TRPGシナリオ製作術 【ゲーム制作者が培ってきた『ランダム』を6つに分析】

"「ランダム」とは、予測不可能で規則性のない出来事や選択を指す言葉です。ランダムな出来事は偶然によって決まり、パターンや秩序がないことが特徴です。"

ChatGPT

今までは主に脚本技術を取り上げてきましたが、本記事ではゲームデザイン、ゲームプラン技術ともいえるランダムについての話です。
TRPGもゲームであって遊びである以上、楽しくなければなりません。ランダム要素とは、ゲームを遊んでいるプレイヤーを楽しませるための工夫の一つです。
しかし、何も考えずにランダム要素をシナリオに取り入れると、ランダム要素は『プレイヤーにストレスを与えるだけの装置』になってしまいます。
ランダムについて考察してみましょう。

≡『ランダム』はゲームのスパイス

ダイスロールの結果を左右できるように修行をしたTRPGの達人もどこかにいらっしゃると思いますが、現代はオンラインセッションにてデジタルでダイスロールが行われることも増えてきましたね。

そもそも多くのTRPGのシステムにはサイコロだったりトランプ、システム専用のカードなどを引いて結果が定められるルールも存在します。
こういった方法で結果を定めるシステムはランダム要素であると言えるでしょうが、どうして多くのTRPGにランダム要素が組み込まれているのでしょうか。

="ランダム"はTRPGシステムのありとあらゆるところにある

TRPGで遊ぶとき、まずは遊ぶシナリオを決めて、そのシナリオをプレイするためのキャラクターを製作することになるでしょう。このとき、どういった持ち物や技能や特殊能力を持たせようかとPLは考えますが、シナリオ側の目線でPLたちのキャラクターシート作りを見てみると、既にランダムな性質を持った要素でいっぱいです。
シナリオにとって重要な技能や持ち物を持っていこうとするのか、それともしないのか……。PLにシナリオの事前情報を渡していない場合は、その時点で既に『ランダム要素込みのキャラクター制作における各自の戦略』をPLは楽しんでいることになります。
PLは運良く大事な技能を持ってくるのでしょうか。運悪く重要なステータスが低い状態で来てしまうのでしょうか。これは各PLの流派や戦略によって変わってきますが、結局のところ大雑把に言ってしまえば運だとも言えます。

最近はHO(ハンドアウト)ルールという、予めどのようなキャラクターを作成するべきなのかの指針をシナリオ側から提示するルールというか、キャラクター作成時における決まり事を設定するシナリオが増えてきました。
特定の技能が高い状態のキャラクターで、こんな持ち物を持っていて、このような過去があって……というHOの指示があることによって、ランダム要素は減ります。『シナリオのストーリーを最大限楽しんで欲しい』というシナリオ作者の配慮ですね。
HOルールは昨今のストーリー重視のシナリオが好まれる文化から発生したルールともいえるでしょう。

シナリオが始まってもランダム要素の連続です。多くのTRPGでは、ゲーム中のキャラクターが何らかの行動に挑戦したとして、その行動が成功したかどうかGMの判断で決められない場面があります。そういった場面にて行動の成功を判定するため、GMはPLにダイスロールを要求することがあるでしょう。ダイスの出目を見て、キャラクターの行動が上手くいったかどうか決めるわけです。

GMがダイスを振るルールのなかに、シークレットダイスというダイスロールの方法があります。これはPLにダイス結果を見せない状態でGMがダイスをロールすることです。GMはその結果を参照して、シナリオの処理を行います。サイコロの出目はランダムですし、サイコロの出目を参照するということは結果もランダムです。
しかし! シークレットダイスには何の意味も持たせない場合もあります。ただシークレットダイスをGMが行ったということをPLに認識させるためだけの、『見せかけのシークレットダイス』というゲームプラン的テクニックが存在します。このシークレットダイスの結果はシナリオに一切ランダム要素を追加しませんが、PLはそのシークレットダイスに勝手に意味を見出して、あらかじめ考えていた戦略を変更するかもしれませんし、「いやッ! 今のはオレたちの緊張感を増やそうとしただけのブラフで、見せかけのシークレットダイスだぜッ!」と見抜いてくるかもしれません。

こういった駆け引きの例を見るに、見せかけのランダム要素のないシークレットダイスだったとしても、本来の意味のシークレットダイスだったとしても、PLが勝手に深読みしてシナリオへのアプローチや戦略を変える可能性があるということであり、シナリオへのアプローチや戦略を変えるということは、PCたちの行動、引いてはシナリオの世界にも影響を与える可能性があるということです。
つまり、『ブラフのシークレットダイス』というものは『シークレットダイス』からランダム要素を排除したダイスロールのはずなのですが、ゲームに意欲的なPLたちによって勝手にランダム要素が生まれてしまいます。

もちろん、そもそもの話『シークレットダイス』というシステムそのものが『緊張と緩和のテクニックを使ってPLに緊張感を持ってほしい』という目的を達成するためのゲームシステムです。そのため、『見せかけのシークレットダイス』を振る理由もまた『PLに緊張感を持たせたい』という理由なのですが、PL側は意味があるのかどうか分からないため、『緊張感を感じずにはいられない』のです。
そしてまた、PLはシークレットダイスを見て、『何らかのランダム要素に関わったイベントにまつわるシークレットダイスの可能性がある』という予想を立てます。今後起きる状況の変化に敏感に反応するようになり、結果として『ゲームに集中』し始めるというわけです。

この『何らかのランダム要素を想起させる』という部分がシークレットダイスというゲームプラン技術の肝であり、シークレットダイスの面白いところです。
ダイス結果は当然ランダムなので、『何も起きなかった』のか『ブラフのシークレットダイス』なのか、はたまた『シークレットダイスは振るけど、ただの固定イベント』なのか、PLは判断出来ませんが、この揺さぶりと駆け引きは『緊張と緩和』という『ゲームに集中してもらう効果』が非常に強力に発揮されます。

話を戻して、シナリオも終盤に差し掛かってまいりました。
物語が分岐するほどの重要な選択肢にPLとPCが直面した時は、PLもPCもどうするか作戦会議をはじめます。しかし、身も蓋もない言い方をすれば『今まで運で集めてきた情報』を参考程度に『運要素の無かった情報(シナリオ上必ず手に入る情報)』を精査すればシナリオの真相に辿り着ける、と言えてしまうでしょう。
今まで手に入ってきた情報の中からダイスロールの結果に基づいた物を除外して、ダイス結果に左右されずに手に入った情報だけ精査すればシナリオの真相に辿り着けるように、シナリオは設計されていて然るべきだと、本記事シリーズの『#2 【TRPGシナリオに"絶対"必要な選択肢】』にも書いた気がします。
シナリオ上PCたちが生き残るために重要な情報をPLに渡せなかった場合、どんなに作戦会議しても全員が生存するルートに辿り着けそうにないことをPLは察してしまうので、この時点でPL側にストレスが発生し、このストレスはエンディングまで解消されません。場合によってはエンディング後にも解消されません。

テーマに関わる重要な判断材料足り得る情報がPLに渡せなかった場合、『もしその情報を持っていたら本来選びたかった選択肢』が選べない、または『その選択肢を思いつけない』という状態になり、後になってそれを知ってしまった、もしくは気付いてしまった聡いPLは『自分たちが技能ロールに失敗した(運が悪かった)からこうなってしまった』という解消しようのないストレスを生みます。
重要な情報をPLに渡せなかった状況での作戦会議というものは、シナリオ側からすると『運ゲーの敗者たちによる、決定的な情報が不足した作戦会議』ということになります。
PLたちはそれでも、何らかの答えを導き出して行動を宣言しますが、正直そういう時のPLたちは『自分たちは何か重要な情報を見逃している、取りこぼしている』と気付き始めています。一度そういう状態になってしまったPLたちは、自信も無くなりゲームに対して弱気になっていき、間違った選択を選んでいるという気持ちがゲームに集中する気持ちを阻害し始めます。消極的な行動宣言や選択肢を選ぶことも増えていくでしょう。それはゲームを楽しめていると言えるのでしょうか。

あえて、ランダム要素のネガティブな面について書いています。
基本的にはPLのテクニックでダイスロールの結果を捻じ曲げることはできません。PCの行動宣言を認めたGMが、その行動が上手くいくかどうか判断出来なかった場合にのみダイスロールをしているとしたとしても、余りにも運が悪かったせいでサイコロの出目が悪くなりすぎてしまい、"全ての情報が手に入っていたらAを選びたかった"のに、"情報が不足しているせいでBを選んでしまう"PLが居るかもしれません。
この場合、PCたちはBという選択を選んだ後に、"Aを選ぶべきだった"と後悔する時が来るでしょう。この後悔に気付いたPLは多大なストレスです。しかも、情報が手に入らなかったのはPL自身の技術不足もあるかもしれませんが、多くの部分では"単純に運が悪かったから"なんです。
多大なストレスをどこかに当たり散らそうとしても、自分の不運を呪うしかありません。ストレスを別のポジティブな感情に昇華出来る人ならば良いのですが、世の中のTRPGプレイヤー全てがそうとは限りません。
『緊張と緩和』のテクニックは緩和までがセットですが、良かれと思って追加したランダム要素のせいで緩和のシーンがなくなってしまったシナリオが、世の中には存在してしまうのではないでしょうか。

では、上記の話を踏まえて、ランダム要素の是非について別の目線で考えていきましょう。

=ゲームにおけるランダム性は"勝利条件"に深く関わる

一旦気分をスッキリ切り替えてください。大きく話題が変わります。TRPGではなく、ゲーム全般の話です。

最近、AIによって『オセロがお互い完璧な最善手を打つと引き分けになる』ということが確定しました。ゲーム業界における『お互いのプレイヤーが完璧にプレイするとこうなる』というような最適解が見つかったゲームを『解決した』と表現し、既に『解決済み』なゲームは多数あります。いちばん有名な解決済みゲームは三目並べ、いわゆる3×3マスにお互いマルかバツを書いていくマルバツゲームです。このゲームはお互いのプレイヤーが完璧にプレイすると必ず引き分けになります。その他の解決済みゲームも、お互い完璧にプレイすると先手が必ず勝利することが分かったゲームがあったりなどなど、たくさんあります。

しかし、運要素が絡むとそういうわけにはいきません。例えどんな最善手だったとしても、運が悪ければ苦戦するというわけです。運要素の強いゲームなら、達人が初心者に負けることもあるでしょう。
例えば麻雀であれば、ルールを把握している程度の初心者と、プロ雀士が集まってゲームをした場合、プロ雀士は100%の勝率を保てません。プロ雀士はもちろん麻雀の知識も経験も豊富な方々ですが、ルールを知っている程度の初心者にも負けます。これは間違いなく麻雀のランダム要素によるものです。

しかし、対戦数を重ねていけば結果は違って見えてきます。
プロ雀士は『運が悪ければ初心者にも負ける時は負ける』と理解しつつも、麻雀のプレイ時には知識を総動員させてプレイします。この知識はつまり麻雀の技術力というように表現出来るはずですが、その技術力の差によってプロ雀士側が初心者側よりも勝ち越す結果になるでしょう。
たった1戦プレイしただけでは運の要素が色濃く出る結果になりますが、100戦すればプロ側の勝率がかなり高くなるはずです。
麻雀は運ゲーだと揶揄されることもありますが、プロ雀士は確率の含まれるゲームだと知った上で、運の要素とそうでない要素を分離して技術を形態化し、さらに長時間プレイしてきた経験を駆使できるため、勝率が高くなるのも当然の結果となるでしょう。

では、TRPGの話に戻します。
TRPGもゲームなので、勝率を出来る限り上げるために技術を磨き知識を学んで一回でも多く勝利することを目指すべきことに変わりはありません。
このTRPGにおける技術力とは、主にコミュニケーション能力と、たくさんTRPGしてきた経験が物を言うのですが、どちらも磨き続けることでどんどんTRPGが楽しくなっていくことでしょう。
しかし、一般的なゲームと比べて、TRPGの勝利条件はかなり"PLによって"異なるため、集まったPLたちがそれぞれの勝利を思い描いている場合があります。そういう状況になってしまってゲームとして成立しない事がTRPG業界では多々あります。場合によっては真逆のことを勝利条件だと思って遊ぼうとしているPLすらいることでしょう。

TRPGという遊びにおいて、この"勝利条件"がかなり曲者です。ここがあまりにもややこしいがために、ランダム要素の是非が問われる場面が存在します。本来、TRPGシステムはダイスをロールするなどして、『PLを楽しませるために』ランダム要素をシステムに組み込んだ設計がされてありますし、そのシステムに合わせてシナリオ側は脚本的な部分とゲームプラン的な部分との難易度調整をしているものです。

運要素が全く無いというTRPGシステムを除きますが、TRPGとは本来『運の要素も楽しんで欲しい遊び』になるように設計されています。
しかし、"勝利条件"というものが余りにもPL間でバラバラでかつ共有されていないがために、『何が楽しいのか』という部分についてPL間で齟齬が発生しています。
ランダム要素がいかに素晴らしいかを説明するために、まずはTRPGにおける"勝利条件"と、シナリオ側で想定している勝利条件と、PLやGMが考えている勝利の違いについて考察してみます。

=TRPGにおける"勝利条件"と"敗北条件"

TRPGにおける最も普遍的な"勝利"とは、ゲームに参加したGMとPLが『楽しかったね』とお互い和やかに、時には感動で涙を流しながら称え合う状況を"勝利"と言います。誰か一人でも『つまらなかった』なら、それは敗北です。
(上記のことが当たり前だと思える人はTRPGを遊んでいる環境に恵まれていますし、上記の勝利条件が普遍的だと思えない人は遊んでいる環境を変えた方が良いかもしれません)

敗北した場合、つまり誰か一人でも『つまらなかった』というエンディングを迎えてしまったら、PLとGMは敗北の原因を考えてみるべきです。(口に出して討論すると面倒なことになるのでやめた方が良いかもしれません)
いったいどんな原因によって『つまらない』ゲーム体験をしてしまう人が発生するのでしょうか。

  • 特定のPCが活躍出来なかった or 特定のPCの1人が大活躍しすぎた。

  • 謎解きや推理要素、戦闘や探索の難易度が難しすぎて"正解"に辿り着けなくて悔しかった。

  • PC同士やNPCとの掛け合い時にRPがギクシャクしてしまった。

  • 好みのストーリー展開ではなく飽きてしまって、緊張が解けた。

  • 自分と他PLの意見が合わず、すり合わせも上手くいかずに喧嘩になった。

  • 精神的なトラウマが刺激されるストーリーだった。(いわゆる地雷を踏んだ)

挙げていけば、もっともっと様々な理由でセッション中に萎えてしまったGMやPLも数多くいらっしゃると思いますが、このように言語化してみて、それを一つずつ解消していけば、いずれ全員が楽しめるセッションになることでしょう。TRPGに参加する全員が楽しめるために、お互い協力しようとする姿勢が大事です。
解決されないまま遊び続けても、結局は誰かが『つまらない』と思ってしまうのが続くようでは、TRPGをどんなに遊んでも敗北し続けている状態であり、それはTRPGを楽しめているとは言えません。
自分だけが楽しければ良いという考え方は、TRPGに向いていないのでもう遊ばないで頂きたいし、特定のPLのせいでTRPGを楽しめない場合は、そのPLと遊ばないという選択が最も正しい解決策です。

上記の原因一つ一つが"敗北の条件"というものです。上記のどれかに当てはまってしまうと、TRPGは『つまらない』気持ちで終わってしまうゲームであるということです。
更に人それぞれ敗北の条件は色々と変わってくるはずです。上記の敗北条件を気にしていないPLもたくさんいらっしゃることでしょう。

つまりTRPGにおける勝利とは、人それぞれ十人十色の『楽しいセッションの条件』があるなかで、参加したPLもGMも条件が合致して楽しく遊べれば勝利というゲームです。

では次に"セッションが楽しい条件"を箇条書きにして考えてみましょう。どういうことがあったらシナリオのエンディング時にGMとPLがお互い『楽しかったね』と笑い合えるのでしょうか。

  • PC同士、またはNPCとの掛け合い、RPが上手く出来た。

  • 自分のPCがしっかり活躍出来た。

  • 作戦が完璧に上手くハマって強敵を格好良く倒せた。

  • 自分の推理が当たって謎解きの正解を言い当てた。

  • 自分の好きなタイプのストーリーで没頭出来た。

『楽しい』と『つまらない』は表裏一体です。これをシナリオ創作に活かすということであれば、楽しい条件やつまらない条件を一つでも多く思いついておき、それらを見比べながらシナリオを制作すれば、おのずと誰もが楽しめるシナリオになるということです。
しかし、誰もが楽しめるシナリオというものを書いたTRPGシナリオライターが居たら会ってみたいですし、そのシナリオを遊びたいです。

しかし、『シナリオを楽しむ』という当たり前のことを複雑にしてしまっている存在がいます。それがランダムです。

もしTRPGに運の要素が存在しなければ、PLたちの作戦や戦略に運の要素を含める必要が無くなり、PLたちにとっても、GMにとっても、シナリオ作者としてもかなり都合がよくなる場面があるはずです。
PLたちが情報をまとめようとするときも、出てきた情報をしっかり読み込めば必ず真相に辿り着けるでしょう。PCと敵の行動が必ず成功し、なおかつ固定ダメージという戦闘ルールであれば、戦略的にどのように行動すれば最適解になるのかをPLたちで話し合い、最大効率で敵を倒していくゲームを遊べるはずです。

もし、PCたちが敵の攻撃によって倒れてしまったとしても、それはPL側の戦略が悪かったとして反省の余地があります。シナリオ作者としては、シナリオ難易度に問題があったかもしれないという反省の余地があります。

例えば、『生と死』というテーマのストーリーで、PCの前にテーマに関わる選択肢AとBが表れました。Aを選ぶかBを選ぶかの判断材料は確実に全て手に入っているとします。
この状況の場合、選択肢のどちらを選ぶのかはPL、またはPCが選びたい方を間違いなく選択することが出来るでしょう。
何故なら、運の要素を排除したTRPGにおいては、シナリオ内の情報が不足することが無いということになり、手に入った情報をしっかり上から順に読んでいけば、どちらを選択すべきかは完全完璧にPLまたはPCの主義や思想次第で決められるからです。

さらに例えると、殺人事件が起きた館で犯人を探し当てる謎解きをしなければならないシナリオだった場合、運の要素が排除されているということは、PCはまるで往年の名探偵のように次々と証拠を手に入れていき、事件の真相に辿り着けるような情報は全て完璧に手に入れることが出来ます。謎解きが好きなPLは、手に入った情報に過不足が無いことを知っているので、完璧な推理を披露するために謎解きに没頭出来るはずです。そして、出てきた情報を精査して推理していく過程には元々運の要素はなく完全なる技術力と知識力が試されます。謎解き好きのプレイヤーなら望むところといったところでしょう。

上記の状況の全く真逆のことが起こるのが、ランダム要素を追加した場合です。

PCたちの攻撃だけ運悪く命中せず、敵の攻撃は運悪く命中し、何なら最大ダメージになってしまいました。そうしてPCたちが敵に倒されてしまったら『運が悪かったね』と言うほかありません。

『生と死』というテーマに関わる選択肢AとBがあったとして、シナリオの道中で技能ロールに失敗してしまいました。その時に手に入るはずだった判断材料は、PLまたはPCにとって重要な判断材料だったとします。この場合、悩んだ結果として望まない選択肢を選んでしまったときも『運が悪かったね』と言うほかありません。

殺人の犯人を見つけるための証拠が技能ロールで手に入るシナリオだった場合、技能ロールに失敗すると情報や証拠が不足する事態になってしまうでしょう。そんな状況で一生懸命推理したところで、犯人が誰かという推理を外してしまっても仕方がありませんが、情報が不足している状態の推理は憶測でしかなく、特に犯罪を暴こうとしている場合は明確な証拠が必要です。犯人に対して「これは憶測なんで確かな証拠もないんですけど……」なんて語り口で推理を始めるのも格好がつかない上に、推理を外そうものなら目も当てられません。しかも、犯人に「じゃあ証拠を出してくれ」と言われても、証拠が見つかってないのだから出せません。『運が悪かったね』の一言で片付けるにはあまりにもエンタメとして破綻しているとは思いませんか。なんなら情報や証拠が不足しているのに推理でたまたま犯人だけ言い当ててしまったら、それはそれで気まずいです。

上記の例の通り、運が悪いPLたちはTRPGを純粋に楽しめないということになります。不運と幸運は誰にでも訪れるものだと思っていますが、たまたま運が悪いPLが面白くない思いをするのを『ダイスゲームだから仕方がない』とするシナリオを良しとするのは如何がなものでしょうか。

ですが、実は重要なことからあえて目をそらしていました。
『TRPGにおける"勝利条件"と"ランダム性"は全然関係ない』という事実です。
一般的なゲームにおいて"勝利条件"と"ランダム性"は関係あります。しかし、TRPGは違うんです。TRPGは集まったPLたちが各々勝利条件を思い描いている状況なので、まずは勝利条件を統一することが先です。

最も普遍的な勝利条件は、ゲームに参加したGMとPLが『楽しかったね』とお互い和やかに、時には感動で涙を流しながら称え合う状況を"勝利"と言います。誰か一人でも『つまらなかった』なら、それは敗北です。

実は、こちらの"最も普遍的な勝利条件"にランダム要素が関わってくると簡単に敗北します。集まったメンバーの"運が悪い"と『つまらなくなる』というところです。
まずは、このランダム要素をしっかりと排除しましょう。つまり、ちゃんと気の合うメンバーで集まってワイワイ遊べる環境を作りましょうという解決策がありますので、GMやPLの皆さんはまずここから解決してください。
初めまして、という状態でいきなりTRPGを遊ぶ場合も、まずは一旦アイスブレイクとして雑談したりなどなど、お互い気分良くゲームをスタート出来るような空気作りを大切にしましょう。はじめましてでも、そうでなくとも、楽しくTRPGを遊べる雰囲気を作るのが最優先です。
TRPGジャンキーはいきなり遊び始めることもあるでしょうが、自分にとっては信頼あるPLで友人だったとしても、友達の友達という間柄の人物とは相性が悪い可能性も十分にあるということです。

といったところで、本記事は【TRPGシナリオ制作側から考察する『ランダム』という概念の分析と応用】についてのお話をする記事でしたので、話を戻します。

≡『ランダム』はゲームプラン技術

="ランダム"なのは、PLに楽しんで欲しいから

上記の方に書いた『つまらない』と感じてしまう例を一つずつ例にとって考えましょう。そもそもランダムという性質を持ったシステムはゲームプラン的な技術によるものなので、ゲームプランを見直すことで、プレイヤーを楽しませる工夫になるように改善することが出来ます。
ゲームプランとは、プレイヤーに楽しんで欲しいという創意を、どのようなシステムでデザインするかという部分も含まれている分野だからです。

PCたちと敵の攻撃が命中するかどうかがランダムであること、ダメージの値もランダムであることについて考えてみます。
ゲームプラン的な考え方だと、『敵』という存在を2種類に分類します。それは雑魚とボスです。
雑魚の役割として求められているのは、『PCのHPとかMPを良い感じに減らすこと』という役割が与えられています。もちろん、PCを倒してしまうほどの強い雑魚や、簡単に倒せる弱すぎる雑魚ではなく、丁度良いバランスを狙う必要があります。
雑魚の役割である『PCのリソースを良い感じに減らすこと』の目的は、ボスとの戦闘時のためです。
ボスにはボスの役割が存在し、それはもちろん『PCを良い感じにピンチに追い込んでラストの戦いに相応しい演出をすること』です。
雑魚とボスの存在を分けて、明確に役割をもたせることで、PCを良い感じにピンチにするために、事前に雑魚と戦わせることでPCのHPやMPなどを減らしておき、体力などが万全とは言えない状態でボスと戦う展開にもっていくというわけです。

ちなみにですが、最近のRPGだとボス戦の前にステータスを全回復してくれるポイントがあったりしますが、それはそれで"正々堂々の勝負"というストーリー都合上の演出の意味が込められていたり、単純にゲームプラン的な難易度調整の意味があったりします。
そして、ボス戦前に全回復ポイントがあるRPGは、ボス戦に辿り着くまでの雑魚たちがはちゃめちゃに強くて、主人公パーティはボロボロの状態でボスに辿り着くことをゲーム側は想定しているはずです。この場合の強い雑魚たちは『良い感じにギリギリの戦いを演出してピンチだと思わせておいて、ボス戦の前に回復ポイントを置いて緊張を緩和させる』という前提と役割を与えられた雑魚たちであることが伺えます。

『PCのリソースを削る役割』の雑魚にとって何よりも名誉なことは「あの時の雑魚にMP使ったせいで、ボスとの戦闘時にあと1回だけ回復魔法が使えない!」とPLが悔しくなったときです。この絶妙なリソース消費を強いるのが雑魚であり、雑魚によってピンチになったPCを追い詰めるのがボスという存在です。
そして何より重要なのは、両者は共通して最終的にはPCに倒されなければなりません。かわいそうな存在ですが、敵というものはそういった役割で登場し、そして主人公に倒されるのです。

ボスが勝ってバッドエンドというのはTRPGシナリオにおいてありがちですが、ボスが勝ってしまうルートを作る場合は安易なバッドエンドは控えて、一捻り加えてみましょう。ボスが勝ってしまったルートほど、工夫のし甲斐があってシナリオ制作の腕の見せ所とも言えます。
もし仮にボスに敗北したルートを手厚く用意しておいた場合、ボスとの戦闘時によりギリギリまでPCたちをピンチに追い込むことも可能になり、ギリギリの辛勝、もしくはあと一歩足りない敗北という戦いの難易度に設定して、よりハラハラドキドキを演出しやすくできます。さらにそれは、雑魚を少しだけ強い設定にして、ボス戦前により多くのリソースを削っても構わないということにも繋がります。
例えば、シナリオ中盤の雑魚のつもりで登場した敵に、とても運が悪いPCが敗北する可能性がありますが、負けたら負けたでその後のルート分岐の工夫はシナリオ作者の腕の見せ所です。雑魚に負けたからどうなるのかはシナリオの舞台設定次第ですが、そこでゲームオーバーはあまりにも勿体無いです。
そもそも、主人公が敵に倒されてゲームオーバーになるのは、『セーブポイントからやり直して、敵に対する戦略を考え直す』というシステムが前提にあるからゲームオーバーになるシステムになっているのであって、やり直して遊び直さないことの多いTRPGシナリオに、RPGのようなゲームオーバーシステムを導入してしまっても「あの時こうしてりゃ良かったね」と話し合って『別の戦略を考え直す』ことはあってもやり直せませんし、やり直して遊ばない場合はGMが「実はあの時、こうこうしていればね……」と感想戦する流れになって終わりです。このシナリオ中に発生した緊張、またはストレスを解消するための感想戦になってしまっているのを良しとするのも何か歪なものを感じます。

やり直せないのもリアリティがあって面白い要素ではあるものの、リアリティという要素もまたゲームプラン的な目線でみると非常に厄介で扱いの難しい技術であり、シナリオのバッドエンドが『単純に世界滅んで終わり』になっているシナリオたちが生まれてしまう一因にもなってしまっている気がしますが、リアリティはリアリティで別の記事を書くとして話を戻します。

なにより気をつけておくことは、強い雑魚やボスと戦わせると、PLにはいわゆる『負けイベント(負けるのが前提の戦闘)』だと思われて緊張が緩んでしまう可能性がありますので、雑魚もボスも強くもなく弱くもなくの丁度良い強さを狙う必要があります。

このギリギリの戦いにおいて、ランダム性というものは生きてきます。確実に命中する攻撃と、必ず一定量のダメージを負うシステムにしてしまうと、ギリギリの戦いになったとしても『製作者に仕向けられている』ような雰囲気が生まれてしまいます。
戦闘時の『シナリオ作者が想定した最適解』を探して、そこに辿り着くというのはある種の楽しみと捉えることができるものの、シナリオ作者の想定内で遊んでいるというPL感情は、感動とは程遠い冷めた客観視であると思いませんか。
あくまでPLには世界に没入してゲームに集中して欲しいので、没入感をそぐような演出は不要です。

戦闘時のランダム性というものは、ランダム性だからこそ生まれるリアリティとドラマチックな展開に楽しみを期待したゲームプラン的技術であり、そこには『PLにドラマチックな戦闘を楽しんでもらおう』という創意が根底にあることが分かります。

逆に、必ず命中して固定ダメージのゲームも世の中にはたくさんありますが、それらのゲームにも『プレイヤーに楽しんでもらうため』という理由が必ずあるうえで、そのような戦闘システムを選んだ結果なのだと思います。
自分のシナリオを遊んでもらう時、どういった戦闘ルールだとより一層楽しく遊べそうか、今一度考えてみましょう。公式のルールブックだけがルールとは限りません。戦闘時にランダム性をどこまで取り入れるかはシナリオ作者のセンス次第ですが、余りにも複雑なルールは覚えるのが大変なので没入感が失われます。どのような戦闘システムにしましょうか。
ルルブ通りか、シンプルに改変するか、リアリティを追加するのか……。ここはゲームプラン的にも一生解決しない部分なので、自分のセンスを信じて設定しましょう。「とりあえず一旦ここで敵を出しとくか」ぐらいのテキトーな感じで敵という存在をPCの前に出してはいけません。

ストーリー上とある重要なテーマにおいてAという選択肢とBという選択肢があったとします。テーマについて答えを選んで欲しいときは、どちらの選択肢を選ぶのかの判断材料は必ず全て出ている必要があります。これはランダム性以前の問題です。
テーマに関する選択肢には過不足なく、シナリオで想定している判断材料すべてが渡るようにしておくべきです。そのうえでAかBか葛藤して欲しいというのがテーマに対する選択肢の醍醐味であると言えるでしょう。
そのため、本来ならこの問題についてランダム性は必要ないという見解に落ち着けると思いますが、過去の記事の選択肢の話でも説明した通り、ここを勘違いして『テーマに関わる判断材料』を技能ロールの結果で左右されるようなシナリオが散見されます。

もちろん、『テーマに対する判断材料』というものを等しく『情報』として捉えるのであれば、何らかの技能に成功したからこそ情報が手に入るほうが自然でリアリティがあるという考え方も分かりますが、判断材料が足りなくて本来選びたかった選択肢じゃない方を選んだPLは、自らの選択を後悔するときに「自分の技能が失敗した(運が悪かった)せいで……」という反省をしてしまいます。

この反省は反省しようがなく、後悔しても仕方のない事です。ですが、この後悔をしている間はゲームに集中出来ていない時間になってしまう可能性があります。既に選んでしまった選択肢を後悔している時間がシーンとして設けられているのならともかく、シナリオは刻一刻と変化していくものなので、過去を悔やんでいる時間より今現在の演出をPLに楽しんで欲しいはずです。

折角『テーマの選択に後悔して欲しい展開』を狙って書くのなら、判断材料が足りなかったのが『技能の失敗(運が無かった)』ではなく『後々に分かった情報を手にしてPCが間違った選択をしたことに気付く』展開や、『既に情報として渡っているのにPLが見落とした』展開の方がドラマチックです。
シナリオとしてテーマに対しての選択に間違えて欲しいという展開を望むのはそれはそれで有りだとして、それを技能ロールというランダム性に絡めてしまうのはナンセンスです。あくまでランダム性は『楽しんでほしい』という部分に追加するべきであって、『悲しんでほしい』場合や『怒ってほしい』場面にランダム性というゲームプラン技術を導入するのは、PL感情にそぐわず、難しい場面が多いということを想像してみてください。

テーマの選択を間違えるというのは、謎解きに不正解するのとはワケが違います。
上記の方の例でいくと『生と死』というテーマは哲学的でありながら普遍的なテーマです。人間誰しもが一度は考えてみるテーマでしょう。そんなテーマの選択を、自分のPCはどのような答えを選ぶのか。そういった演出をPLもしたいので、PCがAを選ぶのかBを選ぶのか悩むはずですし、即決するにしてもそれはそれで『このテーマは即決できるキャラ』であるという演出ができます。
どちらにしろ『テーマに対して自分が正しいと思った選択』をしたいはずです。
しかし、その後に手に入った情報が不穏な情報で、自分が選んだ正しいと思った選択が実は間違っていたかもしれないと思い始めた時、それはPLがPCとしてシナリオのストーリーに没入出来る瞬間になるのではないでしょうか。
「自分があの時選んだ選択は、自分の信念とは違う選択だったかもしれない……どうしよう……」と、PLにもPCにも選択を後悔させるほうがドラマチックで面白くなるのではないでしょうか。
『あの時点では自分が正しいと思った選択を取れていたけど、後からこんな情報が出てきてしまった。これでは話が違う!』とか『情報の色々な所に実は不穏な描写があったけど、見逃していた!』という後悔の方が純粋に『後悔を楽しんでもらう』という見方からすると面白いと思いませんか。
ランダム性の取り扱いの難しいところが出ています。
そして、やはり永遠と付きまとう『リアリティ』という考え方の難しさと、ゲームに導入する難しさに頭を悩ませてしまいます。

謎解きをするときの例を考えてみます。
過去記事に書いた通り、情報には3段階あります。手掛かり、糸口、情報です。いくつかの手掛かりから情報の糸口を発見し、その糸口を手繰り寄せて情報を手に入れます。
この過程でランダム性を導入する場合、すでに過去記事にも書いたとおり、ダイスロールの結果に応じて手掛かりから一気に情報まで手に入るようにするだとか、手掛かりを飛ばしていきなり糸口が手に入るだとかいう展開がスピーディーで面白いと思います。
なぜなら、運が悪かったPLが罰を受けるシステムではなく、運が良かったPLに対して報酬を支払うシステムになっていますし、ゲームプレイ時間の短縮は単純に『PLの集中力の維持』に効果的だからです。

(ところで、『謎解き』と当たり前のように出てきているこの用語はゲームプラン技術なので、同じゲームプラン技術であるランダム性と相性が良いです)

更にメリットとして、ランダムで情報が出てこなくするのではなく、ランダムで情報にたどり着く過程が変わるように表現すると、謎解きの難易度や、必要な情報を全て渡すための展開を必要以上に複雑化して考えることなくなります。
そういったシナリオを遊ぼうとしたとき、何の技能が得意なのかで話の展開が変わっていくシナリオは更に素敵だと思います。
ですが、キャラクターの個性として持ってきた技能が、シナリオ中になんの役にも立たず、結果として本来必要な技能値が低く、ダイスロールに失敗して情報が不足していくシナリオは素敵ではないと思います。

シャーロックホームズみたいな化学と科学どちらにも詳しい高い知識技能を持った名探偵と、刑事コロンボみたいな、人当たりの良い会話から自分のペースに巻き込んでいく対人関係の技能が高い名刑事とでは、同じ事件内容でも解決の仕方が大きく変わるはずです。
何が得意なキャラクターを参加させようとするのかはPLの戦略であり、HOで技能を指定していないシナリオ側からするとランダムです。そのランダム要素をシナリオ側で最大限活用して『楽しい』という感情にもっていくためには、現場を虫眼鏡で調べ回って手に入る情報でも、周囲の人達と楽しく、時には厳しくお喋りして手に入る情報でも、最終的に犯人に辿り着けるようにしておいたほうが『楽しい』に繋がりやすくなると思います。
ランダム要素には必ず『楽しんでもらいたい』という創意が含まれていることが分かってきたのではないでしょうか。

テーマの判断材料の例の状況ほどじゃないにしても、謎解きに必要な情報をまとめて精査して推理するときに、情報不足を感じてしまうとPLは不安になり、そして緊張が生まれてしまいます。その緊張を緩和するためにはその推理が正解だったと知ることが最もオーソドックスな解決なのですが、もし全然推理が当たってなかったらどうでしょうか。推理を披露したPLが恥ずかしい思いをして終わりだけではなく、セッション中のPL全員がその光景を見て萎縮し始めます。
間違った推理でもバンバン披露してPL会議を回しやすくするPL側のディスカッション技術があるといえばあるものの、普通は謎解きの正解を一発で言い当てたい、間違った推理を言いたくないのが人間というものです。リアリティやランダム要素を重視し過ぎて情報を絞りすぎてしまい、結果としてPLたちがテーブルトークに萎縮してしまうようではTRPGを楽しめているとは言えません。
そのため、技能の失敗で情報を渡さないのでなく、技能の大成功でヒントを増やしてより確信を持って真相に辿り着けるような道筋を組めるようなランダム要素の方が楽しく遊べると思います。

=ランダム要素を追加する時の指標『日本人は罰ゲームが好き』という不名誉

日本人は罰ゲームが好きだと海外目線から言われるそうですが、この罰ゲーム好きがTRPGシナリオにも影響してしまいがちです。『失敗したら罰』ではなく『成功したらご褒美』の方が嬉しいに決まっていますので、自分の書いているシナリオを見直してみて『失敗したPLに罰を与えている』シーンを探してみて、改善出来るのなら改善しましょう。

シンプルに言い換えれば、『緊張と緩和』の技術を使おうとして、PLに緊張だけ与えて緩和のシーンを疎かにしていませんか?
技能の失敗で情報が出ないというのはその最たる例です。シナリオ上渡さないといけない情報や、テーマの選択肢に関わる判断材料ならスッと渡しましょう。謎解きが簡単になりすぎてしまうことを恐れる必要はありません。シナリオ中の謎解きは10人いたら10人の人間が答えにたどり着くように情報を渡しておきましょう。謎解きをコンセプトにしているのなら、謎解き好きが集まってくるように宣伝して、謎解きの難易度を上げても良いでしょうが、皆が謎解き好きかと言われれば人それぞれです。
ボスにやられて『世界は破滅への道を辿ることとなりました、めでたしめでし』は本当に必要なエンディングなのでしょうか。主人公たちPCは死んでゲームオーバーになったとき、セーブポイントからやり直せるシステムなのでしょうか。やり直せないシステムなのに死んだら終わりというゲームは緊張感があって良いというメリットを享受しておきながら、緩和のシーンを用意せずに死亡してエンディングというのは、シナリオコンセプトとして設定しているはずの『PLに想起して欲しい感情』を十分に引き出せているシナリオと言えるのでしょうか。単純に死亡の救済処置として一度くらいは死ぬのを免れたりするだけでもちょっとは緩和のシーンになるでしょうし、「PCの体力は無くなったが、しかし!……」と、続くシナリオの方が単純なバッドエンドより良いとは思いませんか。

≡ランダムという技術のまとめ

ランダム要素は導入しただけで楽しくなるものではありません。本来なら、ランダムというゲームプラン技術の特性をシナリオ作者側がはっきりと理解した上で調整しながら使うべき技術です。しかし、「他のシナリオでもそうだから」と深く考えずにランダム要素を追加すると、つまらない思いをするPLが増えてしまっている可能性がありませんか?

その日がたまたま不運で、ダイスロールの結果が振るわないPLがいたとしても、それでも楽しいシナリオを書くことはできるはずです。あなたのシナリオは無意識に不運なPLのことを蔑ろにしていませんか?
運が悪いPLとPCがいたせいで、PCが全滅して死んでいくバッドエンドに到達するのは味気無いとは思いませんか?(「このシナリオはCoCだから」を免罪符に、捻りのないバッドエンドを許容していませんか?)
その不運なPLさんも自分の出目が悪すぎて他のPCを殺してしまったも同然であると後悔することになりますが、不運なPLさんの望まぬ汚名を運以外の方法で返上する機会がシナリオの中で与えられていますか?

ゲームプラン技術は脚本技術と同じく、太古の時代からボードゲーム制作時に考えられ続けてきました。紀元前の人々も難易度の調整には悩み続けてきました。
RPGとなるともう少し時代は下ったものの、RPGというゲームは様々なジャンルや傾向を生み出しました。運要素の塊の上で知識と技術でバランスを取るローグライクゲーム、技術と知識で戦い抜くし、運要素も少なめのソウルライクゲーム、ストーリーで感動させるのを重視した日本のRPGと、ゲームとリアリティの融合を探り続けたヨーロッパやアメリカのRPG、それぞれの文化圏で様々に悩まされ続けてきたランダムという要素について、実は非常に大変な量のノウハウがあります。

折角TRPGシナリオを面白いものにしようと思ったからには、脚本技術だけでなくゲームデザイン、ゲームプラン技術にも目を向けてみましょう。
脚本側にゲームプランを合わせつつ、ゲームプラン側と脚本の2種類が組み合わさって書かれていて、お互い上手く補い合っているゲームが良いとされています。ということは、TRPGシナリオにも同じことが言えるはずです。

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