に関わります。たとえ、その一歩が地獄への一歩であったとしても。

本作においては、相互依存関係にある家族のうち、誰かが預かり知らぬうちに恐るべきことを「継承」します。そして、その「継承」した者が「地獄」への一歩を踏み入れはじめ、やがて連鎖的に家族全員が奈落へ堕ちていき、異形となって蘇えります。
その様は正に地獄であり、とても嫌な感じです。しかし、私は本作で描かれる地獄の果てに異形の家族が産まれる様に、一種の爽快さを感じました。

ドールハウスを俯瞰する視点

アトリエらしき部屋に所狭しと置いてあるドールハウスの一つに、カメラが徐々にズームアップしていきます。ドールハウスの、ベットが置いてある部屋にまでカメラがズームすると、おもむろにドアが開いて壮年の男性が入室します。その男性はベットで寝ている男の子を起こすと、不機嫌そうに目覚めた男の子に出発を促します。
この家の住人、壮年の男性が父親で、男の子が長男です。家の前に停まっている自動車の中で母親と次女が待っています。そして、この一家はこれから祖母の葬式に向かうのです。

不穏な冒頭のシークエンスに、私は「一体、今のは誰の視点だったのだろうか」というザワついた疑問を抱きました。
この家族の母親はセラピーの一環として、ドールハウスの作成をライフワークとしており、このドールハウスは母親の作品の一つです。
では、冒頭のシークエンスで私の心をザワつかせた視点は、この母親の視点なのでしょうか。観劇者は、そんな言い知れぬ不安を抱えながら、物語の行く末を見守ります。

祖母の企て

物語が進むにつれて、亡くなった祖母は、この一家に「恐ろしいこと」を「継承」させていたことが徐々に分かってきます。
実は、冒頭で家族が出席した葬式のシーンに、その正体が登場しています。それは実在する悪魔崇拝なので、オカルトに詳しい人ならすぐに分かるものでしょう。
呪われた血縁を継承した家族に惨劇が起こるのか・・・これまでも多くのホラー映画で繰り返されてきたテーマです。
次女はいかにも悪魔憑きなので、この子が今後の災いのもとになると思いきや、早々と衝撃的な退場をします。

この時点で、冒頭から違和感を禁じ得ない、映画全体を通じた視点が誰のものか分かってきます。この一家は、祖母の恐るべき企てにより家族という監獄に収監された囚人であり、ドールハウスを俯瞰しているような本作の視点は、祖母の視点なのです。
祖母はドールハウスで家具や人形を弄ぶ童のように、この一家を意のままに操ります。
母親はセラピーの集会への出席を早々と辞め、怪しいオカルトに傾倒します。そして、長男に向かって世にも恐ろしい呪詛を吐くことになります。
父親は、気が狂いそうになるのをギリギリで踏みとどまりながら、なんとか崩壊していく家族を建て直そうと奮闘します。しかし、最終的にはその試みはもろくも崩れ去ります。

家族のパラダイムシフト

家族の強い結びつきという逃れられない地獄の中で、お互いにお互いを呪詛でがんじがらめにしながら、この家族は闇へと沈んでいきます。これは祖母が企てた儀式であり、この家族を触媒にして闇の底から異形の王が蘇ります。
恐ろしく絶望的な世界ですが、何故か私は、そこに清々しさというか、救いの様な感覚を覚えました。
というのも、これは家族の死と再生の物語であり、地獄めぐりの末に蘇った姿は異形ではあるものの、これはこれで家族(血族)としてのパライダイムシフトの結果ではないかと思ったからです。

家族は支え合い、どんなことがあっても愛し合う。これは確かに真実ではありますが、果たして全てに通ずる真実でしょうか。
哀しいかな、世の中を見ると、そうでもない事例もあり、ある意味、上記の真実は人々がそうであると「信じたい真実」とも言えるのではないでしょうか。
本作は徹底して、その「信じたい真実」をぶち壊し、その末のグロテスクではありますが、突き抜けた形でのパラダイムを提示しているように私には思えるのです。

私は本作を観て、赤堀雅秋監督の『葛城事件』を彷彿としました。
『葛城事件』は家族の「不作為」により、家族全員が地獄へと転がり落ちていく作品であり、地獄に対する家族の態度が本作とは対照的です。
しかし、地獄の果てに異形と化した1つの家族のあり方を示す作品としては、東西の違いはあれども根底は一緒ではないかと思うのです

アリ・アスター監督はすでに新作を撮ってます。新作も共同体における地獄を描くようです。

【おまけ】

(2019/06/19:「家族のパラダイムシフト」についてもう少し詳しく追記しました。)

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