いま、やさしいかくめいラボについて語りたい

語りたい。深い意味はない。

たぶんnoteで「やさしいかくめいラボ」と調べると黎明期のブログがいっぱい出てくるのでぜひ見てほしい。今これについて書いている人はもういないだろう。

ちょうど一年前、Campfireの家入一真さんがTwitterで「10代〜20代が世界を変える実験」をDiscordを用いて行った。これがやさしいかくめいラボである。

「Campfireの家入一真さん」は起業界隈では有名だったのか、はたまた友人であるけんすうさんの拡散力か、すぐに人が集まった。やさしいかくめいラボに入るには当初人数制限がかけられており、志望動機が必要だったが、入ったら一人自由に招待できる権利を与えられていた。そのうちGoogleフォームで応募し通れば入れるようになっていったが、その頃には人は減っていった。というか固定されていた。

アーリーアダプター、いわゆるミーハーな層だった自分は、起業に多少なりとも興味があったこと、Twitterではないクローズドコミュニティで同年代と語り合える(レスバトルができる)場であったここに、当時家入一真さんを詳しくは知らなかったが、早い時期に参加させてもらった。

Discordでは様々なサーバーがあり、それぞれ政治や経済、宗教や読書からプログラミングだったりブログだったり、本当に様々な場が設けられていた。とくにプログラミングに関しては本当に盛り上がっていたのは覚えている。

2chのように感じた。そこには様々な人がいた。起業したいと思っている人、ボランティアをしている人、とにかくなにかをしたい人。質問をすればだれかしらが答えてくれた。いつどこでも議論が起きていた。

詳しくは知らないが、起業界隈にはメンターと呼ばれる存在があるようで、このメンターと呼ばれる「なにかを成し遂げた人」が実際にアドバイスをくれたりもした。そこそこTwitterで有名な方もいた。「なにかをしたい」参加者を、みんなを引っ張ってくれる、家入一真さんとの間に立つ存在もいた。

この熱気をなにかに使いたいと、そこにいたみなが思い始めた。

そこで、イベントチーム、広報チームが生まれた。広報に少しだけ参加させていただいていた自分は、お昼の時間に上智大学の生徒さんの呼びかけで30人が集まりチャットしたことを覚えている。新しいことが始まるワクワクで止まらなかった。広報チームでは実際に、サイトを作ること、ブログを作ること、ブログに有名人との対談を載せること、ブログを書いたライターはやさしいかくめいラボのライター志望でありカメラマンもここ出身を使うこと、そのうち収益化して彼らにお金を渡すこと、そしてやさしいかくめいラボの知名度をあげていくこと。流れていく情報が惜しくてまとめサイトを作る案も上がっていた。そして、役割が与えられた。

イベントチームでも、撮影マンとして参加させていただいた。「親鸞とインターネット」という題目で行われたイベントは、ネットが発達していく未来において宗教はどうなるか、ということをみんなでディスカッションし、現代の親鸞を名乗る(?)家入一真さんとお坊さん(名前忘れた)が対談した。やさしいかくめいラボという名前を大々的に使った初めてのイベントであり、外部からの参加者はとても多く、Twitterでも同時配信を行っていた。会場であった東京のお寺の二階部分は満員だった。やさしいかくめいラボ、始まったなと思った。

だが、現実は厳しかった。広報チームでは、広報チームがあることを知らなかった人たちが運営サイドと交渉をして勝手にサイトを作り上げ自分たちが広報だと言いはった。これを機に、とは言わないが、毎日どこかしらで対立が起きていた。少しずつ人が離れていき、途中から入ってくる人は自分の活動を広めるためだけにこの場所を用いた。メンターの不正がTwitterで暴かれ(本来有料で頒布されていた起業や資金集めに関する資料を無料で提供してくれた人が、本当は名前だけで実績が作られたものだった)、結局なにができるのか、誰がするのかよくわからないまま、少しずつ空中分解した記憶がある。いや、運営サイドの何かしらへの介入だったか。運営サイド抜きのやさしいかくめいラボを作ろうという動きもあった。あまり記憶にないが、二ヶ月後には最初の熱気はどこかへ消えてしまっていた。自分は幻冬舎と上が近づいて新しいことを始めたことへの反発でやめた。

いまだにあの熱気はなんだったかわからないが、自分が生きているこの時代に自分以外の人たちの話を、声を上げたい若者の叫びを、Twitter以外で議論できる貴重な経験であった。何度も強調するが、2chのようななにかをずっと感じていた。

ただ、そこにいた大人は結局、立派な肩書でしかない人だらけだった。

「この国には何でもある。たが、希望だけがない。」

村上龍著『希望の国のエクソダス』

当時買ったこの本は、本棚の隅で開かれるのを待っている。