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【映画評論 】不作為という罪『葛城事件』

幼い頃、事あるごとに父は私に言いました。
「おい、もし学校で苛められたり、嫌なことがあったりしたら、いつでも俺に言えよ。学校なんていつ辞めてもいいんだぞ。」
冗談好きの父なので、言われた当時は適当に笑って返していました。しかし、この一言は、後に私を救うことになります。

父の言葉をしみじみ思い出したのは、前回のブログで紹介した、赤堀雅秋監督作品『葛城事件』を観たからでした。
今回は同作について、私の経験も交えながら考察します。

※ネタバレを含んだ評論ですので、前編は映画『葛城事件』を鑑賞後にお読みいただくことを推奨します。エッセイとして後編からもお読みいただけます。

1.前編;映画評論『葛城事件』

(1)不作為という罪

「不作為」を辞書で引くと以下の通りになります。

法律で問題になる行為の一種。あえて(特定の)積極的な行為をしないこと。(岩波『国語辞典』)

「不作為」は裁判等でよく目にする法律用語であり、それ自体が罪に当たります。
例えば「夫が子供を虐待しているのを、妻が黙って見ていた」場合、妻は夫による子供に対する虐待を積極的に止めなかった「不作為」の罪を犯したことになります。

本作の登場人物は、それぞれ自分が負うべき責任を、〈他者〉に転嫁し、すべきことをしない「不作為」という罪を重ね、最悪の結末を迎えます。
この場合の〈他者〉とは、他人という意味のみならず、会社や学校、社会といった、自分以外のあらゆることを指します。
そして、「不作為」は、自分の責任を〈他者〉に転嫁することによって、犯してしまう罪だと私は考えます。

(2)父・葛城清の「不作為」

葛城家の長である清(三浦友和)は、やり方は抑圧的かつ強権的であるものの、彼なりに良い家庭を築こうと努力しています。
本人の努力とは裏腹に、家族はうまくいっているとは言えません。しかし、清はその責任を〈他者〉である自分の家族に転嫁し、自分の間違いを一切認めようとしません。
結果として、清は父としてすべきことを放棄してしまいます。
では、清が父としてすべきこととは何だったのでしょうか。それについては後述します。

(3)長男・葛城保の「不作為」

葛城家の長男である保(新井浩文)は、父・清からの絶対的な期待を一身に受けて育ち、失敗は一切許されない状況におかれています。
やがて、彼は完全に「逃げ場」を失い、最悪の選択をしてしまいます。
保は、幼い頃から両親の言うことを素直に聞きながら育ち、反抗期を経ることなく大人になり、自分の就職のことも家庭のことも両親に言われるがままです。
彼もまた、自分が判断し、自分で負うべき責任を〈他者〉である両親に転嫁することで「不作為」をはたらいてきたのです。

(4)母・葛城伸子の「不作為」

清も保も、自分の「不作為」をあまり自覚していません。一方で、母・伸子(南果歩)は、明らかに自分の「不作為」に自覚的です。それ故に、彼女は家出や奇行を通じて、現実からの逃避を図ります。

私は、保の葬式こそ本作の白眉なシーンだと思います。

しめやかに行われた保の葬式。親族がそれぞれ卓を囲んでいます。そこに突然、伸子の素っ頓狂な声が部屋に響き渡ります。
長男の葬式であるにもかかわらず、伸子は場違いな冗談(とも言い難い奇妙な話題)を大声で話し、一人で笑い転げます。挙げ句の果てに、保の死は、保の妻の責任だという言葉を吐きます。
それに対する保の妻からの、「本当は、どうしてこうなったのか分かってるんでしょう」という言葉を受けて、振り向きざまに凄まじい表情を伸子は見せます。
薄暗い斎場の廊下で、笑顔とも泣顔ともつかない真っ暗な表情を、伸子は画面のこちら側に向けます。伸子の視線は、第4の壁を破って観劇者である我々に迫ります。
伸子の表情は語ります。そう、分かっていた。分かっているからこそ辛いのだと。

(5)次男・葛城稔の「不作為」

引きこもりの次男・稔(若葉竜也)にとっての〈他者〉は、母から家族へ、そして社会へと肥大していきます。そして遂に、彼は自分がうまくいかないことの責任転嫁を、無差別殺人という最悪な手段で果たします。
赤堀監督は、「附属池田小事件」の犯人をモデルにしたとインタビュー 等で語っています。近頃も、同様の痛ましい事件が記憶に新しいところです。
決して正当化はできませんが、稔は、本来寄り添ってくれるべき家族の「不作為」による犠牲者とも言えるでしょう。
事件を起こし、逮捕・収監された稔の前に星野という人物が現れます。

(6)星野順子の役割

星野順子(田中麗奈)は死刑制度廃絶を掲げ、稔に獄中結婚を迫る謎の女であり、葛城家にとっては完全にアウトサイダーです。
一見、彼女は作り手のイデオロギー主張の担い手として現れたようにも見えますが、そうではありません。彼女は、物語の狂言回しであると同時に、本来は稔に寄り添うべき家族の代行者として登場したのです。
しかし、時すでに遅く、稔の意図通りに死刑が確定します。最後に稔が星野に対して見せた慟哭を、ここまでの考察を踏まえて翻訳すると、以下のようになるのではないでしょうか。

なぜ、もっと早く、こんなことになる前に、貴方は私の前に現れてくれなかったのか。
もっと早く、自分の気持ちを打ち明けることができれば、引き返すことができたかもしれないのに。

しかし、ここでそんなことを言っても詮無いことは稔にも分かっているのです。
そう、本当はみんな分かっていたのです。自分がすべきことをしなかった故に、いつの間にか自分は地獄にいることを。

2.後編;エッセイ

(1)サッカークラブでの出来事

さて、私の父の話に戻しましょう。
父が冒頭の言葉を私にかけてくれたのは、私が小学校高学年くらいの頃です。
時は折しもJリーグ開幕直後のサッカーブームで、クラスメイトの大部分はサッカークラブに所属し、私も例外ではありませんでした。

私は学年で1番の俊足だったものの、球技のセンスに欠けており、サッカーがヘタで、どうしても好きになれませんでした(これは今でも同じです。)。
サッカークラブが無い日は、放課後に公園でサッカーの自主練が開かれ、クラブのメンバーは半ば「強制的」に自主練に参加せざるをえない空気になっていました。
サッカークラブは典型的なカースト社会で、「サッカーがヘタな者は人に非ず」といわんばかりの雰囲気につつまれていました。あまつさえ、クラブで主導的なクラスメート(クラブのキャプテンではない)が、「ともだちランキング」と称してクラスメートを毎日ランキング付けするような有様でした。
そんな空気に嫌気がさし、私は放課後の自主練をサボタージュし、こっそり同じ志をもつ友人達と集まってガンプラを作ったり、漫画を描いたりして遊んでいました。
当然、目をつけられた私は「ともだちランキング」の最下位に輝き、熾烈な苛めの標的になりました。

私は、最初は苛めを意図的に流していました。抵抗することなくやり過ごせば、そのうち止むだろうと高をくくっており、私は正に「不作為」をはたらいていたのです。
しかし、苛めは日に日にエスカレートの一途を辿りました。これまで味方をしてくれた友人らにも徐々に見放され、もう耐えられないと思った時、私は父の言葉を思い出しました。

「おい、もし学校で苛められたり、嫌なことがあったりしたら、いつでも俺に言えよ。学校なんていつ辞めてもいいんだぞ。」

(2)父がしてくれた父がすべきこと

私は自分がおかれている状況を父に話し、アドバイスを求めました。
私の話をじっと黙って聞いていた父は、おもむろに口を開いて提案をしてくれました。

お前がとるべき道は2つある。どれを選ぶかはお前が決めろ。
①今度いじめっ子にちょっかいを出されたら殴り返せ。おそらくいじめっ子は集団でお前に襲いかかるだろう。そうしたら来る奴来る奴を、片っ端から殴りまくれ。それでも多勢に無勢でお前はコテンパンにやられるだろうから、最後に「卑怯者!」と吐き捨て、その場を去れ。
②もしくは、これから俺が先生に会って、いじめっ子とお前との仲介をするよう掛け合う。あとは先生がなんとかしてくれる筈だ。

私は②を選びました。父は「分かった」とだけ言い、その場で学校へ向かっていきました。
翌日、先生が仲介となって、いじめっ子と私との間の示談の場が設けられました。それ以来、私への苛めは嘘のようにパタリと止みました。
もちろん、その後すぐに私はサッカークラブを辞め、大手を振って好きなガンプラ作りや漫画作成に勤しんだことは言うまでもありません。

父がしてくれたのは、以下のことです。
私に寄り添って話を聞いてくれたこと。
私の「逃げ道」を作ってくれたこと。
そして、私を救うために行動してくれたことです。

葛城清が父としてすべきことは、正にこれだったのです。

未だに、事あるごとに父は私に言います。
「おい、もし会社で苛められたり、嫌なことがあったりしたら、いつでも俺に言えよ。会社なんていつ辞めてもいいんだぞ。」

オマケ;イラストエッセイ


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